ゴードンのハウスキーパーな1日

(荒れてるとは思ったけど、まさかここまでとは…)
水泳の強化合宿で1週間家を留守にしていたゴードンは我が家のリビングの惨状に呆然と立ち尽くした。
雑然と荷物が散らばり、ソファー前のローテーブルには飲みかけのカップが放置されている。ついでにコンビニの肉まんと唐揚げ棒とフランクフルトと焼き肉丼の食べ終わったゴミも。ソファーではアランが毛布にくるまってスヤスヤと寝息を立てていた。つけっぱなしのテレビからは芸人達の賑やかな声が聞こえてくる。ゴードンが時計を見れば時刻は日付を跨ごうとしているところ。
14歳の育ち盛りには相応しくない生活っぷりにゴードンは頭を押さえた。
自分がいない1週間に何が起こったというのか。
その時、玄関ドアが開く音にゴードンが振り返れば、入ってきたのは一目で消耗しているとわかるスコットで、ゴードンを見ると疲れた目を輝かせた。
「ゴードン!帰ってたのか。お前に会えて嬉しいよ」
スコットがゴードンを抱きしめる。熱烈な歓迎に戸惑いつつも、ゴードンは久しぶりのスコットの香りにどこか安心していた。

「で?これはどういう状況?」
壁に貼った機能してない家事分担表を横目に見ながらゴードンが言えば、スコットは困ったように頭を掻いた。上質なコートを脱いで無造作にソファーに置く。ジャケットもネクタイも同じ様にソファーに積み重ねられ、ゴードンは思わず眉を顰めた。
ソファーでは相変わらず末っ子が寝ている。これだけ近くで話していても起きる気配が無かった。
「色々あって家事が破綻した」
「破綻したのは見てわかるよ。まさか1週間こんな生活だったわけ?」
スコットが「それぞれが色々あって…」と歯切れ悪く言えば、ゴードンは全て察したように溜め息を吐いた。
スコットは父親の会社の社長として一手に切り盛りしている。会長の父親は長期旅行に行っているので会社の全てはスコットの肩にのしかかるのだ。きっとこの1週間も会社で色々あったに違いない。
ジョンはもともと研究者肌で言葉の通り「寝食を忘れて」研究やプログラミングに没頭するタイプだ。その没頭期間がこの1週間に当たってしまったのだろう。
普段ならそれぞれのフォローに回るはずのバージルもちょうど絵画の制作期間と重なり家のことまで手が回らなかった。そして家事能力がそもそも低いアラン。
この状態で衣食住をキープしろと言うのも酷な話なのかもしれなかった。

「それで提案なんだけど…ゴードン明日休みだろ?バイトをしないか?」
「バイト?ハウスキーパー以外ならいいよ」
スコットの言わんとすることに気づいたゴードンが先回りで言えば、スコットは困ったように眉を下げた。
「頼むよ。お前の手料理が食べたい」
そう言われて悪い気はしない。
ゴードンは相場よりも吹っ掛けたバイト料を提示したがスコットはふたつ返事で了承すると「やっぱりゴードンは頼りになるな」と頬にキスをした。
そのまま風呂場に行こうとするがゴードンにソファーに置いたままのコート一式を無言で手渡されると小さく肩を竦めて自室へと戻って行った。
「ついでにアランも回収してよ」
その後ろ姿に声をかければ「FAB」とスコットは片手を挙げた。

思いがけないバイトにゴードンは腕を組んだ。ゆっくり寝てるつもりだったがそうは行かないようだ。しかし結局この惨状を放っておくことも出来ずに片付ける羽目になるのだから、そう思えばバイト料が出るだけラッキーなのかもしれない。
「新しいダイビングスーツが欲しかったんだよね」
ゴードンが浮き浮きと冷蔵庫を開ければそこは見事に空っぽ。これでは明日の朝食など準備出来ない。ゴードンは浮き浮きした気分から一転、力無く冷蔵庫前に膝をついた。
しかし意を決して立ち上がるとスマホと財布と家の鍵をポケットに突っ込み、お気に入りのロードバイクに跨がり24時間営業のスーパーを目指した。

