Snow memories @






吉乃姫といえば雪のように白い肌と宇宙の果てを彷彿とさせるような濃い紫の瞳を持った若干五歳の美姫だと噂されていたが、いかんせん、それは噂止まりだった。
当の吉乃姫が病弱で、四六時中家来侍女らが付きっきり。
吉乃姫は物心ついてから一度も、庭以外の“外”に出たことがなかった。
ただ、人一倍…人二倍、三倍四倍…と好奇心旺盛だったものだから、今日も侍女の制止をするりとこなし、自室の窓の障子を開いて、空間を白い水玉に彩る牡丹雪を見ているのだった。

「きれいですわ」

吉乃は雪に触れたくなったが、侍女に叱られてしまった。

「いけません。姫。つい三日前までお熱が高うございましたでしょう?」
「もうさがったから、へいきですわ」
「平気か平気でないかは医師が判断致しますし、医師はできるだけ暖をとるようにと申されておられた筈!」

吉乃はぷぅーっと頬を膨らませはしたが、窓を跨いで外に出ようとはしなかった。

「ひめ、ゆきであそびたいですわ」

ぼんやり、降る雪を見やる。
自然と独り言も増える。
返る言葉がないのは、侍女が部屋を出たからだ。

「いちどでいいから、ゆきのおにんぎょう、みたい」

同じく病弱だった母から聞いたことがあるのだ。
雪で作る人形があるのだと。
まんまるで白いらしいが、吉乃はそれを見たことがなかった。
吉乃は瞼を閉じ、両手の指先を胸の前でちょこんと合わせ、夢見心地で呟いた。

「どうせなら“おとよちゃん”のだんなさんになれるようなおにんぎょうだといいですわ」
「なんだよ“お豊”って」
「ひめのおにんぎょうですわ」
「ふぅん」

…独り言に、返る言葉があった。
吉乃のそれは、もう独り言ではなかったのである。
吉乃は窓枠に手を掛け、庭を見た。
白銀の庭に、見知らぬ男の子が立っていた。
吉乃よりも四つか五つは絶対年上だし、もしかしたら六つくらい上かもしれない。
男の子は辛子色よりずっと明るい黄色い羽織を着て、首には緋色の襟巻きを巻いている。
身につけているものは派手だが、それ以上に吉乃の目を惹いたのは、それは見事な茶色い髪の毛だった。

「あなた…だれですの?」
「おれは吉法…じゃねぇ。あと何年かで元服して、三郎って名前になるんだ。明らかにお前より年上なんだから、けいご使えよ!!」

なんて、高慢チキに言い放ち。
だが吉乃は腹を立てなかった。
三郎と名乗った男の子の傲慢さは確かに随分酷いものだが、それでも、見たことのない男の子への好奇心の方が勝った。

「お前、そんなとこで何やってんだ?」
「ひめ、ゆきをみているのよ」
「じゃ、ひまだし遊んでやる。出てこいよ」

三郎はしゃがみ、地面に積もった雪をぐわっと掴み、おむすびを握るようにギュッギュとして、それを玉にしてしまった。
吉乃は“すごい!まほうみたいですわっ”と気分が高揚したが、それは空気が抜けた風船のように直ぐにシワシワと小さくなってしまった。

「むりですわ。ひめ、からだがよわいから、おそとにでられないんですもの」
「そうなのか!?」

三郎は雪玉をべいっと後方に投げながら“そりゃー大変だな”と言った。

「ひめ、おそとにでてゆきであそびたいし、ゆきのおにんぎょうもみてみたいけれど…みんな“だめ”っていうんですの」

吉乃はすっかり肩を落とした。
折角この“茶色い頭の三郎様”が庭に迷い込んできてくれて、更には誘ってくれたのに、自分は外に出られない。
がっかりしていると…。

「いいよ」

三郎が、言った。

「連れてってやるよ」
「え…?」

吉乃はゆっくり顔を上げた。
自分の吐く呼気が白く立ち昇る向こう側にいる三郎が、雪と同じくらい白い歯を見せて、ニッと笑っていた。

「雪遊びしたことねェなんて、かわいそうだぜ!おれが守ってやるから、いっしょに雪で遊ぶぞっ」

吉乃の小さな胸の奥に、小さな小さな明かりが灯った。
父や侍女のきつい言いつけは、三郎の言葉に打ち砕かれて、空の彼方へ飛んでいった。
気付いたときには吉乃は“はいッ”と頷いていたのだった。
“さぶろうさま、かっこいい”と思いはしたが、声には出さない。

「じゃ、おりてこいよ」

吉乃はパッと後ろを見、襖がぴったりと閉まっていることを確認した。
そうして窓の外の三郎を濃い紫の瞳に映してにっこり笑い、わたわたと窓を跨いだ…のだが。

「お…おいっ!」

足の裏が地面に触れる前に、体が宙に浮く奇妙な感覚。
息が白く立ち上る程に空気は冷たいのに、吉乃の背中だけは湯に浸かったときのようにポカポカだ。
三郎が、後ろから吉乃を抱きしめているのである。
自分が今どんな風になっているのかということに気付き、吉乃は背中以上に頬が火をつけられたように熱を持つのを感じた。
なんだかソワソワして、ドキドキもした。

「はきものは!?足の裏がしもやけっちまうぞ!」
「しもやけ…?」
「痛がゆくなるんだよ!」
「ゆきはそんなにつめたいのですか?」
「冷たいよ!そんなことも知らねーでよく生きてきたな、お前」

