兄だから

それはバージルが鬱々とした気持ちで日々を過ごしていたある日のこと。
スコットからGDF本部についてきて欲しいと言われたバージルは驚いた顔で「僕?」と聞き返した。
いつもならスコット1人で行っているGDF本部についてきて欲しいとは何かがあったに違いない。iRに関わる何かが。しかしそれならば自分よりジョンの方が適任ではないかとバージルは思うのだ。ジョンはiRのオペレーターであり、謂わば全ての窓口となっている。GDFへの発言力としてはスコットに次ぐと思うのだが。
スコットはそんなバージルの考えを見透かしたように「バージルについてきて欲しいんだ」と重ねて言った。
「それは構わないけど…」
「助かるよ。それじゃ明日の昼前に出発で頼んだ」
スコットはバージルの肩を軽く叩くとラウンジを出て行く。その表情はいつも通りだが、GDF本部に行くとなれば何かが起こっているのだろう。それを微塵も感じさせないスコットにバージルは(すごいな…)と兄の背中を見送った。


翌日。いつものようにギャーギャー騒いでいるゴードンとアランの仲裁をしているバージルの腕をスコットが掴んだ。
「そろそろ準備をしろ」
「もうそんな時間か」
「え?スコットとバージル出かけるの?」
「どこ行くの?」
さっきまで取っ組み合っていた剣幕は何処へやらゴードンとアランはキョトンとした顔でスコットを見上げた。
「GDFだ。いいか、お前達。今から仲裁も後始末もしてくれるバージルはいないんだ。考えて行動するんだぞ」
スコットが子供に言い聞かせるように言えば、ゴードンとアランは顔を見合わせて「わかってるよ」と小声でいった。
ここ数日、ゴードンとアランは何故かいがみ合うことが多い。きっかけは些細なことでも気づいた時には取っ組み合いの喧嘩になっているのだ。そしてその喧嘩を収めるのはいつだってバージルだった。
「夜には戻る。ジョン、何かあったら連絡してくれ」
「FAB。そっちは任せた」
浮かび上がったジョンのホログラムが頷く。
スコットとバージルは肩を並べて格納庫へ向かった。

※※※※※

「確かに受け取ったわ」
GDF本部のケーシー大佐の部屋。
スコットからフッドに関する情報の入ったチップを受け取ったケーシー大佐はチップを鍵のかかる引き出しにしまった。
「わざわざ届けてもらって悪かったわ。それも2人で」
「いえ、手渡しが一番確実ですから。それにこのあと予定があるんです」
スコットがケーシー大佐に微笑めばケーシー大佐も「そう言ってもらえると助かるわ」と端正な顔に小さな笑みを浮かべて返した。
「それでは。バージル行くぞ」
てっきり会議でもあるのかと身構えていたバージルは意外な展開に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で事の成り行きを見守っていた。
「あ、あぁ…ケーシー大佐失礼します」
スコットの後を追ってケーシー大佐の部屋から出るとスコットは一仕事終えたような顔で背伸びをしていた。
「スコット、会議はこれからなのか?」
「会議?GDFでの用事はこれで終わったよ」
「え?チップを渡すだけならスコット1人でも…」
「このあと予定があるって言っただろ?そっちがメインだよ」
スコットはバージルに向かって片目を瞑ると軽い足取りでGDF本部を出ていった。


サンダーバード2号の機内で私服に着替えてから再び街に出る。
「食事に行こう」と言って歩き出したスコットは既に目星をつけていたのか、街でも有名なホテルへ入っていった。
「夜なら夜景を見ながらのディナーでもいいんだけど」
「僕を彼女とのデートの下見にしてないか?」
「まさか。弟と行ったレストランに女性をエスコートする度胸はないよ」
スコットとバージルは軽口を叩きながら上品なホテルの門をくぐる。ロビーは上質な調度品と豪華なシャンデリアに彩られている。
(あれ?ここって…)
見覚えのある光景にバージルが思わず足を止めると、1階のレストランに入りかけていたスコットが「バージル」と穏やかな声で呼んだ。
「どうした?」
「いや、何でも…」
後ろ髪をひかれる思いでバージルはロビーを後にするとスコットを追ってレストランに入った。
席についたバージルはウェイターから渡された期間限定メニューに目を輝かせる。ホテルには珍しく期間限定メニューはハンバーガーだ。ホテルならではの肉厚なパテに軽く焦げ目がついたバンズ、溢れんばかりのトマトと玉葱にとろけたチーズが絡まり思わず涎を誘った。
「僕はこれにするよ」
「じゃあ僕も同じものを」
飲み物と併せてスコットがウェイターに注文する。恭しく頭を下げたウェイターが席を離れると静かなクラシックが流れていることに気づいた。
昼時を少し外しているからか店内に人影は少ない。それにテーブル同士も離れているので会話を聞かれる心配もない。
「ここを覚えているか?」
スコットがいたずらっぽく尋ねればバージルはようやく思い出したのか膝を叩いた。
「覚えてるよ。ピアノのコンクールの帰りにここに来たんだ」
通りでロビーに見覚えがあると思った。
あの時は多忙な父親も来てくれて、コンクールの後にスコットとバージルをこの店に連れてきてくれたのだ。そして少し遅れてジョンを連れた母親も合流した。「おめでとう」と微笑んだ母親の姿を今でも鮮明に思い出せる。
バージルが懐かしがるようにレストランの入口を見ると、そこは記憶と全く同じ風景でバージルは思わずスコットを見た。まさかあの時と同じ席を予約したというのか。
バージルの驚く顔をよそに「お待ちかねのハンバーガーだ」とスコットは澄ました顔でウェイターが運んでくるハンバーガーに目をやった。


