ねえ、笑って魅せて


冷たい空気が肌に触れる。暗闇の中、体を震わせながら毛布を探り、口元まで上げて気づく。傍らに抱き締めたい温もりが無い、と。


「……○○?」


夜明け前の薄暗く寒い室内。○○はベッドにおらず、寝相が悪いせいで床に転がっていると思ったがそうでもない。


「まだ便所か……」


声と共に吐き出した白い息が室内の温度の低さを表す。○○が戻ってきたら温めてやろうと考えつつ、時間を確認してベッドに横になった。


「……遅い」


時計の針は4を指している。30分程経った今、○○は便所に居ないだろうと思う。

いつもすやすや眠る○○の身なりを整えてやってから二度寝し、エプロン姿の彼女に起こされるのだが、今日は勝手が違うようだ。

枕元に置いていたカーディガンを羽織ってスリッパを履き、暗い室内から暗い廊下へ……


「……暖かいな」


もわっと暖かい空気が頬に当たる。皆が寝静まり薄気味悪い暗がりを進んでいき、階段を下りて辿り着いたのは広間。

誰も見当たらない広間の暖炉で薪が燃えている。思わず出た舌打ちに眉を寄せ、火を消そうとソファーを横切って息が止まった。


「……ひっ……リヴァイ……ふへへっ……」


暖炉が放つ淡い光に照らし出されたばかは、床に座ってソファーに凭れ、ぐへぐへ呟いている。その手には編みかけの……セーター?