吉乃は一旦窓枠に座らされた。
まだ少しドキドキしている心の臓に手を当てながらここに履き物はないということを伝えると、三郎は“だう〜ん”という効果音が似合いそうな面白おかしい表情を浮かべた。
吉乃が思わずケタケタ笑うと、三郎はムスッとした。
だが、三郎はやっぱり優しかった。

「ないもんはしょうがねぇから…このオレ様がおぶってやる」

むっつりしながら言って、吉乃に背を向けるのだ。
吉乃は凄く躊躇った。
ただ三郎は強引だったから、結局、吉乃はオドオドしながら三郎の背中に負ぶさった。
吉乃の心の臓がまた煩いくらいにドキドキと高鳴ったのは、別に、父と乳母のおとせの背以外に乗るのは初めてだったからということだけが理由ではなかった。

「庭は雪が少ねぇから、ちょっと外に行こうぜ」
「おそと?」
「おうよ」
「でもひめは…」
「だいじょぶだ。おれが守ってやるからな!」

吉乃はまた、ドキッとした。

「…はい、さぶろうさま…」

さぶろうさまのおせなか、ちちうえやおとせよりもあたたかいですわ…吉乃はそう思った。





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三郎に連れられて、吉乃は屋敷をこっそり抜け出した。
屋敷の敷地外へ出るのは、生まれて初めてだった。
辺りの畑一面に、庭とは比べ物にならないくらい雪がどっさり積もっている。
そして、まだまだ降り積もり続けている。

「あそこがいい」

三郎の肩に手を置いて三郎が向かって行く方を見ると、畑の脇に大きな岩がある。
三郎は右手でその岩の上に降り積もっている雪をドサドサ下に落とすと、その場所に吉乃を下ろしてくれた。
岩は三郎の首くらいの高さがあったので、吉乃の素足が冷たい雪に触れることはない。

「お前、ゆきだるまみたいんだよな」
「ゆきだるま?」
「雪の人形って言ってただろ?」
「はい。もうしあげましたわ」
「おれが作ってやるから、そこで待ってろよ」

三郎は深く雪の積もった畑にぴょんと跳んで、両足の足跡を付けた。
が、そこで一度振り返り、また戻ってきた。

「忘れてた」

ニッと雪と同じくらい白い歯を見せて笑って、三郎は濃い緋色の襟巻をくるくるっと取り、その様子をじっと見ていた吉乃の首に巻きつけた。
二重にしても、長さはまだまだ余裕がある。
吉乃が目をぱちくりしていると…。

「体弱いんだろ?あったかくしろよ」
「さうぶろうさまは…?」
「おれは動くからいいんだよっ」

三郎は振り返らず、また畑に飛び込んだ。
吉乃は三郎の背中をじぃっと見ていた。
三郎が何か雪玉を作ってごろごろ転がして大きくしだしたのはとても興味深かったが、それでも、吉乃は雪玉よりも三郎を見ていたいと思った。
見ていると、やっぱりドキドキした。
ドキドキをなんとかしたくてキューっと目を閉じても、すぐに開いて三郎を見たくなった。
ドキドキをなんとかしたくて口元を緋色の襟巻で隠すと、三郎の香りが鼻をくすぐって、ますますドキドキしてしまう…。

「おい!…えーっと、姫っ!」

暫くしてから呼びかけられたとき、吉乃はハッとした。
三郎を見てはいたが三郎しか見ていなかったので、雪だるまが完成していることに気付かなかったのだ。

「かんっせい!」

と、吉法師は誇らしそうに、自分の顔よりも大きな雪玉を二段積み上げた塊を指差してみせた。
よくよく見ると、上に乗っている一回り小さい方の玉に、木の枝で顔が描かれてあった。

「わぁっ!」

それは吉乃が想像していたような“素敵な殿方”ではなかったが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
“さわりたいですっさわりたいですわっ”と騒ぐと、三郎は“危ねぇから暴れんな!落ちるぞ!”と語気を荒げながら、駆けてきた。
吉乃は再び三郎の背に負ぶさった。
そして雪だるまにそーっと手を伸ばして頬の辺りに指先で触れると…なんと冷たいことか!
想像以上に冷たかったので、吉乃は小さく息を飲んで飛び上がった。

「ばぁか」

吉乃から三郎の表情は見えなかったが、声からして、三郎が笑っているのが分かる。
それがなんだか嬉しくて、吉乃も声を上げて笑った。

「満足したか?」
「はいっ。ねぇ、さぶろうさま。このゆきだるまさんにおなまえはあるんですの?」
「名前?」

三郎は再び吉乃を岩の上に戻してくれた。
質問しながら、吉乃は三郎がどこかに行ってしまわないかと心配していたのだが、三郎は吉乃の隣へひょいっと腰掛けてくれた。

「ひめ、おなまえかんがえたのですわ」
「へぇ、聞くだけ聞いてやろうか?」
「おゆきちゃん」
「ダメ」
「どうしてですの?」
「こいつ、男だもん」

眉毛凛々しいだろ?と笑って、三郎が親指で雪だるまを指した。
吉乃が目を細めてじぃっと見ると、成程、確かに眉毛を表す藁のような物が、何十本もくっついている。

「じゃあ、さぶろうさまは、どのようなおなまえがよろしいの?」
「うぅむ」

おどけて、重々しく唸る。
そんな三郎にさえ胸をキュンとさせ、吉乃は黙ってその横顔を見つめていた。
三郎は直ぐにぽんと手を打った。




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