ぼくのおにいちゃんごっこ

それはフッドに仕掛けられた罠だった。

緊急信号を追って辿り着いた一軒の廃墟。サンダーバード2号で現場に着いたバージルとゴードンは機体から降りると慎重に廃墟に近付いた。朽ち果てた玄関は軽くドアを押しただけで蝶番ごと外れ、ゴードンは倒れてくるドアを慌てて避けた。
人が住んでいる形跡もなければ、生体反応も緊急信号も確認出来ない。
(誤報かイタズラか…)
バージルとゴードンは顔を見合わせた。
「嫌な感じだ。深追いしないで戻れ」
ジョンの声が通信機から流れる。
バージルは少し考える素振りを見せてから「一応中を確認してから戻るよ」と答えた。
「バージル」
「念のため、だよ。もしかしたら倒れてる人がいるかもしれないだろ?」
何か言いたげなジョンを遮ると、バージルは安心させるように笑いながら朽ち果てた玄関を潜った。その後ろにゴードンも続く。
「わかった。その代わり何かあったら直ぐに呼んでくれ。これからアランの方に付きっきりになりそうだ」
「FAB。アランに頑張れと伝えてくれ」
アランが宇宙ステーションのレスキューに向かったのは昨夜のことだ。ようやく現場に着いたのだろう。バージルの言葉にジョンは短く応えると通信を切った。
「それじゃ、捜索と行こうか」
ゴードンは床に積もった埃の上に残る足跡を見ながら言った。足跡は部屋の奥に向かっているのが1つと、部屋から戻ってきているのが1つ。普通に考えれば誰かが廃墟入って出ていったのだろう。足跡が続いている部屋を確認すべく2人は歩き出した。

「イタズラだったか」
「イタズラって言うより罠じゃない?」
がらんとした部屋の中にはボロボロのテーブルが1つ。そのテーブルの上にこれ見よがしに箱が置かれていた。床には電源の切れた緊急信号の発信器が転がっている。バージルは肩を竦めるとゴードンに「帰るぞ」と言った。
「待ってよ。この箱が気にならない?」
「怪しいものには触るな。また地震でも起きたらどうする」
「でもこのまま帰ったら『あの箱は何だったのかな?』ってずっと後悔するんだよ」
「するか。2号に乗った時点で忘れてるよ」
バージルは再びゴードンを促すと部屋を出ようとした。ゴードンは不満そうにその背中を眺めていたが、バージルが部屋のドアまで行くと忍び足で箱に近付いた。そしてソッと手をかける。不穏な空気に気付いたバージルが「ゴードン!」と声を荒らげるのと同時にゴードンは勢いよく箱を開けた。
途端に噴き出した白い煙がゴードンを覆い尽くす。
「ゴードン!」
毒ガスかとバージルは慌てて駆け寄りながらヘルメットを被りゴードンを煙の中から助け出そうとした。しかしバージルが掴んだはずのゴードンの腕はいつもの筋肉質な腕ではなく、ペラペラな、まるでレスキュースーツだけのような厚みだった。
バージルが混乱していると煙は次第に収まり、視界が晴れてくる。そして目の前の光景にバージルは目を疑った。

そこにいたのは3歳程の男の子。
だぼだぼのレスキュースーツにキョトンとした大きな瞳でバージルを見上げるのは紛れもなく幼い頃のゴードンの姿。何が起こったのかわからずにバージルが小さなゴードンの前に座り込むと、小さなゴードンは幼子の声で「バージル、大きくなった?」と首を傾げた。その物言いは普段のゴードンそのままで、バージルは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「お前が縮んだんだよ」
「どうりでレスキュースーツが大きいと思った」
ゴードンは袖をプラプラと振る。そしてこの状況を本当に理解しているのか「体は子供、頭脳は大人ってやつだね」と白い歯を見せた。
「そんなこと言ってる場合か!戻る方法を
考えないと」
「大丈夫だよ、バージル。こういうのは数日で戻るってのがセオリーだから」
「お前が言った『体は子供、頭脳は大人』は20年以上そのままだぞ…」
「えー、それは困るな」
ゴードンはさほど困ってなさそうに小首を傾げた。
「とにかくブレインズに見せないと」
バージルはゴードンの小さな体を抱え上げた。サッシュやブーツも回収すると急ぎ足でサンダーバード2号に走った。
「ねぇ、僕何歳くらいなの?」
「よくわからないが…3歳くらいじゃないか」
「そんなの天使みたいに可愛い時じゃん!」
「お前な…」
まるで緊張感のないゴードンに呆れながらもバージルはトレーシー・アイランドに急いだ。

