ばかとハサミは使いよう


旧調査兵団本部の庭。長いこと人の手が入っていないと一目で分かるくらい荒れている。木が生え、ツタが壁を覆い、足を進める度に枯れ葉や石が音を立てた。


「さて、やりましょうか」

「気が遠くなりますね……」

「やり始めたらすぐに終わりますよ。午後の訓練までに可能な限り綺麗にしましょう!」

「……今何時? 朝の5時」


拳を天に突き上げて跳ねる姿に乾いた笑いが漏れた。左手に握る斧が似合わないな、とか思いながら目を擦る。


「○○さん、兵長は?」

「時間を確認後、すぐに三度寝する、と」

「さ、三度寝……」


出来ることならオレも二度寝したい。眠い。

あくびした瞬間、冷たい風が吹き抜けた。


「ここ、風通し良いですね」

「はい。日当たりも良いですから、洗濯物を干すのもお昼寝するのも良いでしょうねぇ」

「……○○さん、まだ眠いんでしょ?」

「……ま、任されたことはやりますよ!」


指定された時間よりも3時間早く取りかかる真面目さも、朝飯は野戦糧食と水だけ摂り、「掃除は戦いです」と言い切る凛々しさも、彼仕込みなんだろう。まあ、リヴァイ兵長は未だにベッドの中らしいが。


「エレンはまず石や枯れ葉を集めましょう。私は斧で……ふふっ」


何をする気だ、○○さん。

庭に足を踏み入れる彼女の背中を見送って、整地に使うシャベル、クワやツルハシを壁に立てかけた。足に当たった鎌を屈んで拾い、雑草へ視線を移す。

……蟻が列を成して歩いていく様は見ていてちょっと面白いな……あ。


「おはよう、ございます」

「ああ、おはよう」

「すみません……」

「何故、謝る?」

「……掃除、サボってたんで」


柱の陰から現れた兵長は、柱に凭れた状態で「寝不足で気が散るのは分かる」と呟いた。あくびしながら、髪や服に絡まった枝と戦う○○さんを眺めている。


「どっちかと言うと蟻ですね」

「ああ……蟻も見ていて面白ぇな」

「どっちかと言うと○○さん?」

「いや……あいつは見ていて胸糞悪くなる」

「どっちかと言うと巨人でしょ」

「ああ……巨人も見ていて胸糞悪くなるな」

「……リヴァイ兵長、まだ眠いんでしょ?」

「……ま、任されたことはやるぞ。つまり、お前等が掃除の手を抜かねぇように見張る。○○が居ても安心出来ねぇからな。時間も労力もかかるのが荒れ放題な庭の掃除だ」

「以前、オレ、ここの掃除を1人でやるよう命じられたんですが……」

「……ハンジが来て助かったな。巨人語りと徹夜以上の苦しみを、全員で分かち合える」


恐ろしい。この言葉に尽きる。ハンジさんを超える苦しみが。それを笑う○○さんが。平然と言ってのけるリヴァイ兵長がっ!


