名探偵の昼下がり

ジョンの読みかけの本がなくなった。
父親の書斎から借りたハードカバーのミステリー小説。いよいよ犯人とトリックが明らかにされる大詰めのところだった。
直前に昼食に席を立ち、ついでに2〜3用事を済ませて「さぁ続きを読むか」と思った時には椅子の上に置いたはずの本は綺麗さっぱりなくなっていた。

「ゴードン、早く本を返せ」
ジョンによってラウンジに召集された兄弟達は各々異なった表情を浮かべていたが、スコットがゴードンを促すとゴードンは心外だと言わんばかりにスコットを睨んだ。
「僕じゃない」
「ジョンにちょっかいかけるのはお前かアランだろ」
「え?僕も?!」
いきなり容疑者候補になったアランは上擦った声を上げると慌てて首を横に振った。ジョンの読書を邪魔するなんて、そんな命知らずなこと出来るはずもない。疚しいことなど微塵もないが、何故かジョンの視線から逃げるようにアランは目を泳がせた。
「動機は?僕がジョンの邪魔をする動機はないよね?」
ミステリー小説の容疑者のようにゴードンが言う。スコットは「お前はいつも愉快犯だろ」と一刀両断するが、それで退くようなゴードンではない。
「動機も証拠もなしに人を疑うのは良くないと思うよ」
正論だがラウンジにはどことなく(お前が言うな)という空気が漂った。
「動機か…」
名探偵さながらソファーに座ったジョンは優雅に足を組んだ。
「まずゴードンは愉快犯だろ」
「そうだね。いつもはね、いつもは。今回は違うけど。アランこそ怪しくない?ずっとジョンが構ってくれないって騒いでた。だから邪魔な本を隠した」
「やってない!それならスコットだって本ばっか読んでって文句言ってたじゃん!」
「アラン、簡単に兄を売るのはどうかと思うぞ」
スコットは苦い顔でアランを嗜めると「それなら全員に動機はあるだろ」と言った。
「バージルだって…」
そう言いかけたが直ぐに「いや、ないな」と打ち消す。それに追随するように「バージルはないね」「うん」「そうだな」とジョンまでも頷く。バージルがジョンに危害を加えることはないだろう、ということだが、一方的に容疑者候補から外されたバージルはそれはそれで複雑そうな表情を浮かべた。

「本を最後に見たのはいつだ?」
「昼食前。あそこで読んでた」
ジョンが指差すのはラウンジの中2階。白い椅子が置かれたジョンお気に入りの空間だ。ブランケットを膝にかけて傍らには紅茶、それがジョンのスタイルだった。
今日も午前中はそこで過ごし、そこから昼食に呼ばれてキッチンに降りた。
「一番最初にキッチンを出たのはお前だったよな、ゴードン?」
「いやいや!あれは水槽を見に行っただけだから!」
昼食の最中、ちょっとしたハプニングが起こった。ブレインズの大がかりな実験が元でトレーシー・アイランドが停電したのだ。とは言え世界最先端技術が集まるトレーシー・アイランドだ。直ぐに予備電源に切り替わるのでサンダーバードの出動には支障がない。スコットが予備の回線でブレインズに連絡を取っている横でゴードンは熱帯魚の水槽が気になるとキッチンから出ていった。予備電源とはいえ優先順位はサンダーバード及び島の維持にかかる電力に回される。水槽まで電力が回っているのか気になったのだろう。
その時は何も思わなかった。
ゴードンが飼育している熱帯魚を大切にしていることは周知の事実だから。
「その時に?」
「単独行動したのはゴードンだけだったな」
アランとバージルの疑惑の目にゴードンは「水槽を見に行っただけだよ!本には触れてもいない!」と叫んだ。
「考えてみればおかしな話だ。停電したからといって水槽と熱帯魚に直ぐに影響が及ばないのは管理しているお前が一番よく知ってるだろ」
「それはそうだけど…やっぱり気になるじゃん」
「それに停電直後はラウンジのカメラも停まるから証拠映像も残らない」
ジョンの推理に益々疑惑が深まる。
「計画的犯行か?」
「いや、停電は偶然だ。それに便乗した犯行だろう。瞬発力だけは評価出来るけどな」
だから本を返せ、と続けるジョンに対してゴードンは突如笑い声を上げた。それは追い詰められた犯人の自供かと思われたが、ゴードンの口からは意外な言葉が飛び出した。
「甘いね、ジョン。動機、僕だけが犯行可能な状況、アリバイの不存在…これはミステリー小説なら怪しすぎて逆に僕は犯人じゃないパターンだ!」
勢いよく指を突きつけるゴードンにバージルは(何をバカなことを言っているんだ?)と首を傾げるが、当の名探偵は「…確かに」と真面目な顔で口元を押さえたのでバージルを驚かせた。
「こんな犯人の条件が揃った犯人がいる訳がない…」
「ジョン、落ち着け。小説の読みすぎで混乱してるぞ。世の中の犯罪は大抵犯人っぽい奴が犯人だ」
スコットが軌道修正を試みるもジョンの耳には届いていない。
「ミステリーの定石と言えば一番怪しくない人物…」
そこで皆の視線がバージルに集まる。
「おかしいだろ!さっき僕の犯行はないって言ったばかりじゃないか!」
「あ、動揺してる」
「ゴードン、黙ってろ!」
一気に最有力容疑者候補になったバージルに睨まれればゴードンは面白くなさそうに舌を出した。
「僕は停電した時も停電が直った時もジョンと一緒にいただろ。本に触る時間なんてなかった」
「それはトリックで…バージルなら録画映像も手直しも出来るだろ」
「ミステリー小説から離れてくれ!現実ではそんな複雑なことは起こらない!特にこの家では」
バージルが訴える後ろでインタビュアーのゴードンに「そんなことする人には見えませんでした」とアランが神妙な顔で答えているのが聞こえる。スコットがドヤ顔で「僕は初めから彼が怪しいと思っていた」と言っているのも聞こえ、バージルは後で纏めて締め上げようと心に決めた。

