姉 大きなベッドで共に寝た彼の姿はなかった。 歯磨き、洗顔などの身支度を整え、賑やかな食堂に足を運ぶ。厨房から顔を出し見下ろすジェリーに「蕎麦」と注文するユウを発見。 三つ編みたい、黒い髪がさらりと揺れた。 「おはよー、ユウ」 「……おはよう、○○」 「起こしてくれたらいいのに」 「ぐっすり寝てたろ」 「そっか、へへ」 「なんだよ、気持ち悪ぃ」 「んーん。ジェリー! 私天丼食べたいっ」 「はぁい、喜んで作るわー!」と軽快な返事が厨房の奥から聞こえる。背伸びして覗くとみんな忙しなく動き回っていて、美味しく食べねば、と強く感じる。 同意を求めてユウを振り向くと、彼はいつも伏せがちの目を大きく見開き固まっていた。 「ユウ?」 「……別に」 ぷいっと視線を逸らされた。素直じゃないところにも可愛さを見出だすのは姉の性かな。 「お・ま・た・せ。天ぷら同時に揚げられて助かったわぁ、ありがとっ」 「こちらこそありがとうっ! 毎日美味しく食べてるよ、ってユウー!」 「照れ屋なとこも可愛いわよねぇ」 「ね、とっても可愛いっ」 ジェリーに見送られながら、すたすたと先に席へと向かうユウを追いかける。 「ユウっ」 「伸びる」 「私よりお蕎麦が好きなの?」 「ああ」 「わぁー、さすが簡潔」 私は天丼のタレが染みた海老よりユウのこと好きですけど。もちろん師匠達のこともね。 そう言おうとして、足を止めた。 「どうした?」 「ユウ、目線私とおんなじ……」 一大事。空席にトレイを置き、置かせると、彼の肩を掴んで額に額を合わせる。ちょっと勢いつきすぎて、ゴツンッと良い音。 「いっ、なに、っ!」 「身長! どうなってますか?!」 なんだなんだと見ていた周りの席に座る探索部隊の人に尋ねる。1人で良いのに、10人程が声を揃えた。 「神田」 圧 倒 的 敗 北 感 。 「牛乳とヨーグルト、頼んでくるぅ……」 「お前でも落ち込むことあるんだな」 「……姉が弟に負けるのは如何なものかと」 「そーいうもんかねぇ」 料理に手を合わす彼は、口角と肩を小刻みに動かしている。笑うのを堪える姿も可愛い。 「姉ばかだなぁ、ふふ」 悪くない気持ちなのは、ユウが色んな表情を少しずつだけれど見せてくれるから。ああ、成長を喜ぶべきか、悔しがるべきか。 「なんとまあ……」 牛乳とヨーグルトを心の支えに身長の伸びを期待していたが、彼の成長は止まらず。ユウどころか、これまた可愛いリナリーにさえも越された時、私の献立から乳製品は消えた。 「ついに諦めたか、○○」 「シシトウあげないよ」 「そりゃ困る。お前が」 「減らず口ぃーっ、でも可愛い好きぃーっ」 「身長越した男に可愛いはねぇだろ」 お茶をすするユウの隣に座り、手を合わせて蓋を開ける。トレイを寄せるまでもなく、食後の一服中だった彼は「いただき」とシシトウを口にした。 「……んだよ、ジロジロ見て」 「いつも美味しそうに食べるね」 「好きなんだよ、悪いか」 「んーん。味覚も成長してるなぁって」 「やけに嬉しそうだな、おい」 「うん。嬉しいんだと思う」 「……そこは悔しがれって。調子狂う」 「お姉ちゃんには敵わなくてケッコー」 「へーへー、そーだな。茶おかわり」 「いってらっしゃーい。……」 これからは、寝室のように任務も別々になることが増えるだろう。食堂で共にすることが減り、彼の成長を感じる機会も減り、何よりあの背中を守れなくなる。冷静に見えて実は誰より情熱を抱える、大きくなった背中を。 そもそも「お姉ちゃん」なんて存在、ユウに不要だと思われていたら──私が戦い続ける理由が、また一つ、減ってしまう。 「ユウ、私のこと嫌い?」 誰も居ない、ユウと2人だけの修練場。座禅を組もうと座りかけたユウが動きを止めた。 「そこは『好き?』じゃ」 「そんな自信、今は無い」 「……、」 あ、小さく舌打ち。面倒臭そうに頭を掻くと立ち上がりこちらに歩いてくる。広くなった歩幅で数歩の距離。見上げた彼は、悲しそうに微笑む。初めて、見た。 「ユウ、っ」 「こういう時は黙って」 私の髪を耳にかけるユウの手を目で追うと、ぐいっと強い力で体を引かれた。 「抱かれとけ」 声変わりして掠れた囁き声が耳をくすぐり、彼が頭を撫でる度に石鹸の好い匂いが香る。丸まった背中を撫で返し、互いの心臓の音に瞼が重くなっていく。 「……食い気と眠気優先のお前こそ、嫌いにならねぇのが謎なんだが」 「ユウの、こと?」 「そう」 「大切な弟だもん、大好き。 ……あっ! お、『お姉ちゃん』なんて不要と思われてたらって思ってたのに、ごめんなさい。ユウが嫌だったら……ユウ?」 はぁー、と深い溜め息が肩にかかる。ゆったりと心地好く動いていたユウの手が止まり、背中に回した腕には更に力が入った。 顔色はどんなだろうか気になり、頬に触れる艶々な黒髪に顔を向ける。すると、すかさず両頬を片手で挟まれた。 「見んな。……俺は群れること、甘いもん、弱っちい奴、その他諸々嫌いだ」 「それなんて私」 「はっ、嫌いな成分詰め込んだような奴と、長いこと関われる理由は一つしかねぇだろ」 「ユウが大人になったから?」 「……俺は、まだまだガキだよ。少なくともお前の前ではガキでいい。○○を要らんと思ったことは一度も無い、覚えとけ」 「っ、うん」 「安心した」と離れたユウは、先程の悲哀を消し、いつもの負けん気の強い凛とした顔で私の頭を乱暴に撫で回した。 背中を守れなくなる、そうじゃない。 彼が守り、守られる仲間を見つけた時、この大きな背中を笑って送り出したい。 出会った日から始めた『姉弟』の関係を否定はしなかったユウの成長を、愛していたい。 「ユウ、大好き」 「ん、知ってる」 「お蕎麦とお姉ちゃん、どっちが好き?」 「……どっちも」 「知らなかった。ユウ、ね、もっかい!」 「言うか、ばーか」 戻る |