こたつと蜜柑


「ぬあ゙っ!?」


真田弦一郎、十五歳。眼前に広がる光景に奇妙な声を上げてしまった。菓子、携帯電話、雑誌、漫画本、ちり紙、ラケット、テニスボールがこたつを取り囲むように散らかっている。足を踏み入れることを躊躇う程だ。

テレビの音だけが響く寒い部屋の中央に置かれたこたつの向こうから、健康な小麦肌には程遠い不健康な白い手が飛び出した。


「……っ、××?」


こたつの上に置かれた蜜柑を掴んだそいつに問いかけると、何も返ってこなかった……。眉を垂れ下げた直後に、ふっと息を吐く音が耳に届く。


「ふ、ぎゃはははははっ! あひゃひゃっ、ひいひひっ、ぶわはははははっ! うぇっ」

「な、何がそんなにおかしい?!」


原因を探るために回り込むと、奴はこたつに四肢を放り投げ、画面の向こうの芸人を仰ぎ見て大笑いしていた。


「……テレビか、そうかそうか……」


俺自身を笑われたのではないことに安堵し、実に清々しい笑いだと感心してはいないぞ。

例えだ、××に笑われたとしても傷つかん。俺は不動なる精神を手にし……


「あー、良いところだったのに、残念無念」


……たはずなのだが、俺の存在を気にも留めず、テレビのコマーシャルを残念がる××を前にすると、いとも簡単に揺らいでしまう。

人を電話で呼び出しておいて知らんぷりか。この有り様で鍵もかけずにいる警戒心の無さには呆れを通り越して何も感じられんな。

××は仁王立ちで睨む俺と目すら合わせず、体勢を変え、荒い手つきで雑誌を退けながらリモコンを探し、唸る。


「どこに行ってしまわれたのですか……」

「……これだろう」

「あ、真田くん、こんにちは。ありがとう」

「あ、××、こんにちは。礼を言われるまでもない。リモコンがある場所は把握済みだ」


こたつでテレビを鑑賞中、微睡む××がリモコンを手で弾き飛ばす様は想像に難くない。開いて置かれた漫画本の下に潜り込んでいたリモコンを××に手渡すと、彼女はザルに入った蜜柑を指差した。


「これ、近所のお姉さんから美味しい蜜柑をいただいたので、どうぞ」

「ああ、心遣い感謝する。……って、違う。お前は昼間から何をしている?」

「あー、何って、おこたでぬくぬくー」

「ぬくぬくー、ではないだろう。寝転がって蜜柑を食べるな、行儀が悪い」


蜜柑を奪い取って座るよう促すが、返ってきたのは嫌そうな溜め息と嫌そうな眼差し。


「はあ、もう起き上がるのも面倒でね……。うわっ、また長いCM……」

「……ふむ、これは一喝した方が……」

「……あ、真田くん、今からお手洗いに行ってきますから、番組が再開したら呼んでくだ寒いぃぃい! うわぁぁ……ぁぁあっと!」


××は風の如く便所へ向かい、風の如く戻り、山の如く立ち塞がる俺の一瞬の隙を突き、とても爽やかな笑顔でこたつに横になった。

振り返りざまに壁を叩き、声を張り上げる。


「たわけが! 寒さに負けていては不動なる精神を手にすることなど出来はせんぞ!」

「おこたの暑さに耐える勝負をしましょう」

「たるんどるぞ、××!」

「このままでは真田くんの負けですねー」

「ふんっ、そんなくだらん挑発に俺が乗ると思ったか? 早くこたつから出んかー!」

「やだ」

「よ、齢十五にして、未だ幼稚な発言を……その曲がった根性を叩き直してくれるわ!」


小さな手と布団を引き離し、両の細腕を掴み引っ張る。するとこたつが動くではないか。……そっと脇からこたつの中を見る。寒いと喚く××は足を机の脚に引っ掛け、頑として出たくないようだ。どうしたものか。


