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29:夢花火 :2007/06/22(金) 07:41:33 ID:D+5ZXM5A [sage]
「猫臓」1

訳あって寝不足である。
漫画家を生業にしている私にとって、締切前の一日二日の徹夜などは当たり前。
今回などは三日徹夜してしまった。やっと原稿が仕上がり、近くに借りている仕事場から
帰宅したのは一週間振りだ。
久しぶりに風呂にもつかり、さて思う存分寝られるぞ、とホクホクして布団に入ったのだ
が、人間おかしなものでこういう時になかなか眠気が襲ってこない。
仕方なく大好きな関根勤のDVDを見ながら睡魔の登場を待つ事にした。

しばらくするとスゥ…っと眠りに堕ちる感覚がして私は意識を失った……

……はずなのだが、しばらくしてまたぽっかり目が覚めた。
生暖かい風が吹いた気がしてふっと窓を見ると、カーテンに隠れるようにして見覚えのあ
る猫が座っていた。

猫は白に黒いブチで大柄、首にドラえもんの鈴をつけている。

「…猫臓?」
猫臓とは私が、子猫の時分捨てられていたのを拾って大事にしていた猫で、つい先月
老衰で亡くなったばかりである。
チリ…チリ…と鈴を鳴らして猫臓は三歩ほど進むと完全に姿を現した。
それを聞いて猫臓の鈴は中が錆びていて、チリチリと鳴ったのを思い出した。
30:夢花火 :2007/06/22(金) 07:48:22 ID:D+5ZXM5A [sage]

「猫臓」2

「ミャーミャー…」猫臓はしきりに何か話しているようだ。
と、しばらくするとまるでニュースの同時通訳のように、日本語が
聞こえ始めた。

ミャー…「…私の名は猫田猫臓。享年16歳。人間でいうところ180歳。生前は主人に大変
可愛がって頂き、誠に有り難く、私大変感謝致しまして、今、また生前の姿を借りて
こうしてご挨拶に参上した次第であります」

私があら、猫臓ってこんなキャラだったっけか、と思っていると、猫臓はさらに続けて言った。

「私生まれてすぐ捨てられ、母の顔も分からず、肺炎の身のところ手厚く看病して頂き、
長らく立派な家に住まわせて頂き、ご恩は感謝してもし尽せぬ程であります」

何かに似ている…私は考えていて思い当たった。口調が鳥肌実の演説にそっくりなのだ。

「猫も長く生きておりますと、不思議な力を持つ事がありまして、神様にお願い致します
と、主人の願いを一つ叶えてもよいと言って頂きました」
「神様…願い…」私が呟くと猫臓はひとしきり声を張り上げて鳴いた。
「私残念ながら、あまり長くはいられませんので、どんな願いでもよろし、お急ぎ下さい」

急げと言われても…と思ううち、みるみる間に猫臓の体が消え始めた。
1:夢花火 :2007/06/22(金) 07:56:54 ID:D+5ZXM5A [sage]

「猫臓」3

「ちょっと、待って!」私が叫んだのに、猫臓は聞こえないのか「主人、早く願います」
と言うばかりだ。
それで急に私は、猫臓が死ぬ前耳だれに悩まされていたのを思い出した。
するとなぜだかしばらく耳かきをしていなかった事を思い出した。
思い出した途端耳が無性に痒くなってきて、私は思わず
「ちっさくなって自分の耳に入りたい!」
と叫んだ。

首から下は完全に消えていた猫臓は「了解。主人、それではどうかお元気で…」
そう言うとスーッ…と闇に溶けるように消えた

…兼ねてから妄想していた事を言ってしまった…まあいいだろう、猫臓にどれだけ
力があるか知らないが、何が起こるか楽しみだ。
しばらくすると辺りが急に真っ暗になった。

目が慣れるまで随分かかって、ようやく自分が耳の中にいる事に気がついた。
しかし本当に真っ暗である。
自分自身の体さえはっきり見えない状態では、暗い洞穴でじっとしているのと変わらない。
私は猫臓に耳に入りたいと言ったが肝心の耳かきをしたいと言うのを忘れた。
猫臓があんまり急かすから、すっかり目的を伝えそびれてしまったではないか。

私は腹が立って「おい猫臓!」と言った。
とたん耳がキーンと痺れてしまった。そうだ私は自分の耳にいるのだった…。
するとどこからか「はい、猫臓です」と聞こえてきた。
また喋るとキーンとくるが仕方なく小さい声で「消えたんじゃなかったの」と言うと、
「猫臓、姿は消えましたがいつもここにおります」と言う。
32:夢花火 :2007/06/22(金) 07:57:57 ID:D+5ZXM5A [sage]

