No,1 A



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数日後、信じられない噂が織田家中を駆け巡った。
まさに電光石火。
それは、すぐに日吉のような下級の者達にも届いた。
なんとあの優しい前田利家が、直前になって浅野のおねとの婚約を解消したらしい。
おねに土下座し、信長に土下座して。
信長は自分の用意した婚礼に不満を垂らした利家に怒声をぶつけたという。
その知らせを聞いた日吉は驚愕し、もしかしたら信長以上に怒った。
利家は一体なんのつもりでそんなことをしたのだろう?
まさか、自分への遠慮だろうか?
いい迷惑だ。
そんなものはいらない。
おねは自分と一緒になるより、利家と一緒になる方がー…。

「おい!どこ行くんだよ猿ぅっ!」

急に立ち上がってどこかへと走り去ろうとする日吉は、当然ながら仲間達に声をかけられたが、止まりはしなかった。
身分なんか関係ない。
日吉は利家に一撃を喰らわせたかった。
真正面から行けば軽々と全部避けられるだろうがー…。
胸が痛く熱くなった頃、利家は見つかった。
厩で、愛馬を撫でていたのだ。

「っ…利家様っ!…お…おね殿との…おね殿との婚姻を解消されたって…どういう意味でっ…」

全力疾走したため息も絶え絶えだったが、日吉は息を整える時間さえもったいないとばかり、一気にまくし立てた。
利家は日吉に背中を向けたまま、嘲ったような声を出した。

「いや、別にさ、お前に罪悪感があったとかじゃないよ」
「じゃぁ…なんでっ…」
「…おれ、もっと可愛い子が好きだからさ」

日吉は耳を疑った。
まるで足に根が生えたように、厩の入口から動けない。
利家が言いそうにない言葉が、利家から聞こえた。
あのくそ律儀で、くそ一途な男が。
人が悲しむことは命にかえてもしない、あのくそ親切でくそ優しい男が。
…利家を、日吉は殴れなかった。
殴ることさえ忘れた。
それ以上、優先させたいことがあった。
おねを、探さなければっ…!

「っ…おね殿っ……!」

日吉はもう利家なんか見ずに、直ぐに馬小屋を飛び出した。





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利家同様、おねもすぐに見つかった。
おねは城の裏手の丘の上にいた。
人が優に五人くらい乗れる大きな岩がある、蒲公英が鮮やかに咲き乱れる丘である。
そう、日吉が初めて、おねに笑いかけてもらった蒲公英が咲き乱れるあの場所だ。
おねは岩にもたれ、ぼんやり座り込んでいた。
その横顔は、よく影になっていてよく見えない。
日吉は岩の反対側に回って、おねと背中を合わせるように岩にもたれた。
おねからは自分の姿は見えていないだろうが、おねは自分の存在に気付いているだろうと日吉は確信していた。
日吉は震える声を絞り出した。
震える理由は怒りからか、悲しみからか、それは自分でもわからないが。

「…聞きました、色々」

おねは何も言わなかった。
声を聞きたいのに。

「酷いもんだっ…利家様はッ」

さわっ…。
春の暖かい風が、春の華の香りを丘に巻き上げてくる。
日吉以上に震えるおねの声が、日吉を窘めた。

「…利家殿は…悪くないよっ…」

涙で濡れた声に言われても、説得力なんてない。
日吉はおねを痛々しく感じた。
裏切られても嫌いになれない程、おねは利家に恋していたのだ。
ぼんやりとそんなことを思って利家を恨めしく思いながら、日吉は、足元にある蒲公英を一輪引き抜いた。
大輪だ。
日吉は蒲公英の真っ黄色を眼前に持ち上げて、うんっと一人頷いた。
おねに涙は似合わないと思った。
この蒲公英のように元気で明るい笑顔こそ、彼女の醍醐味なのだ。

「おね殿!」

岩をぐるりと回って、おねの前へやってくる。
目を拭う仕草をしたおねを少し待ってから、日吉はおねと視線の高さを合わせるためにしゃがんだ。
そうして真正面から見つめ、ずいっと小さな太陽を差し出した。

「笑って下さいっ!」

日吉は必死だった。
おねの涙眼が、じっと藤吉郎と蒲公英を交互に見た。
日吉は無理矢理おねに蒲公英を押し付けると、岩の横ににょきっと立っている銀杏の木に登り始めた。
そしてある程度の高さまで来ると、わざと足を踏み外して落ちた。
どすーん。
鈍い音。
日吉は痛そうな呻き声を出…さず、がばっと弾かれたように勢いよく立ちあがった。
あまりにも素早かったから、驚いたおねはわっと息を詰めたようだった。
日吉は真白な歯を見せてにかっと笑った。
それこそ、顔を皺くちゃにして。

「猿も木から落ちる…とはこのことですねぇっ!」

強打した尻をイテテと撫でながら、相変わらず顔を皺くちゃにして笑う。
そんな風に道化者を演じながら、日吉はしっかりとおねを観察していた。
おねはびっくりしているのか、涙をすっかり止めて目をまん丸くしていた。
…が、その表情は直ぐに和らいでゆく。
おねは手を口に当て、笑った。

