美女と噂と減らず口

iRに美女がいる。
そんな噂がGDF内で囁かれていた。


それはある日のこと。
ゴードンとGDFのiR担当職員がホログラム越しに話をしていた。同じ海を担当する職員とゴードンは気心が知れた間柄だ。海を愛する男同士、打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
打ち合わせも終わり、最近の珊瑚礁事情に華を咲かせていると、不意にゴードンの後ろから可愛らしい少女の声が聞こえた。
「あ、ちょっとゴメン。通信だ」
ゴードンは職員に一言断ると振り返って少女と二言三言会話をする。
(ゴードンに妹はいなかったよな?)
職員がそんなことを思っているとゴードンが「お待たせ」と戻ってきた。
「今の声は?妹か?」
ケーヨの声ではない少女の声に不思議そうに尋ねれば、ゴードンは「EOSだよ」と答えた。
「EOS?」
「うん、ジョンの娘。ジョンが生んだ」
ニヤリと笑うゴードンに職員は「あぁ」と頷いた。彼女がサンダーバード5号でジョンのサポートをする人工知能なのだ、と。
聞いたところによると、その人工知能はジョンが0から作ったプログラムらしい。それを「娘」「生んだ」と表現するのが何ともゴードンらしいと職員は思った。
しかしそこは気心が知れた仲。ノリがゴードンに良く似た職員は「ジョンにあんな可愛い娘がいたなんてな」と笑いながら返した。
「そういうこと。自分で生んだだけあって溺愛だよ」
ゴードンと職員は声を揃えて笑う。

話はここで終わるはずだった。
しかしゴードンと職員のやり取りをたまたま部屋の前を通りがかった別の職員が聞いていたのだ。彼女はiRの担当ではない。iRにも子供のいるメンバーがいるんだな、と思っただけだった。
話はここから少しずつ尾ひれをつけ、ゆっくりと、しかし確実に広まっていった。


「ねぇ、iRのジョンってオペレーターの人よね」
「ん?そうだよ。サンダーバード5号に常駐してる。君も話したことあるだろ?」
先述の職員が同期に廊下で呼び止められた。同期もまたiRの直接の担当ではなかったが、セキュリティ部門としてiRのメンバーは一通り把握していた。
そして職員が言う通り、彼女も打ち合わせで数回顔を合わせたこともあった。
「iRのオペレーターって1人?」
「そうだよ。何かあった?」
「そうじゃないわ。ありがとう」
セキュリティ部門の彼女は礼を言うとその場を後にした。
(綺麗な顔をしてると思ったけど女性だったのね。小さなお嬢さんがいるのにサンダーバード5号に常駐なんて大変だわ)
自身も小さな子供がいるので、余計に感情移入してしまう。ジョンという男性名もコードネームなのかもしれないと思う。あれだけの中性的な美人だ。彼女の姿を見たいが為に緊急信号を出す輩もいるかもしれない。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、総務で働く同期がスススと寄ってきた。
「ねぇ、知ってる?iRにすごい美人がいるんだって!」
噂好きな同期にセキュリティ部門の彼女は些かウンザリしたように髪をかき上げた。こうやってマウンティングを取られるのも何度目だろう。少しだけやり返してやろうと足を止めた。
「知ってるわよ。緑の瞳がとても綺麗な美人だってね」
敢えてつっけんどんに言えば、総務の彼女は黙りこんだ。しかし新しい情報に目の奥をキラリと光らせるのは忘れずに。



「ケーヨ!」
GDFでケーシー大佐との打合せを終えたケーヨが部屋から出ると、顔馴染みの職員が駆け寄ってきた。
「久しぶりだな」
同じパイロットとして共同訓練を行ったこともある職員にケーヨも親しげに微笑んだ。
「こっちに来るなら連絡してくれよ。お茶でもどうだ?」
「連絡してもあなたは大抵空の上じゃない。いいわよ、一杯だけならね」
「それはケーヨも一緒だろ。それじゃカフェテリアに行こう。最近コーヒーマシンが改良されて美味しくなったんだ」
裏表のない彼の誘いにケーヨは「それは最高ね」と長い廊下を歩き始めた。

「それにしてもケーヨ以外にもiRに女性がいたんだな」
「女性?」
コーヒーを口に運ぶ手を止めてケーヨは訝しげに聞き返した。iRの女性と言えば自分の他にはロンドンエージェントのペネロープとトレーシー兄弟の祖母だけだ。目の前のパイロットは軽い外見とは裏腹にとても優秀なのでペネロープのことも兄弟の祖母のことも知らされていた。そのパイロットが彼女達以外に「女性がいたんだな」と言うのだ。
「待って。それ誰のこと?」
「僕が直接会った訳じゃないけど噂になってるよ。iRにすごい美女がいるって。もちろんケーヨも美女だけどね」
「私のことはどうでもいいわ。詳しく聞かせて」
誰かが情報操作を行っているのだろうか。セキュリティ担当として見逃す訳にはいかなかった。
「そんな怖い目をするなよ。詳しくって言われても…美女のオペレーターがいるってことと、その彼女に娘がいるってことくらいだ」
「iRのオペレーターはジョンよ。あなただって知ってるでしょう?」
「ジョンは知ってるさ。ただ『ジョン』って言うのはオペレーターのコードネームみたいなものじゃないかって。緑の瞳が綺麗だって噂だから僕が知ってるジョンの妹かと思ったんだ…」
GDFの中でiRと直接関わりがあるのは一握りだ。多くの職員はiRのメンバーについて噂レベルでしか知らないのだろう。とは言え、この噂は突拍子過ぎないか。
ケーヨがコーヒーに視線を落としながら考えれば、「それともう1つ。娘の名前はイヴァン?イレーヌ?とか聞いたような…」とパイロットが頭を捻りながら言った。
「もしかしてEOSかしら」
「そんな気もする」
「大体わかったわ。また何か聞いたら教えてくれる?後、この噂は広めないで」
ケーヨはコーヒーを飲み干すと席を立った。
「ケーヨの頼みなら喜んで」
白い歯を見せるパイロットにケーヨは軽く手を振るとカフェテリアを後にした。

