阿吽の呼吸

目を開けると辺りは黒一色だった。
(…何が起きた?)
ジョンはどちらが上かもわからない暗闇で静かに息を整えた。先ず落ち着くこと。それは父親から何度も何度も言われた言葉だ。iRの頭脳は常に冷静でなくてはいけない、と。
伸ばした指に瓦礫が触れるとジョンは少しずつ状況を理解し始める。どうやら建物の倒壊に巻き込まれたようだ。ゆっくり体を起こすとパラパラとコンクリートの破片が床に落ちる。
「EOS、状況を教えてくれ」
ジョンが呼びかければ暗闇に淡い光が浮かんだ。


その日、ジョンは父親の友人を訪ねていた。元々は父親の友人ではあるが、ジョンの天文学の先生でもあり、ジョンの年の離れた友人でもあった。リビングには長方形のダイニングテーブル、その上に年代物のシャンデリアが吊るされている。ダイニングテーブルの横には大きな絵画が飾られていて、どこか母親に似ているこの肖像画がジョンは好きだった。
「珍しい隕石が手に入ったんだ。持ってくるから待っていてくれ」
嬉々としてリビングを出ていく友人を見送るとジョンは絵画の前に立って慈愛に満ちた微笑みを浮かべる女性を眺めていた。
そこに地震が起こった。
カタカタと小刻みに縦揺れするのに気づいた数秒後には下から突き上げるような強い衝撃が家全体を襲った。立っていられない程の衝撃にバランスを崩し床に叩きつけられる。その拍子に椅子で頭を打って意識を失ったのだろう。

「ジョンのいる場所は2階部分に押し潰されている」
「そんな酷い状況なのか」
それなら何故自分は無事なのだろう。腕の端末で辺りを照らせば、絵画の女性の顔が直ぐそこにあった。どうやら壁から外れた絵画がダイニングテーブルに立てかかり、倒れたジョンとの間に空間を作ったようだ。それは身を呈して降り注ぐ瓦礫からジョンを守っているように見えた。
(ママが守ってくれたみたいだ)
ジョンは絵画の女性に礼を言うと絵画の下から這い出た。おでこに痛みを感じて手で触れれば、ぬるりとした感触があり、見なくてもそれが血だと理解した。立ち上がったことで血が頬に流れるが、そこまで酷い出血ではなさそうだ。ジョンは袖口でおでこを押さえた。
この家は高台に建っているが地盤としては然程強くない。それに建物の年数が経っているので今回の惨事に繋がったのだろう。とは言え、あれだけの揺れだ。下の町も無傷とは到底思えなかった。

1階部分の天井が抜けて寝室であったであろう2階が見えている。ベッドは無惨にも1階に叩きつけられていて、もしあの下に立っていたら、と背中に嫌な汗が伝った。
窓は瓦礫と棚に塞がれ室内は薄暗い。
時折切れた配線が火花を散らし、歩く度に割れたシャンデリアの破片が嫌な音を立てた。
「ヘンリーさん?大丈夫ですか?」
ジョンは周囲を照らしながら友人の名前を呼ぶが返事はない。2階から落ちてきてないか慎重に見て回ったがどうやらこの部屋にはいないようだ。
「ジョン、そこに長くいない方がいい。余震の可能性50%」
「FAB。今出るよ。それとサンダーバード2号を出動させてくれ。ゴードンとアランも一緒に」
人手は多いに越したことはない。生憎スコットは父親の会社に出社しているので来れないだろうが。
ジョンは歪んで半開きになったドアの隙間に身を滑らせて廊下に出た。