※※※※※

「嘘だろ…本当にゴードンか?」
アランのレスキューを終えて、ゴードンの状況を知ったジョンは半信半疑ながらもトレーシー・アイランドへ降りてきた。
それまでにブレインズのチェックを受けて体調に問題ないこと、2〜3日でガスの成分は抜けて元に戻ることを知らされていたスコットとバージルは落ち着きを取り戻していたが、初めて小さなゴードンを見たジョンは恐る恐るバージルの腕からゴードンを受け取った。
洋服はかろうじてアランの服が残っていたのでそれを着せた。2〜3日は海中のレスキューは出動出来ないが、ゴードンが元気そうなことと元に戻ることに安心して、何より小さなゴードンの可愛いさにスコットもバージルもケーヨまでもが破顔していた。
「ゴードン…」
ジョンの動揺した声にゴードンは思わずジョンの腕を掴んだ。それを不安だと勘違いしたジョンは腕の中のゴードンに優しく微笑みかけた。
「大丈夫だ。僕達が何とかするから」
安心させるような優しい声と表情はゴードンが今まで見たことがないもので。ゴードンは大きな瞳を更に大きくしてジョンを見上げた。
「ジョン、そんなに心配するな。ちゃんと戻るし中身はゴードンのままだ」
バージルがそう言えばゴードンはバージルとジョンを見比べてから、甘えるようにギュッとジョンに抱きついた。
「そうだな、どんな姿でもゴードンはゴードンだ」
ジョンは中身まで幼くなっていると信じきっている。否定せずにジョンの優しさを享受しようとするゴードンの姿にバージルは何とも言えない顔で黙った。

「ジョン、今日は5号に戻らないのか?」
「ゴードンがこんな状況で戻れる訳ないだろ」
意外そうなスコットの声にジョンは不機嫌そうに返した。だが、直ぐに腕の中のゴードンに「ゴードンを責めてる訳じゃない。スコットが訳わからない事を言い出したからだよ」と不機嫌をフォローするように言った。中身はそのままだと知ってるスコットは複雑そうに眉を下げた。
ついさっきゴードンの余りの可愛さに構い倒していたら真顔で「やめて。しつこい。お金取るよ」と言われたばかりなのだ。それがジョンの前では無垢な幼子に成りきっている。ジョンにバラしてしまおうかとスコットが考えていると見透かしたようにゴードンがスコットを睨んだ。もちろんジョンには気付かれない角度で。


ゴードンがジョンの腕の中でアクビをする。体が小さな分、体力も少なくなっているようだ。眠たげに目を擦るゴードンにジョンは「昼寝するか?」と問いかけた。
「寝かしつけなら僕が行くよ」
スコットがデレデレとした顔で手を伸ばすと、身の危険を感じたゴードンが「スコット、イヤ…」とジョン抱きついた。ジョンは「ゴードンに何をした?」と言わんばかりの目でスコットを睨むと「僕が行くよ」とゴードンに微笑んだ。
「ジョンのベッドで寝る」
「あぁ、いいよ」
「おやすみのキスは?」
「もちろん」
ジョンがゴードンのぷにぷにした頬にキスを落とした。要求が簡単に通ることにゴードンはジョンに見えないようにニヤリと笑う。それをしっかり見ていたバージルが「ジョン、ゴードンの顔を見てみろ」と言えば、ゴードンは慌てて無垢な幼子を装った。
「…バージル、こわい」
ジョンにしがみつくゴードンに、ジョンはバージルに「ゴードンを怖がらせるな」と嗜めた。
「部屋に行こう」
ジョンが部屋に向かって歩き出すとゴードンはジョンの肩越しにバージルを見ると、挑発するように悪い笑みを浮かべた。