「全員分編む気か、こいつ」


目に留まった机には、色とりどりの毛糸玉が10個以上詰め込まれた袋が置かれている。床に落ちていた毛糸玉を拾い上げ、埃を叩いて袋に戻した。


「夕方にでも掃除するか。それより……」


毛布にくるまって顔を埋める○○の傍らに屈み、彼女の前髪を撫で上げる。

皆が寝静まった頃、夜な夜な広間で暖を取りながら編み物を進め、部屋に戻るなり「お手洗いに……」と独りで言い訳していたのか。

熱が籠る毛布を引き剥がし、冷たい体でお構い無しにベッドに潜り込んできていたのか。

寒さのせいとばかり思っていたが、○○は朝方まで編み物をしており、俺は○○が居なくて寝つきが悪かったんだ。


「……道理で、最近寝不足なわけだ」


そうかそうかと納得していると、突然、○○が顔を上げる。……また、息が止まった。


「何故、私は床に座って……リヴァイ!?」


寝惚けた表情が一気に引き締まり、見開いた目を右へ左へ動かしている。

やがて、状況理解を放棄してうとうとし始めた彼女の脇に手を突っ込み立ち上がらせた。


「お前の寝相の悪さには呆れるな」

「……寝相が良かったら、リヴァイにこんなことやそんなことはしてもらえません……」

「誰がいつあんなことをした。ほら、自分の力で立て。ケツの汚れを払え」

「はーい……」


○○は素直に言うことを聞いたものの、編み物をしたいらしく部屋に戻ることは断り、ソファーに腰掛けた。

……このまま部屋に戻っても寝られそうにないから、隣に座る。


「リヴァイには日頃の疲れを癒すため、ベッドでゆっくり休んでいただきたいのですが」

「○○が俺の癒しだ。お前が居なければ、俺の疲れは癒されないんだよ」


火が弱ってきた暖炉を前に足を組むと、小さな笑い声と共に毛布が俺を包んだ。ぐいっと肩を引き寄せられ、香る匂いに視界が霞む。

俺を引き寄せた当の本人は、眠気を誤魔化すために目を擦ったり、頬をつねったり、足を俺の足に絡ませてきたりと大変そうだ。


「……リヴァイ」

「なんだ?」

「くすぐられたら集中出来ませんよ」

「……ちっ」


企みに気づかれた。眠気どころか集中力も消し飛ばしてしまうとなれば、○○の脇腹に触れている指を動かすわけにはいかないな。

大人しく肩に凭れて○○を見守る。器用に素早く毛糸を2本の棒で編む動作は手慣れていて、徐々に長くなっていく様に感嘆した。


「……驚かせたかったのです」


手の動きを止めずに呟かれた○○の言葉に「だろうな」と返す。合鍵で無遠慮に行き来する互いの部屋にも暖炉はあるのに、わざわざ深夜に広間で……分かりやすい理由だ。


「……25日目でバレました」

「……嘘を吐くのに慣れてきたか?」

「嘘ではなくサプライズのための演技です。完成したらお見せしますよ」


彼女の言葉を頭で繰り返す。「サプライズ」を強めに。期待して良い……

……待てよ。普通、サプライズを仕掛けたい本人に進んで見せようとするか? 勘違いされようと必死で隠すもんだろう。


「よし、304枚目完成っと」

「300……だと?」


普通じゃなかった。

彼女の手には丸みを帯びた四角形の袋。桁がおかしい上に未完成だぞ、お茶目さ……


「たらりらったらー、クッションカバー!」

「……クッションカバー?」

「はい。冷たいクッションも、毛糸でカバーすれば温かくなります。最近寒いですから」

「そうか……」

「全員分編む気です、私」


穏やかに微笑む○○は、きっと奴等の喜ぶ姿を思い描いているのだろう。疲労を浮かべる横顔にセーターの所在を問うのは酷な気がして、彼女を抱き締めた。


「リヴァイ、編み辛いです」

「○○抱き枕は安眠出来る」

「肘が頬にめり込んでも知りませんよ」

「構わん……」

「……おやすみなさい、良い夢を」


頭にそっと触れた手は、俺に体温を分け与えたために冷たい。俺の体温を分け与えようと思ってみても、的確に心地好い場所を心地好い強さで撫でられ、全身から力が抜けた。

暖炉が体を、○○が心を温めてくれる。俺は彼女に癒されてばかりだ。




冷たい空気が肌に触れる。暗闇の中、体を震わせながら毛布を探り、口元まで上げて気づく。傍らに抱き締めたい温もりがある、と。組んだ足が痛い、と。辺りが騒がしい、と。


「……」


僅かに開いた目で捉えた光景に深呼吸する。


「さすがに危険ですよ! 近づき過ぎっ!」

「平気だってばー。モブリットだって貴重な○○の寝顔見たいんじゃないの?」

「いや、俺は○○さんのよりも、あ……」

「あ? なん、お、おおっ……寝言でリヴァイの名前呼んじゃうんだ、妬けるなぁ……。私の名前呼ぶように仕込みたいね、こりゃ」

「……分隊長、まずいです。リヴァイ兵長が激しい剣幕で睨んでいます。起きたばかりで不機嫌さがいつもの比じゃないですよ」


俺達が座るソファーの周りを取り囲む奴等が騒いでいる。その中でも奇行が目立つ馬鹿野郎が彼女の寝顔を至近距離で見つめていた。

○○の手を握る力が強まる。


「やあ、リヴァイ。おはよう」

「おはようクソメガネ。○○に近づくな。○○の寝顔を見るんじゃねぇ……」

「良い夢は見られたかな?」

「……最高に最悪な気分だ。寝起きに見るのがてめぇ等の馬鹿面なんてな」

「エプロン姿の○○じゃなくてごめんね」

「……ちっ」


この騒がしい空間で眠り続ける○○を抱き寄せ、毛布の中に潜り込ませた。


「それより、今雪が降り積もっているんだ。寒いはずだよねー」


窓を指差すハンジの報告はどうでもいいが、○○はそうでもないようだ。彼女の耳がぴくりと動き、毛布から寝惚け顔を覗かせた。


「……雪……」

「おはよう、○○」

「おはようございます、○○さん」


○○は目を擦りながら起き上がると、皆に挨拶を返し、覚束無い足取りで窓へ近寄る。


「ひぃっくしょん!」


外を眺めるその小さな背中が愛くるしくて、温めてやろうと動き出したのは俺だけではなかった。数十人の男女が上官や部下の関係をうやむやに、揃いも揃って○○に突撃。


「うおっ!? ……温かくて幸せです」

「……ああ、暑苦しい幸せってやつな」


朝っぱらから広間でぎゃーぎゃー抱き合う光景は異様なものだが、賑やかな広間に顔を出した奴等も輪に混ざってきた。

この高揚した雰囲気を静めたのは、○○の腹の音である。どっと笑いが起こり、皆が彼女の空腹に納得の表情を見せ、身支度や飯を食うために広間から姿を消した。


「リヴァイを食べちゃいたい」

「好きなように抱きついてろ」

「……ミケ達みーっけ」

「……無視は止めろよ」

「鼻血出しましょうか」

「俺が悪かったんだな」

「……」

「……」

「す、好きなようにして良いのですか?!」

「どこからでも来いよ。受け止めてや……下腹部への執着にはうんざり」

「違いますぅ、腹筋が目的ですぅ! ……期待に沿えず残念そうですね」

「期待してねぇよ。朝だし人目もあるんだ。引き剥がすぞ」

「やだ。……癒されますりすり……」


屈んで俺の腹を触る○○の頭を撫で、さっきまで座っていたソファーを見る。

ソファーに座るエルヴィンやミケも場の雰囲気に流されることがあるらしく、額に浮かぶ汗に奴等の必死さを感じてちょっと笑った。

顔を手で覆うミケが「俺達だって騒ぎたい時もある」と言うと、酒の席での騒がしさをハンジやゲルガーが指摘する。それを「お前が言うな」と言いたげな目で見つめるモブリットやナナバ。エルヴィン達が落ち込んでいる姿に同情はしない。

奴等のやり取りを苦笑いで眺める○○の額を指で弾き、人数が減った広間を去る。


「……雪……玉……雪……合戦……」

「今日は会議の資料作成に追われるだろう。遊ぶ暇はねぇぞ」

「では、終わったら!」

「仕事が終わり次第、広間の掃除をする」

「掃除が終わったら?」

「訓練後に晩飯とシャワーの時間だな」

「それも終わったら……」

「クソして寝る」

「……予定みっちりですね」

「いつもと変わらん」


隣を歩く○○の遊びに対する興奮を鎮め、それでも不満げに唇を尖らせる彼女に「本部に向かう道中で相手してやる」と告げたら、満面の笑みが返ってきた。……弱いな。


「では、朝飯と共に伺います」

「ああ、遅刻しないようにな」


自分の部屋に入る○○を見届け、俺は隣にある自室に向かう。顔を洗って歯を磨き、ワイシャツに腕を通してようやく気づいた。


「猫と犬……」


いつの間にか枕元に置かれていたのは、黒と緑の毛糸で編まれた猫と犬のあみぐるみだ。手に取ってみると、2匹は片手と尻尾をしっかりと繋いでいることが分かる。


「……サプライズ、か」


○○が帰ってきたら雪遊びを本気ですると伝えよう。クッションカバーを枕に使用して良いか聞こう。抱き締めてキスして手繋いで○○の欲するものを然り気無く聞いた上で仕事終わりに街へ行こう。

聞かずとも分かりきった返答に頬を緩ませ、ドンドンとノックされたドアを開いた。



あいから始まるたんじょうび


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