「たまには休むことも大切です」

「それがゴロゴロか? ……良いか、××。休むというのはただ眠ることではないのだ。『己がしたいことをする』それが心の休息」

「私はゴロゴロしたいっ!」

「……貴様は一生こたつと仲良くしていろ」

「夏場は扇風機ですから一生は無理ですね」

「……帰る。俺を放って、こたつと扇風機と一生仲良くしていろ」


背中を向け、前に出した足を止めた。もぞもぞと動く××の気配を感じ、口を開く。


「……風邪、引かぬようにな」

「申し訳ございません!」

「はっ、謝れば済む問題ではない。出ろ!」

「抱き締めて温めてくださったら出ますよ」

「む、むぅ……」


帽子と上着を脱ぎ、散らかった物を退けるとこたつに足を入れた。

……ふむ、気が抜けてしまうな。

「据え膳食わぬは男の恥」と文句を垂れる××が蜜柑を差し出したので、意図を読み取り渋々受け取る。堪えていた息を吐き出しつつ蜜柑のくぼみに爪を立てた。


「男とて選り好みくらいする。何よりだな、男が大切な女を泣かせたとなれば末代までの恥と言えよう」

「……真田くん、おこたに入ってぬくぬくのだらだらになってしまいましたか?」

「なっとらん。なんだ、照れ隠しか?」


丸い形に沿って皮を剥いていると、こたつの下で足を太股に乗っけてぐりぐりしてきた。図星のようだ。耳まで赤い。


「奥手が調子に乗らないでください。柳くん柳生くん辺りに教えてもらったのですか?」

「む、何をだ?」

「て、照れ隠しと口説き文句」

「照れ隠しの件は幸村だ」

「予想の斜め上を行きましたね、はあ……」


重みがあり一粒一粒形の整った蜜柑をあらゆる方面から確認し、頷く。花に見立てた皮に実を置き、机に突っ伏した××の前にやる。


「我ながら綺麗に剥けたぞ」

「……白い部分は要りません」

「蜜柑の白い筋は栄養が豊富なのだ。食え」

「やだ。もう自分で剥きますよーだ」

「お前は変なところで几帳面だな……」


こたつの下で行われる攻防は、激しさを増す一方だ。胡座を止めて攻撃に転じ、時に手を使って防御する。部屋にはテレビとこたつの金具に足をぶつける音が響き続けた。


「……あなたの後方21.4cmにあるティッシュを取ってください」


対象との距離を正確に把握しているとは……こいつ、ついに新境地に辿り着いたのか。

無我の奥の三つの扉。百練自得の極み・才気煥発の極み・天衣無縫の極み。これらを会得する素質を持たぬ者が辿り着ける妄の扉──


「──多流ん怒留の極み」


多量の水が流れ出ることを止めるダムの如く強靭な怠け具合は、菩薩と呼ばれる穏やかな者でさえ怒りを覚え、崩れ去る理性を留めることが出来ずに激昂すると言われる。

こたつ周辺に散らばる物品との距離を正確に把握し、手の届く範囲に物品を配置する応用技まで見せつけていたとはな……やりおる。

俺は確信した。××を殴る必要がある、と。力を込めた拳を頭に向かって振り落とすと、むにゅっと柔らかく温かいものに触れた。


「……抱き枕を盾にするとは、卑怯だぞ」

「パーを出しています、叩いて被ってじゃんけんぽんです。それから、殴るならほっぺ」

「跡が残ると困る」

「誰にも言いませんよ。この抱き枕のようにあなたのサンドバッグにされているなんて」

「俺の真意を理解した上で茶化すな」


意地の悪い笑顔を向ける××から顔を背け、後方21.4cmにあるちり紙を渡す。蜜柑の白い筋を剥いてちり紙に置く彼女を一瞥し、素早く剥いた蜜柑を口に含んだ。


「うむ。たまらん蜜柑だな!」

「……2個……いいえ、4個程を剥いて……全てを一気にいただく……ふ、たまらん!」



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