木場新町白蛇ノ油商メモ落書き
 2013.01.09 Wed 20:54

※解説文は少しずつ書き足し中であります


 所は時折、木遣り歌の聞こえる材木問屋の並ぶ界隈。
 最近川岸を均して堤と堀切を整えた辺りを木場新町と世間様は言うらしい。
 以前はシマを巡ってならず者共が争う事もあったが、お奉行様の目付きの番所が出来てきてからは大きな喧嘩などは滅多に起こることもなくなった。


「で、何でオレが油なんかを買いに行かなきゃいけねェんだよ。オレは目付け見習いであって遣い走りじゃ断じてねーぞ!」
「番所付きの長屋に居候する身分で良く言えたものだな。嫌なら出ていけ、但し今までの飯代を耳を揃えて払ってからの話だがな」
「ハァ!? だーから、そんな金があったらとっくにテメーの顔に叩き付けて返してやってるてェの!」

 新町の通り端にある番所にて、男二人が何やら言い合っていた。
 それから暫くして若い男が軒を出て何処かへと出掛けていく。
 その手には銅銭の詰まったがま口がしっかりと握り締められていたのだった。

 行き付けの小間物屋へと向かう途中、道の端で見慣れない眼鏡の男が目に入る。
 地べたに下ろした背負い籠の脇には旗が挿してあり、白蛇堂百能油と書き記してあった。
 目付け見習いの男がその場を通り過ぎようとした時、丁度反対側からやってきたおかみさん衆が行商を取り囲んだのが目に入り、何とはなしに足を止め様子を見る事にする。

「あぁこれはどうも、先日はお試しありがとうございました」
「ちょいと兄さん、アンタから貰ったあの塗り薬、あれはほんとに痒いのにも切れたのにも効いたよ。
 今度はちゃんと買ってくから、アタシの知り合いにも安く譲っとくれよ」

 人の良さそうな笑顔の行商に、さあさあ早く、と話していたおかみさんがせっついている。
 連れ立ってきた仲間内がお幾らだい、と尋ねるが、行商は籠から小さな陶瓶を取り出し、それぞれの掌に乗せて微笑んだ。

「まずは皆さんこれをお試しください。
 お代をいただくのは次のお買い上げからで結構です。
 この軟膏油、たちどころに、とまではいきませんが痒み切り傷、火傷に虫刺され、どれに付けても治りが良くなります。
 もしお気に召しましたら、今後ともご贔屓によろしくお願いします」

 そう言って頭を下げる行商に、おかみさん達は大層ご機嫌で詰め寄りあれやこれやと効能や使い方を聞き始めた。
 そこで目付け見習いは自分の用事を思い出し、後で覗いてみようと考えながらその場を後にしたのだった。


「ってワケで、ちょっと寄り道して遅くなったんだよ」
「全く、油を買いに行かせたら反対に油を売ってくるとはとんだ野郎だ」
「でもよ、コレただで貰ったんだし、損して得取って帳尻あってんだろ?」
「馬鹿を言うな、お前には雑用と番所の留守居を言い付けてあるというのに、長々と出歩いていては話にならん。
 次に同じ事をやったら今度こそ」
「ちょっ、待て待て!
 コレ、オレが使うのに貰ってきたんじゃねーんだよ!
 裏ン家のバーサンが顔合わす度にアカギレが痛ェーのなんのってうるせーから、コレくれてやろーかと思ったんだよッ」

 見習いがそう言って暫く話のやり取りが途絶え、ならさっさと渡してこい、という言葉に押されて見習いが戸を開いて表へと出てくる。

「ヘッ、オレだって何かやるにはちゃんと理由があるってーの!
 ダラけて拳骨貰うのは充分身に染みて分かってンだぜ」

 小言を切り上げ、戻ったら蝿帳の饅頭でも食っていろ、と背を向けた目付けのいる方に舌を出し歩き出す。


「フン、吹っ掛けの薮医者が近頃患者が減ったとボヤいていたが……
 悪どい商売のせいだけではなかったようだな。
 しかし余りに安価で商いを続けられては、この辺りの薬の値が崩れるやも知れん」

 そう呟いた目付けは手早く筆を執り、旧知の薬学者と女医者へ用件を纏めた文を書き付ける。
 何れも過去の目的から決別し、ごく稀の文のみのやり取りをしながら繋がる連中である。
 これをあの見習いに見付からぬよう送る算段を立て、目付けは漸く一息入れようと番茶を鉄瓶に放って湯飲みを二つ並べたのであった。
 




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