大きなハンバーガーは食べごたえがある。一口では収まらないハンバーガーにかぶりつくと、それぞれの素材の味が口一杯に広がった。それぞれが主張しているにも関わらず調和が取れていて素材の味を更に引き立たせている。
ハムスターのように頬を膨らませてハンバーガーを食べるバージルをスコットは楽しそうに見守っていた。
「おいしいか?」なんて聞かなくてもバージルの顔を見ればわかる。付け合わせのポテトを食べながらスコットは弟の無邪気な姿を飽きずに眺めていた。
「それにしても急にどうしたんだ?」
大きなハンバーガーを完食して口の端に付いたソースを拭うと、バージルはデザートのメニューを見ながらスコットに尋ねた。
外食がしたくなったのだろうか?
確かにキッチンモジュールは優秀だが、やはり外食はキッチンモジュールにない楽しさがある。だがそれならゴードンとアランも誘えば良かったのに。バージルの不思議そうな視線にスコットは何てことないように「バージルの元気がなさそうだったから」と答えた。
バージルはその答えに驚き、スコットの顔を凝視したがスコットは悠然とそれを見返した。そして先に視線を反らしたのはバージルだった。
「……スコットには敵わないよ」
息を吐いて頭を押さえる。バージルのそんな姿にスコットは「兄だからな」と軽く笑った。
「確かに気分が晴れない日が続いてたよ。この間のレスキューから」
この間のレスキューは後味の悪いものだった。ギリギリではあったが全員無事に助けられたものの、バージルを待っていたのは感謝ではなく罵倒だった。手順が悪いだのレスキュー方法が乱暴だの、挙げ句壊れた機材はどうしてくれるんだと。それに同調するかのようなGDF内のiRを快く思っていない一派の声。やり場のない鬱々とした気持ちがバージルを蝕んでいったのだ。そしてそれを聞いてしまったゴードンとアランもまたやりきれない思いを抱えていた。いくらジョンが正式に抗議をしたといっても聞いてしまった言葉は返せない。
そして鬱憤は兄弟間の不和へと繋がり、些細なことでも喧嘩に発展してしまっていた。それを仲裁するのがバージルなので疲れは2倍にも3倍にも膨れ上がった。
「僕が引き摺ってるからゴードンとアランにも悪い影響が出てると思うんだ」
「そうだな」
バージルの言葉にスコットは否定せずに頷いた。多感な時期だ。兄の声なき声を弟達は敏感に感じ取ってしまうのだろう。しかしそのスコットの声音は非難している訳では決してなかった。
「だからバージルの気分転換になればと思ったんだよ」
過ぎ去ったことはどうにもならない。
後は自分自身の問題なのだ。
「何にでも文句を言う奴はいるんだ。そんな奴の言葉に縛られるなんて時間の無駄だ。それに僕はバージルの判断は間違ってないと思ってる」
スコットはそう言うと手を上げてウェイターを呼んだ。
「好きなだけ食べて忘れるんだ。おいしいものは人を幸せにしてくれる」
スコットは笑窪を見せるが、「ゴードンとアランには内緒にしろよ。僕達も連れて行けと面倒なことになりそうだから」と小声で付け足した。
「わかってるよ」
バージルは笑いながら側まで来たウェイターにデザートのイチゴパフェとフルーツタルトと季節のジェラートを注文する。チーズケーキを頼むスコットを見ながら(本当にスコットには敵わないな)とバージルは胸の内で呟いた。
頼もしい兄の横顔にはまだまだ追い付けそうになかった。


食事を終えたスコットはバージルをとある店に誘った。
そこは大きな画材ショップ。
絵画に縁のないスコットにはさほど興味をひかれる店ではないが、バージルは店内に入った瞬間から興奮ぎみに視線をあちこちに向けた。
「ゆっくりどうぞ」
「ありがとう、スコット。最高の日だよ」
そう笑顔を見せるバージルに今朝までの鬱々とした影は見えない。
「兄だからな」と茶化すように言うとスコットはバージルに笑いかけた。


「バージル…そろそろ帰らないか?」
「うん、もう少し」
「さっきもそう言ってたぞ」
画材店に入ってから2時間。一向に帰る気配もなく画材を選び続けるバージルにスコットは疲れた表情を隠そうともせずに言った。
「もう店ごと買い取ってもいいから帰らないか?」
「そういうことじゃない。我慢してくれ。兄なんだろ」
「いや、そういう使い方で『兄』は止めて欲しいんだけど」
真剣に絵の具を選ぶバージルは振り返ろうともしない。
(まぁ、いいか)
バージルが元気になったならそれでいい。
スコットはそう心から思いながらも、時計を見ては困惑げに眉を下げるのだった。
- 139 -
[*前へ] [#次へ]
戻る
リゼ