※※※※※

早朝6時。ゴードンは強化合宿時とさほど変わらない時間にベッドから起き上がった。一度大きく伸びをするとパジャマ代わりのパーカーと短パンを脱いでジーパンとアロハシャツに着替える。アロハシャツはそろそろ季節外れだが、これが1番テンションが上がるのだから仕方ない。特に今日はテンションを上げなければ乗り切れそうになかった。

家はまだ静まり返っていて、兄弟達は寝ているようだ。朝食は大体7時。それまでに朝食の準備を終えて部屋を片付けてゴミを出して洗濯をして…やるべきことを考えながらキッチンに行けばその計画は脆くも崩れる。まずシンクの片付けからしなければ朝食の準備にも入れなかった。
「溜めるから洗いにくいんだよ。その都度洗えよ」
ゴードンはブツブツ言いながらもシンクの食器にお湯をかけて汚れを落ちやすくしてから、お気に入りのスポンジに洗剤を付けて洗い始める。結果が目に見えるのと水に触れるので皿洗いは好きだ。マグカップに皿、グラスや鍋を次々と片付けると、今度は惣菜パックを洗っていく。やけに多いのと肉系に偏った惣菜パックに荒れた生活が垣間見えた。
「食洗機欲しいなぁ。でも5人分の食器が入るのだと場所とるんだよな。それに手洗いの方が速いし…」
家電芸人が出る番組で今度食洗機の特集してくれないかな、とゴードンは水切りかご一杯の食器を見ながら思った。

しかしゆっくり考え事をしている暇はない。
洗ったばかりの鍋に水を入れると火にかける。お湯が沸くまでに冷蔵庫から昨夜24時間営業のスーパーで買ってきた野菜やベーコンを取り出した。
キャベツを切って玉ねぎを刻んでニンジンの皮を剥く。ジャガイモは短時間で火が通るように小さめに切り、ベーコンは彩り程度の野菜多目のコンソメスープだ。
火の通りにくい順に食材を投入して味を整えていく。コーヒーもセットして食パンもいつでも焼けるようにトースターに入れる。これも昨夜スーパーで買ってきたのだ。バターとイチゴジャムをテーブルに出して、ついでにバナナも置いておく。
卵を焼こうとしたところでスーツ姿のスコットが降りてきた。髪も整えられスーツを着こなすスコットに昨夜の疲れは微塵も感じられず、ゴードンは(流石だな)と心の中で呟いた。
「おはよう、スコット。ご飯食べる時間ある?」
久しぶりの湯気のある食卓にスコットの相好が崩れた。
「あぁ、最高の食卓だ」
「大袈裟だね。卵はどうする?」
トースターでパンを焼きながら、スコットご所望のオムレツを作る。スコットは自分でコーヒーを入れるとスープの鍋を覗き込んだ。
「おいしそうだ」
「ありがとう。オムレツも出来たから先に食べてて。アランを起こしてくる」
「ついでにジョンも起こしてくれ」
「寝起き悪そうな2人か…」
バージルは今日は朝遅いらしい。ジョンが自分で起きてこない日は寝起きが悪い日なので、そこに突撃するのは蛇の穴に手を突っ込むのと同じだった。
「ジョンは別料金になるよ?」
「いいよ。頼んだ」
スコットが快諾すればゴードンは渋々2階に上がって行った。


「今日の朝ごはんスゴいね!」
アランが目を輝かせながらトーストにイチゴジャムをたっぷりと乗せて口に運ぶ。起こさなければいつまででも寝てるアランだ。遅刻間際のアラームでは何とか起きるものの、それでは朝食を食べる時間など無い。もっとも兄達も朝食を用意している暇はなかったのだが。
「ゴードンがいないと静かでいいと思ったけど、いないと困るな」
「それって褒めてる?」
「勿論。貴重な存在だってことだ」
「ハウスキーパーとして?」
「どうだろうな。いや、兄弟としてだよ」
「嘘ばっかり」
ジョンの前にスクランブルエッグを置きながらゴードンはわざとらしく不機嫌そうな顔を作る。しかしジョンの言葉は口調こそ軽いものだが本心が詰まっているのをゴードンは感じていた。
「ジョンだって料理出来るんだからやんなよ。せめてアランの分くらい」
「今週は手が回らなかったんだよ」
「その忙しいのはいつ終わるのさ」
「昨夜」
「は?」
「昨夜終わった。だから今日は早く帰れる。夕飯が楽しみだ」
優雅にスクランブルエッグを食べながらジョンが言えば、スコットも「僕も山場を越えたから夕飯には間に合うよ」と言った。
「…何で僕が帰ってきたら忙しくなくなるわけ?わざと?」
「まさか。偶然だよ」
スコットとジョンは目を合わせると同時に肩を竦めてみせた。
「ゴードンの手造りハンバーグ楽しみだなぁ」
アランはヨーグルトをフルーツにかけながら無邪気に言うが、「どさくさに紛れてリクエストするな」というゴードンの言葉に「バレちゃった。でも食べたい」と小悪魔な笑顔を浮かべた。