「ジョン、コーヒーを淹れるから一度落ち着いてくれ」
バージルが言えば、その『コーヒー』という単語がジョンの頭に引っかかった。何か思い出しそうな気がしたが、それは「犯行がバレた犯人が探偵を口封じするパターンだ!」や「いや、追い詰められた犯人が自害するパターンだ」という野次馬の声によって遮られた。

※※※※※

「何を騒いでいるんだい?」
混沌としたラウンジに現れたのは、おばあちゃんだった。その手にはジョンが読んでいた渦中の本。皆の視線が一斉に本に集まった。
「まさかおばあちゃんが犯…!」
言いかけるアランの口をスコットの手が塞ぐ。そして「おばあちゃん、それは?」と尋ねれば、「ランドリー室にあったよ。ジョンの忘れ物かと思って」と本をジョンに手渡した。
「ありがとう、おばあちゃん。でも何でランドリー室に…」
ジョンは不思議そうな顔をするが、バージルは「今日の洗濯当番はスコットだったよな」と冷たく言った。本当にスコットが犯人だと思っている訳ではないが、先程犯人に仕立てられそうになった恨みは残っている。
突然のことに頬をひきつらせるスコットは「僕は関係ない。昼以降はランドリー室に入っていない」とジョンの視線から逃げるように言った。
「死体を処分する前にランドリー室に隠したんだ…」
ボソボソと後ろでゴードンがアランに囁く。いつの間にか死体扱いされた本を手にジョンは考え込んだ。

何かが変だ。

ラウンジには不穏な空気が漂うが、それも気にせずおばあちゃんは「そう言えば」と口を開いた。
「ランドリー室にブランケットが置いてあったから洗濯しておいたよ。誰のか知らないけど乾燥が終わったら出しといておくれ」
それだけ言うとラウンジから出ていくが、その瞬間何かに思い当たったのか「あ…」とジョンの口から短い声が漏れた。


それは停電騒ぎが終わってコーヒー片手にラウンジに戻ってきた時のことだった。階段を上り、読書の定位置に向かう。ラストはどうなるのだろうか、と考え事をしていたら不意に躓いて前のめりにバランスを崩した。転ぶようなことはないが、マグカップいっぱいに入っていたコーヒーが飛び出し、ソファーの上に置いてあったブランケットにかかった。
「まいったな…」
早く洗わないと染みになる。
ジョンはマグカップを傍らのテーブルに置くとブランケットを抱えてランドリー室に向かった。
しかしそのブランケットの中には本が入っていたのだ。昼食に席を立つ時、誰かに読書の続きを邪魔されないように本をブランケットで包むように隠したのは他でもないジョンだった。

そのままランドリー室に運ばれた本だったが、洗濯をしようとした時EOSから緊急信号の連絡が入りジョンはブランケットをそのままにラウンジに走った。
結局緊急信号は誤報であったが、そのままEOSと幾つか打ち合わせをしている内にブランケットのことはすっかり頭から抜け落ちていた。
そして本がないことだけが残った。


「ジョン、どうかしたか?」
心配そうにバージルが声をかけるが、この状況で自分が犯人でしたとは到底言える訳がない。ジョンは本を胸に抱えると「いや…、本が見つかったならもういい。疑って悪かったな」とそそくさとソファーから立ち上がった。
その様子にゴードンのイカセンサーが発動する。
ジョンの腕を掴むと「待ってよ。今絶対何か思い出したよね?」と威嚇するように顔を近づけた。
「何のことだ?」
ジョンも負けじとポーカーフェイスで切り抜けようとする。
「そう言えば探偵が犯人ってパターンもあるよね?」
「ミステリーの読み過ぎじゃないか」
しらばっくれるジョンの態度にゴードンは確信する。ギャーギャーと騒ぐ2人をよそにスコットはバージルとアランに解散を言い渡した。


「さっきは後ろで随分ふざけてくれたな」
バージルがスコットとアランを睨めばアランはスコットの後ろに隠れるように身を縮めた。
「ほんの冗談だよ。コーヒー淹れるから勘弁してくれ」
「僕のチョコも食べていいよ!」
兄と弟にそう言われれば、バージルはそれ以上追及も出来ずに無言で肩を竦めてみせる。
その後ろでゴードンとジョンの騒ぎは益々大きくなっていった。

- 83 -
[*前へ] [#次へ]
戻る
リゼ