「掃除はな、体に叩き込むしかねぇんだよ。この程度でへたばるようじゃ、巨人と戦え」

「リヴァイー! 枝から助けてください!」

「……ねぇな。あのばかはアレでも調査兵団(うち)の精鋭だ。掃除も巨人との戦いも、場数を踏んでいるし、踏まれて」

「聞こえていますか?!」

「……ちっ」


リヴァイ兵長は○○さんを助けにいった。彼等が並ぶと圧倒される。特に重厚な威圧感からは想像出来ない身長。

……拾った石を桶に入れる作業を繰り返し、頭に出来たたんこぶを撫でる。痛い。


「エレン、手を止めるな」

「は、ハッ!」


ほうきで枯れ葉集めを始めた兵長によって、オレの動きは速く──


「──いただきます」


この場に、酷く不釣り合いな言葉が響いた。高鳴る胸を押さえ、声が聞こえた方を見る。手を合わせて木々を仰ぐ○○さんが居た。


「せい、や……はぁぁあっ!」

「ちょっ! 荒い! 危ない! 怖い!」

「うおりゃぁぁあ!」


斧を振る○○さんから命の危機を感じる。掛け声と表情がいつもの彼女とは思えない。勢い余って空振り1回転からの斧すぽーん、オレに直撃。起こる気がしてならない。


「○○」

「あっ?」

「おっ?」


どこからともなく現れたエルドさんが彼女を止め、何やら耳打ちしている。斧を手離した○○さんがオレの方に駆け寄って……いや、突撃してきた。


「エルドさん、おはぐえっ!?」


こ、これが四六時中兵長に叩かれている人の頭か。すげぇ、硬いし、一撃が、重い……。


「おはよう、エレン。朝から羨ましいな」

「この痛みが羨ましいってなんですか?! う、ぐっ……助けてください、兵長」

「時に愛は痛みを伴うもんだ。受け止めろ」

「……愛、重い……」


柔らかく笑う○○さんの奥に空が見える。彼女に頭を撫でられ、心臓がうるさい。


「暖かくなりましたか?」

「え……あ、はい。暑いくらい、です」

「顔色が青から赤に変わりましたものね」


ほとんどあなたのせいだ、とは言えず、目を逸らして頷いた。逸らした先に映った兵長はオレと○○さんよりも柱の汚れが気になるようで、ほうき片手に雑巾で拭いている。


「あ……エルド、中心にある大きな木は切らないでくださいね」

「洗濯ついでに昼寝でもするんですか?」

「こ、この後は訓練ですから……」

「頑張り過ぎは体を壊しますよ、○○」

「グンタさん、おはようございます!」

「エレン、おはよう。お前も昼寝するか?」

「で、ですが訓練まで時間が……」


差し伸べられた○○さんの手を握って立ち上がり、グンタさんの言葉に戸惑っていると気の抜けたあくびが聞こえた。


「早く終わらせりゃ、昼寝くらい出来るな」

「なんなら、ここでお昼食べちゃいます?」

「オルオさん、ペトラさん、おはようございます! 朝からお揃いなんですね」

「ほぅ……良いところに気づくな、エレン。ちょっと色々あってな」

「何が良いところよ。別に何も無いからね」


オルオさんとペトラさんは息が合っている。彼女は全力で否定すると思うけど。


「では、お昼寝のため、励みましょう!」

「おぉー!」


目的が違うことについては言及しない。

薪を割るエルドさん。割った薪を室内に運ぶペトラさん。ツタを切り落とすオルオさん。雑草を刈るグンタさん。枯れ葉集めは兵長。石拾いはオレと○○さん。

真っ先に終わったのは、2人がかりでやった石拾い。埋まる石はシャベルで掘り起こしてツルハシを用い、砕く。殺る気だった○○さんは、兵長に止められて蟻を見ている。


「地味な作業こそ大変なんだよ」

「頼むぞ、グンタ」

「エルド……薪割り終わったらすぐ手伝え」

「出来る限りやるさ」


そんな会話が聞こえ、彼と草刈りを始めた。


「草はこのくらい残して刈れよ、エレン」

「根こそぎじゃなくて良いんですか? また生えてきちゃうんじゃ……」


グンタさんは彼女にほうきを押しつけている兵長を見て、小さな声で話す。


「……寝そべる時、クッションになる、と」

「○○さんの要望ですか」

「まあ、な。寝ながら星空を見たいそうだ」

「寝ることしか考えてませんね、あの人」

「……おい、悲しい目で見られているぞ」

「一緒に、寝ながら星空を見たいなー……」


あ、親指を立ててウインクした。切り替えの速さは調査兵団で生き残るために必要だな。

枯れ葉集めを終えたらしい兵長は、庭の隅で枯れ葉の山を作る○○さんを眺めて呟く。