※※※※※

スコットとジョンを送り出せば待っているのは家事の続きだ。
手早く朝食の食器を片付けてゴミをまとめていると、そこに制服に着替えたアランが泥だらけのYシャツ片手にやって来た。
「ゴードン、Yシャツ破れちゃったから縫って。腕のところ」
「縫うのはいいけど泥だらけじゃん。何したのさ」
「野球でヘッドスライディングした。僕のそれで逆転したんだよ!」
「あー、それはすごいね。でも次からYシャツでやるのは止めようか」
これは一度漬け置き洗いしないと…、とゴードンは内心溜め息を吐いた。次から次へと色々起こる家だ。
学校に向かうアランにゴミを持たせて送り出すと、次は洗濯に取りかかる。天気が良くて、程々に風があるのがせめてもの救いだ。
溜まったタオルを洗濯機に入れて回しながら2回目の洗濯の仕分けをする。ついでに泥だらけのYシャツの漬け置き洗いも。だが、思ったより仕分ける量が少ない。Yシャツに至っては確実に枚数が合わない。つまり…
「だから脱ぎっぱなしは止めろって言ってんじゃん!洗濯カゴに入れるくらい簡単だろ!」
ゴードンは思わず声に出すと足音高くリビングに戻った。

ソファーの影に隠れた靴下や脱ぎ捨てられたYシャツや髪を拭いてそのまま放置されたタオルを回収していく。それでも数が足りないので次は各自の部屋に押収に行く。スコットの部屋にアランの部屋、ジョンの部屋は比較的綺麗だが、それでもたまに食べかけのベーグルが出てくることがあるので油断は禁物だ。あらかた回収し終わると、最後に寝ているであろうバージルの部屋に入った。
想像通りに脱いだままのシャツやインナーが椅子に積まれている。
「バージル、これ洗っていいやつ?バージルってば!」
バシバシと眠るバージルの肩を叩くと、バージルは「んー…」と呻き声と共に寝返りを打った。
「バージルってば!洗うの?捨てるよ!」
「……洗う…」
流石に捨てられるのは困るのかバージルは掠れた声でそう答えると逃げるように布団にくるまった。言質が取れればこっちのものだ。これで今日着ていく予定だったと言われても知ったことではない。ゴードンは両手一杯に洗濯物を抱えると洗面室へ戻った。

洗濯物の仕分けを終えてリビングの掃除を始める。置きっぱなしの雑誌や鞄を持ち主の部屋に放り込む。埃を上から下に落としてローテーブルの食べかすも下に落としてから一気に掃除機をかける。その勢いでキッチンや洗面室、玄関、廊下の掃除機をかけたところでピーピーと洗濯機の終了を知らせる音が鳴った。
階段下に掃除機を置いたまま洗面室に戻る。もしかしたらバージルが転ぶかもしれないが、自分がクルクルと働いてるのにグーグーと寝ているのだから、それくらいいいかと思った。

広い庭は洗濯物を干すときにとても便利だ。
洗い終わったタオルを取り出すと同時に次の洗濯物もスタートさせた。干し終わって、掃除の続きをすればその頃には2回目の洗濯も終わるだろう。それを干しながら次の洗濯をスタートさせて…ゴードンの頭の中で次々と段取りを組んでいく。
青くて広い空と心地のいい風がゴードンの家事を応援しているようだった。

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