「っ…ふふふっ…日吉殿って…変な人っ」

痛そうなのに…そう言って、おねは日吉が大好きなその笑顔を見せてくれた。
日吉もおねに負けず劣らず、にっこり笑った。

「面白い人っ」
「おね殿は面白いことが好きですか」
「はい。笑うことは幸せなことだと思います。ふふっ」
「じゃ、おね殿。この日吉めの妻になって下さい!」

それは、やらまいと決めていた十四回目の愛の告白。
クスクス笑っていたおねは急速に眉を下げて…困った表情を作った。
しかし日吉は怖気づかなかったし退かなかった。
強烈に思ったのだ。
この人を笑わせたい。
それは、自分がとても得意なことだ。
誰かを笑わせること…それこそ日吉が一番得意なことだ。

「おね殿を、ずっとずっと笑わせたい!」
「でもっ…私は…」
「身分のことなら…絶対絶対出世します。おれは誰より出世しますっ!おね殿に嘘はつきません!」
「身分とかじゃなくて…私は…」
「力づくでも笑わせたい!おれは…おれはずっとおね殿の優しくて暖かい太陽みたいな笑顔を見ていたいっ!おれは世界一の贅沢者でいたいんです!!」

太陽さえあれば、生きていける。

「年をとって皺くちゃになった時…隣にいるおね殿と、こんなにも皺くちゃになったのはあなたが笑わせたからだ…って…一緒に笑ってたいんです…!」

日吉は見た。
また、おねの目に涙が溜まってきたのを。
しかし今度のそれは、当然…辛いとか悲しいとかではなかったのだ。
おねはお尻にへばりついた草を払いながら立ち上がり、日吉と向きなおった。
背の高さが変わらない。
日吉は、自分の背の低さを呪った。
恰好がつかないではないか…。

「…日吉殿…?」
「はいっ!!」

顔をあげたねねは、にっこりと笑った。
蒲公英以上に…下手をすれば太陽以上に、眩しくて愛らしい笑顔だった。

「私をずっと…笑わせて下さいますか」

言わずもがな。
日吉は顔全部を笑顔で埋めることで、おねに返事をした。
沢山の蒲公英が、青い海に光る白く淡い波の泡のように群れを成して揺れている。





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意気揚揚と利家をぶん殴ろうと思っていたのだが、結局できなかった。
後日、利家の部屋まで殴り込みに行くと、そこには土下座する利家がいた。

「すまんっ!騙したっ!」

日吉は何が何やら理解できず…自分よりうんと身分の高い人間が自分に向って頭を下げているのをぼんやり見ていた。
そもそも軽々しく話をしていい人物でさえない前田利家が、自分に土下座している…。

「おねは美人だし、いい女だっ!俺は…“おねだから振った”んじゃない。“まつじゃないから振った”んだ!!」

まつ?
聞けば、利家には許嫁がいたらしいのだ。
年の差は約十歳。
利家は十四のとき、当時四つだったその女の子の“およめさんにしてくださいっ!”と言う言葉に軽々しく返事をしたらしい。
律儀な利家は彼女との約束を貫く気だった。
だから、おねを振ったのだ。
しかし直前までは信長の命令だから…と、おねが嫌がらず避けようがない場合は甘んじて受ける気であったらしいが。

「おれは…やっぱりまつが好きなんだ。世界一愛してる。最初は冗談でも…おれはまつじゃないと幸せにはなれない。おれはいい奴なんかじゃないからお前におねを譲ろうとか…そんなんじゃない!だから…おれは一言も“おねのとこに行ってやれ”なんて言ってないだろ?」

日吉は思わず苦笑した。
言っていなくても、今考えればあの態度やわざとらしい嘲りの言葉は完全に、日吉をおねの元へ走らせようという意図見え見えではないか。
そして“いい奴じゃない”という彼はやはり“いい奴に違いない”のである。
信長に反抗してまでこの縁談を断ったのはまつと一緒になるためでもあるだろうが、決してそのためだけでなく、他の女を愛している状態でおねを嫁にもらえばおねを傷つけると、わかっていたからに違いない。

「…利家様には…感謝してます。そのまつ様というお方と、どうかお幸せにっ!」

利家ははにかんだ。

「お前もな」





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蒲公英が咲いている。
おねは笑った。

「母上様は蒲公英が好きですなぁ」

縁側で団子をはんでいる福島正則が、のんびりと言った。
この福島正則、実の親ではないおねのことを“母上”と呼び慕っている。
ここは大阪城の離れ。
このおねの庭は、この季節蒲公英が咲き乱れるのだった。
おねの笑顔の横で加藤清正に団子を手渡していた秀吉も、やっぱり笑顔だった。

「おれとねねの思い出だ」

そう言うと、清正と正則はとても興味を示したらしく、もっと詳しく聞かせてほしいと秀吉とおねに懇願した。
秀吉とおねは顔を見合わせるとまた弾けるように笑い、清正に正則の隣に座るようにと促した。
清正が正則の隣に腰を下ろしたので、秀吉とおねは寄りそうようにして更にその隣に座った。
若い二人の視線を受けながら、草履取り日吉丸こと天下人豊臣秀吉は、太陽のように明るい声で話し始めたのだった。

「これは、おれがまだ草履取りやら馬の世話やら…下働き生活をしてた頃の話だ…」












今までで一番、素敵な恋をしようよ
もう“こんな僕でいいか”なんて思わない
世界で一番、素敵な恋をしようよ
とりあえずそれが僕らの目標







君のほほえみはみんなを幸せにする














End













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マッキーの「No1」より連想。
ノーマルカプにハマり中です。
利家とまつ、勝家と市…色々書きたいものもあるのですが、とりあえずは秀吉とおねで!

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