『零』の実在(メモ)



「一はニを生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」、『「一」は「二」を生ず』。

仮にいま意味する「一」を「無」と置き換えるとする。「無」とは「有」と相対をなすものだから、「無」の概念には「二」を生ずとも、「二」を含むとも云える。「三」は「一」と「二」の統合としての、上位概念として成立する。更に「三」の中には「一」と「二」を統合するという、概念が存在するから、「万物」を生じても構わない。
実在としての物自体は、人間の認識を超えるものとしている。果たして、認識を超えるものを概念的に規定出来るのだろうか。
実在とは零のようなもの。零という「存在」も「現象」も有り得ない。所詮は人間の思惟の所産でありその発見も比較的新しい。だが、零は人間の思惟の中には「存在」する「存在」なのだから、「無い」ものが実は「有る」としか云いようがない。しかも人間文明の基底となっていることには、否み得ない事実である。それが零の実体であり、実在の真相なのではないのだろうか。





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