潰れたケーキ

「ゴードン、いるか?」
ラウンジでスコットが呼びかける。人の気配はするがソファーには誰もいない。スコットが首を傾げると左側から視線を感じ、父親のデスクを振り返った。
そこにはこちらの様子を窺うようにデスクから目だけを出したゴードン。まるでプレーリードッグだな、とスコットは弟の様子に呆れと微笑ましさが混ざった表情を浮かべた。
「今度は誰から逃げてるんだ?」
「人聞きの悪いこと言うね。哲学について考えただけだよ」
「さっき不機嫌なバージルと擦れ違ったけど?」
スコットが言えばゴードンは心当たりがあるのか「へへッ」と悪戯っ子のように笑った。
「バージルしつこいから」
ゴードンはデスクから這い出るとスコットを見上げた。
「僕に用?」
「あぁ、土産だ」
スコットは手に持っていた小さなケーキ箱をゴードンに渡した。だが、その小洒落たケーキ箱は歪に凹んでいる。ゴードンは怪訝そうな顔でそれを受け取った。


外出先で人と会っていたスコットは、帰りがけに相手が寄りたいと言ったケーキ屋に付き合いで入った。有名パティシエが作るケーキが売りな店は大人気で、ショーケースには色とりどりの繊細なケーキが並んでいた。
別に買う気はなかったが手ぶらで出るのも微妙な雰囲気だったのでスコットはショーケースからイチゴのショートケーキとモンブラン、チョコレートケーキといった無難なケーキを3個選んだ。
数に意味はなく、家に誰がいるかもわからなかったので適当に食べればいいと思ったのだ。それにサンダーバード1号で無事にケーキを持って帰れる自信もなかった。

「癖は怖いな」
そう言いながらスコットはコーヒーを淹れる。ゴードンはケーキ箱をテーブルに置くとスコットの隣でフォークを2本引出しから取り出していた。
「1号で離陸した瞬間、無意識にトップスピードだ」
「は?」
「慌てて急減速したがそれも良くなかった」
後ろの席に置いていたケーキ箱は衝撃に耐えられるはずもなく、無惨に床に転がり落ちた。
ゴードンの非難するような視線は気づかないふりで、スコットは「一流の店は箱も頑丈に作られているな」と誤魔化すように片目を瞑ってみせた。


「パティシエに謝って。この惨劇を」
箱を開ければ予想通りの光景が広がっていた。ぐちゃぐちゃに潰れたケーキが箱の内側上下左右にびっしりと張り付いている。中にはケーキ同士が融合した部分もあり、モンブランとチョコレートが複雑な色合いを醸し出していた。
「せめて同じ種類にしてくれれば良かったのに」
「こうなるとは思わなかったからな」
ゴードンは言いながらナイフを取ってくると箱を解体し始めた。原型を留めていないケーキを皿に移すことは不可能だと思ったので、このまま食べることにしたのだ。
「ま、いっか。口に入れればこんな感じになるから」
「ゴードンならそう言うと思ったよ」
スコットは頬杖をついたまま穏やかに笑った。おおらかで物事に拘らないゴードンだ。だからこそスコットもケーキ箱をゴードンに渡したのだろう。
芸術的なケーキを潰したとなればバージルは芸術への冒涜だと怒るに違いない。不機嫌なバージルと擦れ違った時に無意識にケーキ箱を隠したことを思い出してスコットは眉を下げた。

「これはおいしい!イチゴの風味が最高だ!」
ゴードンはイチゴのショートケーキだった塊を口に運んでは嬉しそうに目を細めた。
「モンブランと一緒に食べるのも悪くないね。新境地だ」
パティシエからしたらキレられそうな食べ方をしながらゴードンは笑う。チョコレートケーキだった塊を食べながら、スコットは幸せそうなゴードンに「それは良かった」と笑い返した。


「何で僕にくれたの?」
綺麗にケーキを食べ終えたゴードンがコーヒーを飲みながらスコットに尋ねる。
スコットは「お前なら何でも食べそうだから」という言葉を飲み込んで「今月ゴードンの誕生日だろ?」と笑窪を見せた。
だが対照的にゴードンの顔色が変わる。
「待って!この潰れたケーキを誕生日ケーキにするつもり?!」
体を乗り出すゴードンに「そんな訳ないだろ」と言わずにスコットは悪戯っぽく「どうだろうな」と曖昧に濁す。
「今年はフルーツタルトがいいって言ったよね!」
「そうだったか?」
必死なゴードンにスコットは益々楽しげに笑うのだった。
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