パタパタと雨が降り出した。
そんな街中を傘をささないで歩いてみる。
今持ってる傘がお気に入りなわけでもない。
雨に当たりたい気分でもない。

ただ、傘を閉じたら雨が降り出して、また開くタイミングを失っただけ。




(どうせ通り雨ネ…)

だからしばらく我慢すれば大丈夫。
そう思った神楽は、よしっと意気込んで歩き始めた。
瞬間に、腕を引かれた。













ーーーー----……‥‥




一瞬だったと思う。
口を開く前に路地裏に連れられて。
顔を見たら息を飲んでしまって何も言えなくなる。
そして開いたままの口からようやく声が出てきたのは、それから数秒後だった。




「っ…な、にアルか!」

「ちょっと黙って。」

だがしかし、有無を言わさずマントの中に入れられる。
しっかりと抱きしめられ、広い胸元に顔をぎゅうぎゅうと埋めらされて息苦しい。
そんな神楽をお構いなしに、男は1歩、また1歩と歩いた。
すると背後から声がかけられる。




「団長…っと、何やってんだ?」

「あぁ、問題ない?」

「誰かさんが途中でいなくなったこと以外は問題ないな。」

「そう。
じゃあちょっと猫と遊んでくるよ。」

「猫?」

「さっきまで遊んでたのに、阿伏兎のせいで逃げちゃった。」

腕に強く抱かれたままだが、顔を横にずらすことで苦しさはなくなった。
しかし密着していることに変わりない。
兄が何を考えているのかわからないが、ここで大声でも上げてやろうか、なんて考えていると神楽を抱く神威の手が動く。

触れている神楽の肩をトントンと優しく叩いたり、撫でたりする。
まるで落ち着けと宥めるような。
昔は確かそんな感じで宥められたような。
その時はまだ優しい兄で、こんな強引ではなかったが。
次第に心が落ち着いてきた神楽は、気配を消して2人の会話をジッと聞く。




(なんで…こんなこと)

寄せた神威の胸板から、鼓動が聞こえる。
それはどことなく強く感じ、神威が緊張しているように思えた。




「じゃあ俺は後で合流するから。
心配しなくとも、問題は起こさないよ。」

「聞かねェ奴に何言っても無駄だろ。
早く行っちまえ。」

その言葉が聞こえた瞬間、神威から力が抜ける。
そして再び神楽を抱きしめると、そのまま一気に走り出した。




(っ…足が)

走る足と当たらないよう横にずれる。
だが気を抜くと落ちそうになり、必死に神威の背中に縋りつく。

すると突然、足が浮いた。
気付くと神威が神楽の足を持ってお姫様だっこ状態で走っていた。
そしてそこらの家の屋根を一気に駆け上がると、ようやくマントから顔を出せた。




「何アルかっ
急に来て隠れ…ッぅあ!」

「喋ると舌噛むよ。」

再び有無を言わせず走り続ける。
その勢いが本気すぎて、仕方なく神威の胸の中でおとなしくしていた。




「っ……なん、で。」

疑問と戸惑いが渦巻く。
けれど何故か不安はない。
それがおかしい。
当たる小雨にも気にせず神威の顔を伺うと、再びマントの中に入れられた。

少し湿った顔と肌がじんわりと温かくなっていく。
どうやら雨除けのために入れてくれたらしい。
今更ながら、密着した体から伝わる体温に恥ずかしくなってしまう。
そしてしばらく神威の胸に納まっていたら走る勢いがどんどん弱くなった。




「もうここで良いかな。」

「…っはぁ、」

砂利を踏む音。
ようやく足が地に着き、マントから抜け出せた。
周囲を確認するとターミナルが遠くに見え、先ほど神威に捕まったところからだいぶ離れた場所にいるのだとわかった。
周りは閑散としていて、銭湯の看板がある古びた建物の屋根で雨宿りをしていた。




「ちょっと暇つぶしに何かないかなって思ったらどこかで見たことのある後ろ姿を見つけて。
嬉しくて誘拐しちゃった。」

「そんな笑顔で誘拐って言うなヨ、馬鹿兄貴。」

「だって楽しくなかった?
お姫様をかっさらう王子様って童話とかでよくあるやつじゃん。」

「そのお姫様は別に王子様に助けて貰いたかったわけじゃないネ。
これじゃただの誘拐事件アル。」

「でも困ってたでしょ。」

「困る?」

「俺にはそう見えた。」

傘を差さずに道なんか歩いて。
まぁそのおかげで探せたんだけどね。




(無駄に察しが良いアルな…)

でも、私にもわからないのだ。
このモヤモヤとした鬱陶しい感じがどこからきているのか。
だから雨に打たれて帰って風呂入って寝れば綺麗さっぱり忘れるんじゃないかと思った。

なのに、兄に誘拐されてそれも失敗に終わる。




「まぁ…少しは気が紛れたネ。」

「そう?
なら良かった。」

腕を引かれて再び兄の腕に収まる。
だけどマント越しで、柔らかいだけで何も伝わらない。
それが面白くなくて、神楽はマントの中に潜り込んで、再び体を密着させた。
こうしていれば、鬱陶しさもなくなる。
そう思って。




「ありゃりゃ。
ずいぶんとまぁ可愛いことしてくれんじゃん。」

「お姫様はそういう気分なのヨ。」

「へぇ、なら本気で連れてっちゃおうかな。」

「ん…っ」

ぎゅうぎゅうと抱き締める神威の腕。
そして不意に額に柔らかい感触がして、更に苦しくなった。
高鳴る鼓動が相俟って、もう何も考えられなくなった。




(やっぱり馬鹿兄貴アルな…)

本気で誘拐、なんて言っているが。
どうせ一頻り遊んだら、ちゃんと在るべき場所へ帰してくれるのだろう。
確証は無いが、信じられる。
それもこれも家族だからなのか。
家族、なのか。
恋人じゃないのか。
神威といると、本当に兄妹なのかと戸惑うことがある。




「抵抗しないんだ…。」

「…………。」

「それだけ俺を信じてくれてるって解釈で良い?」

シトシトと地面が湿る音。
先ほどよりも強くなってきたので、帰ろうにも帰れない。
これは兄に付き合え、との事らしい。
胸板とマントに挟まれた温かい空間。
それにとても落ち着いてしまった。

抵抗しないんじゃない。
したくても、できないのだ。
何たって居心地が良いから。




(腐っても兄貴アルな…)

優しい兄の記憶がふわりふわりと蘇る。
その愛しい過去をこの雨が全て滲ます前に、どこかに連れていってほしい。
そして上書きしてほしいのだ。




「いいヨ。」

「ん?」

「私を連れてってヨ…兄ちゃん。」

そして勝手にすればいいアル。
昔みたいに、私も勝手にするから。

声がどんどん小さくなるが、神威の耳には届いたらしい。
神威はマントの首元を引っ張ると、神楽と目を合わせて優しく微笑んだ。




「…わかった。」

「っ………。」

「じゃあここからは童話とは違う話で進もうか。」

「違う…?」

「離れても、また会いたいって思えるようにしてあげる。」

童話じゃ王子様とお姫様はずっと一緒のハッピーエンド。
だけど俺らはそうなれないから、またこうやって会えるのを期待して待つしかない。
そう呟くと、至極優しくゆっくりと顔を近付けてきたので、神楽もゆっくり目を閉じた。













(私も兄ちゃんを信じて)





16,02/10
戻る
リゼ