406(マッサージ小説)

406:1/6 :2008/07/08(火) 09:34:00 ID:5grrKRR8 [sage]
金曜日。残業が終わり、タイムカードを通す。
ロッカーで手早く着替えを済ますと、まだ事務所に残っている社員に
挨拶していつも通りを装い退社する。

少し顔が上気しているのが自分でわかる。
駅に向かう足が自然と速くなる。
新大阪駅。前もって買っておいた新幹線の切符を財布から出してエスカレーターを
駆け上がると、自動改札を走って抜けて東京行き最終ののぞみに乗り込んだ。

新幹線が動き出した。
この夜の流れる景色を見るのは何度目だろう。
大阪と東京に離れてから1年2ヶ月、会うのは1ヶ月に1度。
「14回目なんだ」
学生時代はいつも一緒にいたのにな。

通路を挟んで隣の列の席にはサラリーマン風の男性が座っている。
荷物棚には大きめの旅行鞄が乗せてある。
ビールの空き缶が窓際に2本。目のふちが赤い。眠っている。
この男性は何度か見かけた事があった。たぶん単身赴任しているのだろう。
金曜の夜に仕事を終えた後、家族の元に帰る人。

やっと心臓の鼓動がおさまった。
夜の車両は静かだ。
目を瞑る。
あと2時間20分足らずで彼に会える。

私の彼は、基本土日が休みではない。
たまに休みを合わせてくれるけれど、休日が忙しい仕事なので
明日あさって共に出勤だ。
私は実家暮らしなので平日に彼に来られてもあまり時間を取れない。
自然私が一人暮らしの彼のいる東京に行くばかりになっている。
もちろん夜の東京で二人で遊ぶのはすごく楽しいし、なにより
彼に会えると思うだけで一週間の疲れなんて飛んでいく。
407:2/6 :2008/07/08(火) 09:34:30 ID:5grrKRR8 [sage]
少しうとうとした。
「凝ってるな〜鉄板入ってるみたいだぞ」
ベッドに腰掛けた彼が、床に座っている私の肩をいきなり掴んで言った。
「最近運動不足だからかなぁ」
「ここ。ゴリゴリしてる」
「あっ!」
彼の親指は普通の人より外側に反るのだ。その分ツボに広く深く効くみたい。
それを知ってる私は、ちょっと触られただけで体に電気が走ったみたいになる。
「疲れてるでしょ?明日も仕事なのに」
「コリを見つけてしまったら、そのままほっとけない」
大きな手を私の背中にあてがって、肩から腰にかけてさすってくれる。
じーんと背中から頭に電流が伝わって、頭のてっぺんから体中に向かって
快感が降りてくる。左手を私の額に当て、右手で首をくいくいと揉んでくれる。
前後にリズミカルに体が揺れる。両肩をつつみこむようにしながら
ツボを押してくれる。目を閉じて肩に意識を集中する。
ありきたりな表現だけど、彼の指だけが別の生き物みたいに動いている。
ぐりっという感触に痛みを感じた後は、すうっと新鮮な血が流れる。
「・・・服を」
脱いだほうがいい?言葉にならない。髪の先までしびれて、頭の中がじわっと暖かい。
暖かくて、眠くて、愛しくて、瞑った目からなみだがこぼれた。

目が醒めると有楽町が見えた。
身支度を手早く整え、まもなく新幹線は東京駅に滑り込んだ。
408:3/6 :2008/07/08(火) 09:35:14 ID:5grrKRR8 [sage]
青白い蛍光灯に照らされた改札の向こう側、ジーンズにTシャツの
彼が私を見つけて手を上げた。
「おぅ。お疲れ」
「うん」
人もまばらな構内は、日付が変わったばかりの深夜なのに明るい。
そこここの柱の影に、数組の彼氏彼女がいる。
みんな遠距離恋愛なのかな。久しぶりに会った彼氏に、泣きながら抱きつく彼女。
山手線のホームに向かいながら横目で見る。
「なに食いたい〜?」
「んー坦坦麺!」
こっちはムードなどまるでなしである。

おなかも満ちて、彼のマンションに着いた。
テレビをつけて少しぼんやり座っていると、彼がひきだしから何か出してきた。
見ると小さな白木の箱だ。中には鼈甲の耳かきが入っていた。
「これは」
彼は、に!と笑ってころりと私の膝の上に頭を乗せた。
私たちは1ヶ月に1回会える。
そしてそれはひとつきに一度の耳かきデーなのだ。
前の月に会ってから、この耳は誰もさわっていない。彼でさえ。
私が耳掃除を固く禁じているから。

