『漂流者』11

本当に現れるとは、思ってもみなかった。
いや、別にこの後輩を疑っていた訳ではない。会えるのならば、是非一度この目でその姿を拝んでみたいとも思っていた。
けれど、実際に起こってみると、色々と勝手が違う。都合が変わるのだ。
目の前の光景に、これはなんだ、と問い掛ける己がいる。

瞬きをした瞬間だった。
上下のまつ毛が合わさったその刹那に、男は目の前に現れた。
雨上がりのような、土の匂いが香った。
姿ははっきりと目視出来ていて、生きている人間と大差なく見える。
着物の裾からは足が二本伸びているし、照明の下で影まである。
(これが、幽霊なのか?)
真っ白な掛け軸。そして、それに描かれていた幽霊画にそっくりな男。
確かな証拠を突きつけられているというのに、不思議な程に実感がなかった。

「貴殿のことを、某に教えて頂きたい。」
その声は、突如耳に入って来た。
ハッと我に返り、己がしばし意識を飛ばしていたことに気が付く。まさか本当に、なんて言葉は陳腐な表現だが、そうとしか言いようがない。
今の状況を理解しようと改めて様子をうかがうと、なにがどうしてそうなったか(…は、ある程度想像がつくが)真田が幽霊画の男を質問攻めにしていた。
これならば聞き役に徹していても問題はなさそうだ。
流石に立ったままでは居心地が悪いだろうと席を進めると、二人ともそこで初めて思い至ったかのような顔をした。
飲み物をとって来る、とキッチンへ駆け出した真田の背中を見送っていると、男は「あぁそうだ」と呟いてこちらを振り返った。
明るい色をした髪の毛が、視線よりも低い位置でふわりと揺れる。
「あんたとは初めまして、だよね?怖い顔したお兄さん。」
「…。」
己の面構えについては色々と自覚はあるが、初対面で真正面からそんなことを言ってくる奴は初めてだった。
失礼な物言いのはずなのに腹が立たないのは、悪意を感じないからだろうか。どこか、男にはそれを許してしまう空気がある。
やりづれぇヤツだ、と、無意識に頭をかいた。
「…あぁ。それより、座敷の方が良かったか?」
空気を変えるにしても、いささか乱暴な話題転換だったかもしれない。慣れないフローリングでは落ち着かないのではないか、と気遣ったのだが、男は予想に反して笑ってみせた。
「ここでいいよ。こんな上等な板の間、俺様初めて。…うわ、お座布団もふっかふか!」
それは座布団ではなくクッションなのだが、今、わざわざ時間を割いて説明するほどのことでもないだろう。
去った時と同じように騒々しく戻って来た真田に「時間を考えろ」と注意して、増えたグラスに冷えた麦茶を注ぐ。
そもそも飲めるのか?と、遅すぎる疑問がよぎったが、それは杞憂だったようだ。
男は嬉しそうにグラスを持ち上げると、ごくごくと豪快に喉を潤した。
ぷはっ、と人間臭く息をつくのを見守って、真田が「では」と切り出した。仕切り直しとなったせいか、声は少々緊張を含んで硬くなっている。
「ま、まずは、自己紹介から致しましょう!某は真田幸村、来年二十歳になりまする!」
どうやら彼は、思っていた以上に緊張していたらしい。
自分でも「これはなにか違う」と感じたのだろう。顔を真っ赤に染める姿がなんともいたたまれず、「合コンじゃねぇんだぞ」なんてツッコミは、腹の底に飲み込んだ。

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