※※※※※

「スコット、話があるの」
「奇遇だね、ケーヨ。僕も聞きたいことがあったんだ」
トレーシー・アイランドに戻ったケーヨは格納庫からスコットに通信を入れた。ホログラムのスコットはどこか困惑しているようにも疲れているようにも見える。それはケーヨも同じだったのか、スコットは「同じ話題みたいだな」と苦笑いを浮かべた。
「僕が格納庫に行く。そこて待っててくれ」
人に、特に弟達に聞かれたくないのかスコットがそう言えば、ケーヨも「わかったわ」と頷いた。


「ケーシー大佐にiRメンバーに変更があったのかと聞かれた」
「小さな娘がいる美女オペレーターがいないかって?」
「ご名答」
スコットは右手で顔を覆うと溜め息を吐いた。あの時のケーシー大佐の表情は何とも言えないもので「ただの噂だと思うけど」と言葉を選びながら尋ねてきたのだ。その気遣いを思うだけで胃がキリキリと痛んだ。
「その小さな娘はイヴァンとかイレーヌって名前らしいわ。それでその美女オペレーターと娘さんは実在するのかしら?私が知らないだけで」
「いるなら僕もお目にかかりたいね」
投げやりなスコットにケーヨは思わず小さく笑った。
「それでどうするの?」
「一応ジョンにも確認した。5号にはお前とEOSだけかって」
その時のジョンはキョトンとしたかと思えば、みるみる内に綺麗な顔を不愉快そうに歪めた。
「たまに近くのステーションの人が来ることはあるけど基本的に僕とEOSだけだ。気になるなら履歴を調べればいい。生憎スコットみたく手当たり次第に女性を連れ込む趣味はない」
「僕だってそんな趣味はない」と言いかけたが、ここで争っている場合ではない。
「何で僕が流れ弾に当たらないといけないんだ…」
不満そうに頬杖をつくスコットをケーヨは「スコットが総司令官だから」と気持ちばかり慰めた。

「間違いなくただの噂だ。だけどその噂がどうやって出来たのかが知りたい」
手がかりはEOSだ。iRメンバーの名前は知られていてもEOSの名前はまだケーシー大佐を含む一部の人しか知らないはずだ。弟達にGDFのメンバーにEOSの話を最近したかを確認しつつ、ケーシー大佐にも噂の出所を辿ってもらう必要があるだろう。
やるべき道筋は見えたが再びスコットは溜め息を吐いた。
「レスキューでもなく、こんなことでケーシー大佐と連携を取ることになるとは…」
微妙な表情を浮かべるスコットにケーヨも同感だと言わんばかりに肩を竦めてみせた。


蓋を開けてみれば話は単純だ。
スコットに聞かれたゴードンが「そう言えば数日前にEOSの話をした」と言ったのだ。GDFの相手にも確認したところ、話の全貌が掴めてくる。ゴードンがEOSを「ジョンの娘。ジョンが生んだ」と表現したのを通りすがりの誰かに聞かれて悪気なく話が広まって行ったのだろう。
「ドアを開けていた私の落ち度です。申し訳ありません」
青ざめた顔で頭を下げるGDF職員にスコットは「元はと言えばこちらの言い方が悪かっただけですから」と職員を気遣うように眉を下げた。だがそんなスコットのシャツの袖をゴードンが不満そうに引っ張った。
「EOSはジョンから生まれたプログラムなんだからジョンの娘で間違ってないよね」
「間違ってはないが100%誤解を招く言い方をしたのはお前だ、ゴードン」
「間違ってないならいいじゃん」
「少し黙ってろ。お前との話は後だ」
ケーシー大佐の前で兄弟の諍いをする訳にもいかない。レスキュー中のように指示を出せばゴードンは渋々と黙った。
「迷惑をかけたわ。こちらの噂については私が責任を持って対処するわ」
「ありがとうございます、ケーシー大佐。でも否定よりも噂の収束をお願い出来ませんか?」
もう一度「オペレーターは美女に見えるけど男性だった」と噂が流れれば「じゃあ娘を産んだってどういうことだ?」となるのは火を見るより明らかだった。これ以上情報を提供して騒ぎ立てられるのはiRにとって、何よりジョンにとって面白い話ではなかった。
「えぇ、iRへの余計な詮索をしないように徹底させるわ」
人の噂も七十五日。元々秘密組織であるiRなのだから上層部から詮索をするなと言われれば噂は次第に消えていくだろう。
(GDFはこれでいい…)
スコットはケーシー大佐のホログラムが消えた空間を見上げながら胸の内で呟くが、次の仕事を思うと気分は重たくて仕方なかった。

「ジョンにも言わないとダメかな?」
「そうね。ジョンは当事者だから」
ケーヨに言われればスコットは何度目かわからない溜め息を吐いた。ジョンに話すと言ってもここで話す訳にもいかない。夜の定時連絡の時にさらっと事実だけを伝えて終わりにしようと、とりあえずコーヒーを飲みに重い足取りでキッチンに向かった。
当事者の1人であるゴードンはケロッとした顔でアランのゲームをしていて、スコットは思わずゴードンを睨んだ。

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