「アイツ、いつか痛い目見るぞ」
「可愛いからいいじゃないか」
噛み合わない長男にバージルは溜め息を吐いた。

※※※※※

目を覚ますと隣にジョンがいた。
寝かしつけてる内に寝てしまったようだ。ゴードンはまじまじとジョンの顔を覗き込む。整った顔立ちに長い睫毛。兄弟の中でも特に綺麗な顔をしているとゴードンは思う。こんな近くでジョンを観察できるとは、とゴードンは笑いを噛み殺した。ついでにジョンの頬にキスをすると、ジョンを起こさないようにソッとベッドを降りてジョンの部屋を出た。

「何をしてるんだ、ゴードン」
ラウンジで小さな手で端末を操作するゴードンにバージルは後ろから声をかけた。
「やぁ、バージル。ご機嫌いかが?」
「お前のせいでジョンに睨まれた以外は順調だよ」
「それは良かった」
バージルの皮肉もものともせずにゴードンはニヤリと笑った。そして端末の画面に視線を戻す。バージルも後ろから覗き込むとそこには「3歳 成長」「3歳 仕草」といったキーワードが映し出されていた。
「何だこれは?」
「それっぽくしないとバレちゃうからね」
天使の皮を被った悪魔のような弟にバージルは諦めの表情を浮かべた。
「化けの皮は簡単に剥がれるぞ」
「そこは完璧にやるよ。だってジョンがあんなに甘やかしてくれるんだ。これを逃す手はないね」
「本当にいい性格してるな」
「褒めてくれてありがとう」
ゴードンはバージルを振り返るが、その視線の端に人影を見つけると慌てて端末の電源を落とした。そして一目散に廊下に向かって走り出すとラウンジに入ってきたジョンに飛び付いた。
「ゴードン、ここにいたのか」
「おなかすいた」
「もうすぐ夕食だ。それまで待てるか?」
「うん!」
「いい子だ」
ジョンがゴードンの頭を撫でれば、ゴードンは嬉しそうに笑った。
「ジョン、騙されてるぞー」
バージルの細やかな忠告はゴードンの「ハンバーグ食べたい!」という力業な妨害行為によって遮られた。


「ゴードン、僕の膝の上に座っていいぞ」
「スコット、イヤ。ジョンがいい!」
「仕方ないな」
ジョンはゴードンを膝の上に座らせると半分に割ったベーグルを手渡した。
「ゴードンはジョンっ子だな」
「ジョンには正体がバレてないからな」
スコットの言葉にバージルが返せば、ジョンが聞き返すより速く、ゴードンがバージルに向かってスプーンを投げた。
「ゴードン。スプーンは投げるな」
「はーい」
声だけはいい返事だが、ゴードンの目は「余計なことを言うな」と如実に物語っていた。

それでも表面上は和気藹々と夕食は続く。
ジョンがゴードンの口の端についたパン屑を取ってやり、スコットがシチューを食べさせようとしてゴードンが真顔で拒んだり。子供には食べさせられないとジョンがおばあちゃんのクッキーをバージルに押し付ければバージルの頬がひきつった。それを見ながらゴードンが「クッキーおいしそう!バージルいーなー!」と悪質な合いの手を入れる。バージルはおばあちゃんのクッキーをスコットの前に追いやると「そう言えば…」と話題を変えた。
「ゴードン用にアニメでもダウンロードするか?ほら、カクレクマノミが主人公のアニメがあっただろ」
「違うよ、バージル。ニモはカクレクマノミじゃなくてクラウンフィッシュ。ニモの舞台はオーストラリアの大サンゴ礁グレートバリアリーフだからカクレクマノミの生息分布域と異なるんだ」
「じゃあカクレクマノミの生息分布域はどこだ?」
「沖縄からフィリピン、インドネシアなどの西部太平洋だよ。ちなみにジョークが得意って設定もクラウン、つまりピエロとかけてるんだ。ジョークが得意な魚なんて、まるで僕みたいだ」
ゴードンは楽しそうに話すが、バージルが悪い笑みを浮かべていることに気付くと(しまった…)と口を噤んだ。バージルの誘い水につい乗ってしまった。背後のジョンも不思議そうな顔をしている。変な空気を一蹴したのはスコットの「やっぱりゴードンは天才だな!」という声だった。ジョンの膝の上からゴードンを抱き上げると力強く抱き締めた。息苦しいが疑惑の目が逸らせるならとゴードンは楽しそうな声を上げてみせた。

※※※※※

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