美濃を盗る話 C









ガラッ!

勢いよく戸が開き、ズダダダ…と甲冑に身を包んだ武者達が乱入した。
七人はいようか。
皆が一様に太刀を抜刀し、雪崩込んできたのである。
一鉄は素早く立ち上がり、脇に置いてあった脇差を引き抜いた。
殿の御前に上がる際、太刀は持ち込み不可である。
だから一鉄はこの一大事に、太刀を持っていなかった。
それは他の家老共も同じである。
誰一人として太刀を佩いていない。
皆脇差に手をかけていたが、一鉄のようにそれを引き抜いて立ち上がっている者は皆無だった。
皆立つ前に武者に背後に回られ、身動きが取れないでいる。
しかし突入してきた謎の武者は七人だった筈だ。
こちらには竜興を除いて十人…一人に一人がつけば、三人自由な筈。
案の定、奥に座していた一鉄の背後にまで武者は到達しておらず、向かいに座る守就とその隣の不破光治にまで凶刃は届いていない。
竜興の身を守るため、一鉄は床を蹴ってうろたえる竜興の前へ飛び出した。
他の二人も当然そうするのだろうと思っていた。
…が。

「光治、動くな」

…一鉄は、見た。
脇差を引き抜いた守就が、その刀身を光治の首に押し当てているー…。

「私はお前を殺したくはないのだ」

一鉄は呆然とした。
まさか守就はこの武者達の一味なのか。
小さな小姓二人は確かに一鉄同様竜興を守る為に踊り出ているが、甲冑で身を固め太刀を持った男達に非力な彼らは敵うまい。
一鉄は息を飲んだ。
これは一体どういうことだー…。

「一鉄殿」

凜。
涼やかで聡明そうな声がして、一鉄は守就から目を離して再び入口を見た。
冷気を纏った声の主は甲冑を身につけてはおらず、にこりとも微笑まずに硬く一鉄に頭を下げた。

「そこを、退いては下さいませんか」
「竹中殿…!」

そう、そこにいたのは竹中半兵衛重治である。
いつものように、濃紺の羽織りを羽織っている。
冬の冷気の中で、普段から雪のように白い肌が一層真白に見えた。
重治は静々と一鉄に向かってきた。
一鉄は僅かに身構えたが、重治から“動”の気配は殆ど感じない。
闘志も何もない、いつもの凜とした涼しい気配だけ、その身に纏っている。
一鉄の目の前で、重治は止まった。
黒に近い濃い紫の不思議な瞳に、一鉄が映っている。

「貴殿は私を止められる」
「!」
「貴殿しか、私を止められないでしょう」

涼しい目で、重治が広間をすーっと見渡した。

「私は太刀を佩いていますが、しかし非力な私では剛勇として名高い貴殿の脇差による一太刀を受けることなど、いくら太刀があろうと不可能でしょう」

そしてもう一度その視線が一鉄に戻ってきたとき、重治は驚くべき行動に出た。

「さぁ、お斬り下さい」

驚く一鉄の目前で、手を大きく左右に開いたのだ。
太刀の柄に触れる気配は毛程も無い。
一鉄が腕を突き出せば心の臓を一突きにできようし、振り下ろせばその胸はぱっくり開いて着物は血に染まることだろう。
戦場にて常に速決する稲葉一鉄が、明らかに躊躇った。

「…まさか…」

一鉄はいつでも繰り出せる位置に脇差を構えたまま…しかし微塵も動かさなかった。

「馬鹿なことはおやめくだされよ!竹中殿っ!!」

悪い夢を見ているようである。
まさか、斎藤きっての秀才で軍師の竹中重治が、日頃の鬱憤が爆発してこんな愚行
働くとは…。
今この場所では優位に立てても、このまま無事に城を出られる筈がない。
竜興に殺されてしまう。

「一時の感情に衝き動かされ斯様なことをなさっては元も子もあるまいぞ!直ぐにこの者共に刀を収めさせ、城を出て所領に御引き取りなされ!」
「私は一時の感情にてこのような愚行を行う愚鈍な男ではありません。本気です」

ちゃっ…!

入口にまた人の気配。
火縄銃を構えた十人程の男達がいる。
銃口は全て一鉄の頭上を越え、竜興に向いていた。

「一鉄殿。貴殿のような武人に種子島は向けません。ですので、この場で自由に動けるのは貴殿だけです」

腕を、前に突き出せばいいのだ。
それだけでこの謀反人を討ち取ることができる。
それは臣下として当然の行いだ。
当然のー…。

「下衆め…!一鉄!さっさとその目障りな畜生を殺せ!!」

…当然の………なんだというのだ。

「…竹中殿、…貴殿は…これが…正しいことだと胸を張って言えるのか…」

何が当然だ。
忠誠とは何か。
従うだけなのか。
今までだって、武辺に合わない命令にはある程度背いてきたではないか。
自分の信念に従ってきたではないか。

「ええ、言えます。私は自分に嘘はつきません」

…彼は信念に背いていないではないか。
今こそ立ち上がる時ではないか。
もう、燻ってはいられない。
本当はずっとわかっていた。
自分の武辺者たる信念を守ることとこのどうしようもない主を守ることは、決して同じではなかった。
結局自分を曲げていたのだ。
本当は…。

「…分かり申した」

本当は、こんな男はさっさと見限るべきだったのだ!!

「儂はここを動かぬ。好きになされよ」
「なっ…一鉄貴様っ…!裏切るかっ!!!」

後ろから若殿の怒号が飛ぶが、一鉄はもう振り返りはしなかった。
自分の信念に従う。
どちらが正しいか、本当はもっと昔からわかっていたのだ。
もう、曲げない。

「御屋形様、稲葉山城は本日、この竹中重治が占領致しました。直ぐにお引き払いを」
「きっ…貴様っ…!」
「出て行けと言っているのです。その耳は飾りですか?」

一鉄の目の前でようやく、重治が微笑んだ。
“その耳は飾りか”
よく、竜興が吐いた言葉。
竜興はギリギリと歯軋りをしていたが、しかし銃口を向けられてはどうしようもない。
小姓を引き連れ身を翻し、光治に“付いてこい!”と下知を飛ばした。
出て行く竜興の後ろを、種子島を構えた重治の部下が付いてゆく。
更にその後ろを光治が付いてゆくのだが…光治は一度だけ振り返った。

「あんたがこういう凶行に出るのは意外だったな」

裏で家中の者に“鉄面皮”やら“能面”やら言われる氷のような無表情で、言った。

「こういうやり方、俺は嫌いじゃない」
「そうですか、ではやはり私と貴殿では気が合わないようだ。私はできれば、このような凶行はしたくなかったのです」
「…ふんっ」

ほんの一瞬だが鉄面皮が崩れ、しかめっ面になった。
そして、光治も竜興もいなくなった。
沈黙の中、一鉄はただ黙して重治を見ていた。
重治は微笑んでいる。
雪のように白い肌をした、優しげな男。
聡明で、物静かな男。
しかし、その心にはとんでもない熱が詰っていたのか。
…一鉄は、口端を上げた。

「…とんでもないことをなさったな、竹中殿」
「貴殿もですよ、一鉄殿」

そしてお互いにっこり笑った。
かつてない戦慄を覚えながら。
しかし、奇妙な満足感を得ながら。














澱んだ空からぱらぱらと牡丹雪が落ちてきた。
如月の一日。
いつもとは違う一日。














end













*****

本編に入れると長すぎる話なんで、こっちに収録。

光治好きですが、一鉄も好きです…!
斎藤家家臣団は結構おいしい(ぇ

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