はじめて手にする鼈甲の耳かき。しっくりとなじむ。
美しさにしばし見蕩れる。シンプルで機能的で美しい。これで。
これで彼の耳をこころゆくまで。
409:4/6 :2008/07/08(火) 09:36:39 ID:5grrKRR8 [sage]
耳のひだにそっと当てる。
一番上。すーっとなでると灰白い垢のような汚れが取れる。
ティッシュでふき取って、またこそげる。
耳の外輪に沿ってくるりくるりと掻いていく。
ぱりぱりとした白い耳垢を集めて、耳かきのお皿で何度もすくう。
耳殻全体を軽くカリカリと掻くと、耳が生き返ったようにピンクに染まる。
あぁ、気持ちいいだろうな・・・
残念ながら飴耳の私にはこの耳かきで耳垢を取る気持ちよさがわからない。

さあいよいよ耳の穴の入り口。
テーブルの上の耳かきセットからペンライトを取り出し、照らしながら中を伺う。
穴のまわりに黄色いモノが見える。形の崩れたドーナツみたいだ。
前回の耳かきではどうしても取りきれなかったのだ。
慎重に壁からはがしていかなければ。鼈甲の耳かきをそっと差し入れる。
「う」
「今動かないで」
ぱりっ、ぺりりっ、聞こえるはずのない音が聞こえる。
この耳かきはいい。まるで彼の耳の穴に自分の細くなった指が入り込んだかのように
自在に動く。薄暗い壁を掻きわけると、こつんと耳垢に当たった。
軽く押しながらゆっくりはずしていく。ぴり、ぴりとゆるんでいく。
「なんかはがれていく感じが気持ちいいな」
日なたの猫みたいに彼が目を閉じている。私の鼈甲色の指がさらに穴の奥に進む。
410:5/6 :2008/07/08(火) 09:37:11 ID:5grrKRR8 [sage]
くしくしくしと皿の先をうまく使いながらこそげると、耳垢の片側がはずれた。
「あぁ、もう少しで取れそう」
「ちょっと痛いよ」
「我慢して・・・」
はずれた所にすいっと皿を差し込んだ。更に奥に。
そのまま軽く振動させながら耳垢を手前に引き出す。
すぽっ。
見事にそのまま耳垢が抜けた。
「うわー取れた」
「見せて見せて!」
皿に載せたままの耳垢は、ここ最近ないくらいの大物だ。
ドーナツではなく、まるで使い終わったクラッカーみたいな形をしている。
「おぉう」
「うぶげが付いてる」
「しかしなんで女って、『きたなーい』とか言いながら喜んで耳垢取りすんの?」
「別に喜んでないよ」
「俺に溜めるだけ溜めさせてるだろ・・・」
無視して梵天つきの耳かきに持ち変える。
ふわふわの羽毛がしぼみながら耳の穴に入る。
耳の壁をこじるようにして、くりくりと回すと、彼はまた目を閉じた。
「これ、背中がぞくぞくするな」
「気持ちいい?」
「気持ちいいよ」
くるーん、くるーん、ふわふわ。
取り出すと白い粉が耳殻に散らばった。
それをまた鼈甲で集める。最後にティートリーオイルを精製水で希釈したものを
浸した綿棒で丁寧に取り去ると、耳はぴかぴかになった。
411:6/6 :2008/07/08(火) 09:38:05 ID:5grrKRR8 [sage]
「反対向いて」
もう片方の耳もペンライトで覗いてみると、こっちには黄色い岩石のような
耳垢がひっついていた。
「中がすげーかゆい」
「全部綺麗にしてあげるね」
カリカリ・・・「そういえば」「何?」「お父さんの耳に耳毛が生えてきたの」
「きたか」
「お母さんがすごいショック受けちゃって。もうおじいさんだって」
「耳毛は黒いのか」
「黒いよ」
「それはまだおじいさんじゃないだろう」
「あ 取れそう」
ゴソッ ゴ ゴ・・・ズルッ
少しの取りこぼしを残して、大きな塊が出てきた。彼に鼈甲を奪われた。 
「大きいな」
「耳毛あるかな」
「俺?」
「うーん ないね」
梵天で残りのカスを取り、湿った綿棒で耳のすみずみまで拭き取る。
「あー、すーっとする」
綺麗になった彼の耳は、産まれたての赤ちゃんの耳のようにぷりぷりしている。
なのに頬から顎にかけて、ざらざらとひげがあるのだ。
そのひげに頬擦りした。
彼は私の頬を両手で優しく包んで
「眠くないか?」と聞いた。

                  (了)
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