23.長政とイチ

最近、長政さまの帰りが遅いの。
…ううん、イチ、ちゃんとわかっているわ。長政さま、新しくアルバイトを始めたんだって、イチに教えてくれたもの。
だから、イチのところに帰ってくるのが遅くなるって、すまない、って。そういって優しく背中を撫でてくれたもの。
『…長政さま…。』
アルバイトなんて、なくなってしまえばいいのに。

今日も、長政さまの帰りは遅い。
カーテンの内側から外を眺めていたけれど、あっという間に日は落ちて、お月様が高いところまで昇っている。
いつもは皆が揃ってから始まる夕ご飯だって、長政さまがアルバイトの日は椅子が一つ空いたまま。
「どうしたの、イチちゃん?ご飯、食べないの?」
お母さんが心配そうに聞いてきたけれど、イチ、今は食べたくないの。ごめんなさい。
長政さまが帰ってきたら、そうしたら、長政さまと一緒に食べるわ。
『だから、心配しないで…?』
勇気を出して視線を合わせて言ってみたけれど、お母さんは、あまりイチの言うことが解からないみたい。首を傾げて、ずうっと心配そうな顔をしている。
大丈夫よ、お母さん。
だから、早く長政さまを連れてきて。
もう一度声をかけてみたけれど、やっぱりわかってもらえなかったみたい。
いつもよりちょっと美味しいご飯が、イチの鼻先に差し出された。

ザクザクと、庭の砂利を踏む音がする。誰の足音か、なんて、イチの耳にはすぐわかるわ。
ドアの前まで駆け寄ると、部屋にいたお母さんが「あら、帰ってきた?」と微笑んで、長政さまのご飯を温め始めた。
ねぇ、早く。ドア、早く、開いて。開いて。このドアはとっても意地悪だわ。
ゆっくりと開いたドアに慌てて顔を突っ込むと、長政さまの足が目の前に見えた。
「イ、イチ!危うく踏んでしまうところだったぞ!」
慌てて長政さまが足を退かすけど、イチ、長政さまがイチを踏む訳ないって知っているもの。
ノドを鳴らして足に体を摺り寄せれば、長政さまは一つ息を吐いて、イチを抱き上げてくれた。ノドのごろごろは、自然と大きくなってしまう。
「ただいま、イチ。」
『お帰りなさい、長政さま…。…あのね、イチ、ご飯食べずに待っていたの…。長政さまと、一緒に食べたいの。いい…?』
答えを聞く前に、長政さまはイチのお皿を持ち上げていた。そしてそれは、長政さまの椅子の足元に置かれて…。
「ほら、イチ。」
『長政さま…!』
お皿の前にそっと下ろされて、長政さまが椅子に座る。もちろん、長政さまの前にもご飯が並べられている。
長政さまのお膝の上で食べられないのは残念だけど、そうすると、長政さまが困った顔をするのを知っているから、我慢よ。我慢。
こうして上を見上げて、目が合った長政さまがイチに微笑んでくれるだけで、それだけで十分。いつものご飯のはずなのに、とってもとっても美味しくなるから、やっぱり長政さまは凄いお人ね。
寂しかったわ、なんて弱音も、今の喜びの前ではどうでもいいことに思えてしまう。
ちょっと拗ねてみせようかしら、と思いもしたけれど、いざ長政さまの顔を見てしまったら、とても出来そうにない。
「やはり、ご飯は誰かと一緒に食べた方が美味いな、イチ。」
『うん。イチも、そう思うわ…。』
「誰か」が長政さまなら、尚更美味しいの。

だから、長政さま。アルバイト、やめた方がいいと思うの。
だって、もっと早く帰って来られたら、家族みんなでご飯が食べられるもの。
それに、イチはもっとずっとずっと長政さまと一緒にいたいわ。
…うぅん、長政さまが我慢しろっていうなら、頑張って我慢する。
けど、それでもやっぱり寂しいの。
貴方のすべてが恋しいの。

『長政さま…』

アルバイトなんかやめて、イチと一緒にいましょ?

きっと、その方が楽しいから。

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