No,1 @








君を笑わせたい
力づくでも笑わせたい
そして年をとり、いつかしわくちゃになったら
そのわけは僕のせいだと、言わせたいんだ
君の微笑みは、みんなを幸せにする














「お願いしますっ!!」


霜が、野ざらしの膝を切るように沁みたが、日吉丸こと日吉は土下座をやめなかった。
そうそれは、完全なる一目惚れ。
周りの草履取り仲間達は“猿には無理だ”と笑ったが、しかし日吉は諦めがつかなかった。
一目見たとき、天女と見紛うた。
ちらと遠くに姿を見ると、いつも目で追っている。
それくらい、夢中だ。
たった一瞬。
侍女に話しかけて微笑む横顔を見たあの瞬間から。
日吉の心は、この織田家弓組頭浅野家の養女おねに奪われていた。

「おれの嫁になって下さいっ!」

合計十三回目の告白。
返事は過去十二回と全く一緒だった。

「あの…ごめんなさい」

日吉はうなだれた。
隠れて見ていた草履取り仲間は物陰で腹を抱えて大爆笑している。
無理に決まっている、と。
相手は浅野家の娘だ。
それに比べて日吉は、ただの百姓の子ではないか、と。
フラれた日吉はとぼとぼと肩を落として厩に向かった。
頼まれていた馬の手入れがまだ、残っている。





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「日吉、そんなに落ち込むなよ」

織田信長自ら選んだ赤母衣所属の前田利家が純白の愛馬を引き取りに来た時、日吉そんな言葉を賜った。

「…利家様は身分が高いですしね…」

少しばかりひがんで言ってみると。

「なんだよ、別に高くねぇよ。土豪だぞ、俺の父上は」

それでも百姓よりはマシだしおね殿の旦那にはなれる…と、日吉は内心毒づいた。
口に出さないのは、他の者と違って利家が本心から残念そうに声をかけてくれていることに気付いているから。
利家の律儀さは織田家内ではそれはもう有名な話である。

「でもさ、頑張ってればおねだって見てくれるって。おれ、お前は出世すると思うんだよな。おねは頭いいし人を見る目があるから…いつか振り向いてくれるって。な!」

日吉は馬の餌である藁を両手いっぱいに抱え、信長の愛馬のうちの栗毛の一頭に全部やった。
そして馬がそれをはんでいるのをじっと見つめながら、利家にはわからないくらい小さく肩をすくめた。
日吉は知っているのだ。
おねが好きな人。

「…利家様」
「ん?」

利家は機嫌がいいのか鼻歌を歌いながら、愛馬のくすみがひとつもない真っ白な鬣を撫でつけていた。

「利家様は奥方を頂かないんですか」
「え?…あー…」

何やら気まずそうにもじもじしている。
馬の鬣を指に巻いてみたりなんかしている。
日吉は首を傾げた。

「んー…信長様にな、話は持ちかけられてる…って言やあ、持ちかけられてる」
「え!?」

日吉は胸が高鳴るのを感じずにはいられなかった。
兎にも角にも安堵だ。
安心した。
藤吉郎が知っているおねの好きな人は、前田利家その人なのだ。

「誰っ…誰ですかっ!それはおれも知ってる人ですか!」
「え!?…あ、うん。まぁ…そりゃぁ…しょっちゅう会ってるけどな」
「えー!?」

佐々成政の妹なら、ちらりと見かけたことがある。
はたまた柴田勝家の血縁者かもしれない。
佐久間家の人間か。
林に平手に丹羽…。
いや、利家は信長のお気に入り中のお気に入りだから、もしかしなくとも織田の人間かもしれない。

「…ごめんな。おねなんだ」
「……………は?」

…“おね”…?
高揚できるところまでしきっていた感情が、一気に墜落する。
体温までも一緒に下がったような気がする。
日吉は心を揺さぶる衝撃で目を見開いた。
それは…もう…ありえない。
おね?
浅野のおね?
おねは利家が好きなのに?
利家に毎日毎日手作りおはぎを届けるくらい、利家が好きなのに?
しかも信長の命令ともなれば、これはもう婚姻確実ではないか!
あまりのショックのせいで手元が狂い、日吉は馬に飲ませてやるために樽から汲み上げた水を、信長の愛馬の体にぶちまけてしまった。

「でもよ、おねは好きな人としか一緒ならないって言ってたぞっ!例え信長様の命令でも反対するって。だから安心しろ。おねが断ってくれるし、おれにもその気はないから」

鈍感な利家は、毎日彼に会おうと城までやってくるおねの気持ちに気付いていないのだろうか?
フラれた直後以上に、日吉は落ち込んだ。
利家に暴言を吐きかけてやりたかったが身分もあるし、それに利家が本当に心優しい男だと知っているので、そんなことはできなかった…。





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案の定、利家とおねの婚姻は猛スピードで決まりそうだった。
家中もお祝いモード一色で、利家と親子のように仲がいい柴田勝家なんかは御機嫌よろしく廊下を歩いている現場を、沢山の人に目撃されていた。
おねも嬉しそうだった。
すっかり寒さも無くなった穏やかな春の日、おねが一人で蒲公英を摘んでいるところに、日吉は出くわした。
利家との婚姻がほぼまとまったこともあって、とても嬉しそうだった。
それまでは“なんとしてもおね殿をっ!”と意気込んでいた日吉だったのだが、その幸せそうな横顔を見、ついに諦めた。
“利家と一緒になる”と思うだけであんなに幸せそうな笑顔を作るのだ。
おねのことは大好きだったが、おねの笑顔も同じくらい大好きだ。
利家に嫁ぐことで彼女があんな煌びやかな笑顔を振りまいてくれるなら、日吉はそれだけで幸せだった…。
ふと、蒲公英の群れから目を上げた彼女と目が合った。
彼女は、優しげに笑った。
今までは大概憐みの目でしか見られたことがなかったから、日吉は今までよりずっとドキドキした。

「ごめんなさい、日吉殿。でも貴方が私を好きと言ってくれたこと、迷惑だと思ったことは一度もありませんでした」

おねは満面の笑みを浮かべた。
日吉も微笑んだ。
鏡がないからわからない。
うまく笑えているだろうか?
おねはすぐに、華に視線を落としていた。
日吉は笑顔そのまま、俯いた
大声で泣き叫びたかったが、情けないので我慢した。





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