「……家事においては無類の統率力を見せるんだがな……」

「掃除に関してはリヴァイに負けますよ!」

「得意げに言うことでもない」


彼は容赦無い冷めた目で彼女を突き放した。仲が良いんだか悪いんだか……。


「女の戦場を潜り抜ける自信は無いな」


斧を肩に担ぎ汗を拭うエルドさんの言葉に、グンタさんが大きく頷いた。立体機動装置を外したオルオさんも「無理」と一言。

彼等がそこまで言う女の戦場とは一体どんなものなんだろう? ○○さんの変わり様が恐怖を物語っているのは確かだが……。


「あ……審議所からここに来る途中、最後に寄った兵舎でやってましたよね。……おたま引き継ぎ」


兵舎前に整列した女性兵士達の真剣な表情に息を飲み、内容はふざけているとしか思えん式だったが、笑うに笑えなかったな。


「そうそう、リーネさんが代表で受け取って……思わず涙ぐんじゃったよ」

「はっ、アレで泣くとは、まだまだ甘いな、ペトラよ」

「男のオルオには分からないわよ! いや、ヘニングさんは男泣きしてたっけ」


薪運びを終えたペトラさんが、胸の前で手を組み、目を輝かせている。乙女と表現するに値する笑顔への理解は、男のオレには到底及ばぬものであった。


「はたき引き継ぎと考えたら感慨深いな」

「……っ!」


4人の8つの目が同じ方を向いた。注がれる熱い視線の先には、もちろんリヴァイ兵長。彼は涼しい顔で草刈りを進めている。はたき引き継ぎ争奪戦に興味は無いようだ。


「っと……お前等、はたき引き継ぎも重要。
 だが、兵長の前で、掃除の手を休めるとは言わせねぇよ。ほら、さっさと草を刈るぞ」


グンタさんが彼等に鎌を渡し、6人がかりで草刈りを再開。

荒れ放題だった庭は、次第に当初の姿を取り戻していった。あ、当初の姿は知らねぇや。


「ふーん、ふふん」

「……ふーん、ふふ、ん?!」


聞こえた鼻歌に持っていかれた目を見開く。苔に覆われた井戸にスキップしながら向かう○○さん。その手には槍。思わず二度見。


「兵長、掃除って槍を使うんですか?」

「あ? 場所による」

「否定しないんですね」

「掃除は戦いだ。この鎌は……」


掃除用具や農具の使い方を淡々と語る兵長。なんだか楽しそうなのは気のせいか?


「……殺。ほうきで一掃。雑巾で……」


蟻は見ていて面白いよなぁ、はははー……。


「……で、槍だが、井戸の中にこびりついた苔を落とすために使う。どれも巨人相手じゃ使い物にならねぇが、対人なら話は別だな。十分な凶器になる」


鋭い目に睨まれ、蟻どころではなくなった。無理矢理笑顔を作って頷くと、兵長は乱暴に頭を撫でてくる。○○さんとは大違いだ。


「何事も使いようによって、見方が変わる」


使い手本人の、周りの人の見方が、変わる。自分が動いて、自分で変えていくしかない。今度は自然と緩んだ顔で、感謝した。

緑色の井戸に目を遣ると、彼女と目が合う。手招きされ、槍を気にしつつ中を覗いた。


「……兵長が見たら気絶もんですね」


苔、埃、葉っぱ、濁った水。顔が強張った。


「ふふっ、涸れていないだけ良いでしょう。汚れを落として汚水を汲み取ったら、綺麗な水が溜まっていきますよ。飲み水を確保出来る場所は多いに越したことはありません」


中に入れた槍を扱う○○さんを見つめる。睫、短いな……。


「こ、これですか? ちゃんと使用の許可は得ましたからね!?」

「なんで動揺してるんですか」

「……以前、ちょっと……」


○○さんに凶器を持たせるのは危険だと、頬を掻いて笑う彼女を見て確信した。


「……よしっ、こんなんで良いですか?」

「はい。ありがとう」


草刈りと井戸掃除を終えて、突き立てた2本の棒を紐で繋ぎ、洗濯物を干す空間が完成。


「明日から洗濯する楽しみが増えますね」

「自分の体も洗えよ。特に爪の間な」

「ハッ! ふふっ……」


掃除の仕上げと片付けをして、体を洗って、ピクニック気分でサンドイッチを食べ、ぽかぽか陽気に包まれた中、全員で木に凭れる。疲労も何も忘れてしまいそうになる穏やかな時間が流れていく。

両隣からはすでに規則正しい寝息が聞こえ、それにつられて瞼は重くなる。


「……よいしょっ」


ふと耳に届く、澄んだ声。僅かに開いた目で捉えたのは、指で作った四角い枠の向こう、日に当たりきらきら輝く笑顔でオレ達を眺めている○○さんだった。


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