廊下は頭上に明かり取りの窓がある分、幾らか明るい。ただその窓ガラスが床に飛び散っていて、今も破片が落ちてくるので油断は出来なかった。
「ヘンリーさん?」
廊下を曲がると玄関ホールと2階に続く階段がある。壁が崩れ、ホールに飾られていた花も花瓶ごと床に散らばっていた。ホールから階段に視線を移せば階段の踊場に人が倒れているのを見つけ、ジョンは慌てて駆け寄った。
「ヘンリーさん!大丈夫ですか!」
頭に衝撃を与えないように肩を叩きながら呼びかければ、ヘンリーはボンヤリとしながらも意識を取り戻した。
「…君こそ大丈夫か?血が出ているようだ」
あぁ、君に傷をつけたと知られたらジェフに怒られてしまう、と場違いな心配をする友人にジョンは「そんなことを言っている場合じゃありません」と助け起こそうと手を差し伸べた。
「待ってくれ。足が動かないんだ」
「足が?」
足を照らせば彼の左足に崩れた壁や瓦礫が覆い被さっていた。
「今どかします」
「いや、それより早く逃げた方がいい。君までここにいる必要はない」
その言葉にジョンは小さく笑った。
「ここで貴方を置いて逃げたなら僕が父に叱られてしまいます」
ジョンは瓦礫を掴むと体重をかけて1つ1つ退かしていった。鋭い割れ目の瓦礫で指先が切れる。血が滲むも、ここに長居も出来ないので流れる血も気にせず作業を続けた。
(バージルやゴードンならもっと軽々と退けるんだろうな)
そんなことを思えば無意識に口を尖らせた。別に自分が非力な訳ではない。あの2人が筋肉質なだけだ。それにアランよりは速いはずだ。そんな思いを込めながら最後の大きな瓦礫を退かした時にはジョンの額や首筋は汗でびっしょりと濡れていた。
「立てますか?」
友人の腕を肩に回して立ち上がる。
玄関に向けて歩き出すと、そこにEOSからの通信が入った。
「ジョン、悪い知らせ」
その物言いにEOSも随分と人間らしくなったと微笑ましく思うが、隣の友人は突如聞こえた幼い少女の声に驚いた顔をした。
「何があった?」
「発電所にエネルギーが集中している。このままだと爆発する恐れがある」
もし発電所が爆発すれば町の半分が吹き飛ぶ。余震に加えて発電所の爆発。ジョンは「賑やかで何よりだ」と首を振ってみせた。
「わかった、僕が行く」
サンダーバード2号の到着まで後20分はかかるという。ジョンの判断は早かった。
「ジョンならそう言うと思った」
EOSの声は明るい。きっと緑色のランプが点滅しているんだろうなとジョンは思った。


「本当に行くのか?」
家から脱出をして、大きな木の下に避難した友人は心配そうにジョンを見上げた。
「えぇ、任せてください」
「僕もiRの一員ですから」と言う代わりにジョンは安心させるように微笑んだ。血と埃で汚れていても、その笑みはとても綺麗だった。
「発電所までは距離がある。裏にバイクがあるから良ければ使ってくれ」
「ありがとうございます」
バイクの解除コードを聞いたジョンは裏庭に急ぐ。幸い壊れてはいなかったようで、解除コードを入れればバイクは直ぐに起動した。
「EOS、発電所までの最短ルートを表示してくれ」
ジョンが言えば間髪いれずにマップが映し出される。
「EOSがいてくれて助かるよ」
ハンドルを回せばバイクは唸り声を上げ、そのままEOSが表示したルートに走り出せば「バージルとゴードンが『ジョンはバイクを運転出来るのか?転びそうだ』と心配している」とEOSの声が端末から聞こえた。そしてその後ろから「EOS、それは言わなくていいから!」や「ジョンならバイクだってお手の物だ!」という慌てた声や白々しいフォローの声も。
「EOS、『余計なこと言ってないでトップスピードで来い』と伝えてくれ。発電所に着いたらまた連絡する」
ジョンは冷たく言うと、まだガヤガヤと騒がしい交信を終了させた。
発電所までの道は平坦でない上に先程の地震で所々荒れている。ジョンは障害物を避けながらも迅速に発電所にバイクを走らせた。

※※※※※

「EOS、発電所に着いた。コントロール室はどこだ?」
「地下1階。左側の階段を降りて右側突き当たり」
「FAB」
「急いで。内部のエネルギーが危険値まで上がっている」
ここで爆発を起こせばジョンは跡形もなく吹き飛ぶだろう。そんな危険を微塵も感じさせずジョンは冷静に「ブレインズに繋いでおいてくれ」と言った。

EOSの言う通りに左側の階段を降りて右側の廊下を進むと目の前に厳重にロックされたドアが見えた。しかしその厳重なロックも今はEOSが回線に侵入して解除されている。手動で横に引けば開くはずだった。開くはずだったのだが…
「EOS、ドアが開かない」
ジョンが言えばEOSは自分の仕事を疑われたと思ったのか「システムの解除は完了している」と強い口調で返した。その様子がむきになった子供のようでジョンは「EOSを疑っている訳じゃない」と笑いを堪えながら言った。
「僕は『ドアが開かない』と言っただけだ。システムは解除されているなら別の要因を考えて排除するのが僕達の仕事だ」
ジョンの言葉に納得したのかEOSは考えるようにクルクルとライトを点滅させた。
「地震でドアが変形した可能性がある」
「正解。上で引っかかっているようだ」
ジョンが全力で引いても20p程しか開かない。流石にこの隙間は抜けられそうにない。
「EOS、解決案は?」
EOSは再度クルクルとライトを点滅させたが、やがて「ジョンがもっと頑張る」と答えた。その答えにジョンは「精神論で来るとは思わなかった」と苦笑いを浮かべた。
「でも僕もそう思うよ」
20pの隙間に足を入れるとジョンは思いきりドアを蹴飛ばした。


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