「猫臓」4

じゃああんなに急かす事なかったじゃないか、と私は思った。
「さっき伝えそびれたんだけど、私耳に入りたい理由が耳かきしたいからなんだよね」
と言うと「主人は耳かきが大好きでしたからね」と言う。
「そうそう、だから、耳かきしたいんだけど道具がないんだよ、何か出して欲しい」
と言うと猫臓は「承知」と言って、出してくれるらしい。
私はすかさず、ヘッドライト・綿棒・ローション・ティッシュにスコップを要求した。
「沢山ですな。ちょっとお待ちを」と言って猫臓はしばらく待たせた後に
希望の品を手元に並べた。
なんだ、願いは一つだけと言っていたのに叶えられるんじゃないか。
そう思った私はちょっと考えて「猫臓2億ちょうだい」と言ってみた。
猫臓が黙っているので「2億」と続けて言ってみると「…よく聞こえませぬ」と言う。
仕方なく道具を装着し、私は早速奇妙な耳かきを始める事にした。
34:夢花火 :2007/06/22(金) 12:12:54 ID:D+5ZXM5A [sage]

「猫臓」5

まずヘッドライトを付けなければ話にならない。
スイッチを入れるとライトの明かりにクラッと目がくらんだ。
しばらく暗闇にいたのでこれまた目が慣れるまでじっとしていると
だんだんと視界がくっきりしはじめた。

…そこは見たこともない世界だった。

ライトは手近な所しか照らせないのだが、まず床から説明すると
白い鰹節が一面に散っていて、厚く踏み固められたように何層にも重なって
敷きつめられていると想像して頂きたい。

触ってみると上の垢はサクサクしていて、中の垢はしっとり、底辺の垢はもっちり…

まるで上質なパンのような質感だ。
そして少し先には耳毛が生えているのだが、その見た目はまるですすき畑のようだっ
た。
毛の頭には雪のように軽い耳垢が積もり、
間には固くなった黄身のような塊が、大小様々な形で一つ一つの毛を絡めている。

驚いて左右を見渡すと今度は下のすすき畑から一変し、
先端の垢によって稲穂のように頭を垂れた耳毛がびっしりである。

「・・・・・・・・」

私は言葉を失ってしばらく呆然と立っていた。下は雪景色・回りはぐるっと秋、
そのくせ耳の中は春のようにぽかぽか暖かく汗をかく陽気だ。
耳の中に季節があるとは誰が想像しただろう・・・。
上はどうなっているのかと顔を上げて仰天した。
なんと上からは鍾乳洞のようにプラ・・・プラ・・・と揺れる大きな耳垢がぶら下
がっているではないか。
35:夢花火 :2007/06/22(金) 12:16:12 ID:D+5ZXM5A [sage]

「猫臓」6

驚きはこれだけではなかった。
さらにライトを先に向けると耳毛畑は短くなり、やがて無毛地帯になった。
するとライトが何かに当たったのか反射し始めた。
よく照らすと耳奥は何やら分厚いマットのような巨大な壁で塞がれているではない
か。
あれが一番の目玉と直感すると、今やミクロキッズさながらな私はあまりの大きさに
びびってしまい
勝てない…と弱気になってしまった。

しかし固まったままになっていては仕方ないと、私は大きく息を吸い込むと、
まず下の耳垢から退治する事にした。
だが大量の耳毛に手元の何を使ってよいやら分からない。
私はふとある事をひらめき、猫臓を呼んで剃刀とジェルを持ってくるようお願いし
た。
手元に届くと早速私は稲刈りの要領で耳毛を刈り始めた。

………ジョリッ…!ジョリ…!!

一気に身の毛が総立ちになった。す、すごい…こそばゆさと妙な快感に足がぶるぶる
する。
耳の中で二十本くらいのハサミで毛の束を一斉に切ったような大音量が響く。
それは自分のやる行為が全て自分に返ってくる不思議な感覚だった。
耳毛に着いた粉雪のような耳垢が舞い、毛の下から厚手のパイ生地のような耳垢が次々出てくる。
私は快感と鳥肌の変なコラボに汗だくになりながら、ようやく下の耳毛を剃り終えた。

さて、お次は左右である。とそのとき耳の上側から妙な感覚がした。 
なにかやわらかいものがしきりにチョン…チョン…と耳壁をさわっているのだ。
猫臓である。
「何をしてる」と言うと猫臓はやたら興奮した声で「上から毛糸の玉が…!!」と言う。
どうやら猫の習性で、私の耳から垂れている垢の玉に飛びつきたくてたまらなくなったらしい。 
私はさすがに呆れて「遊んでいるなら手伝ってよ」と言った。
猫臓はまた沈黙するかと思ったが、妙に弾んだ声で「分かりました」と言うと思いっきりジャンプしたのか上の耳垢のつららをものすごい速さで叩き落とし始めた。

36:夢花火 :2007/06/22(金) 12:58:50 ID:D+5ZXM5A [sage]

「猫臓」7

姿は相変わらずないが頭にビシビシ降ってくる耳垢の雪に、私は初めて猫臓の手が驚くほど耳垢取りに適しているのを知った。まずあの柔らかな小手先で大きな耳垢をあらかた払い落とし、次にほんのちょっぴり爪を立てて耳垢に引っ掛けて
カリカリ…コリコリ…と小気味いい意音をさせながら器用に取り除いていくのだ。

猫臓は私の三倍は速いスピードでみるみる間に上の耳垢を無くしていく。
私も負けてはいられない…いられないのだが…
ゴゾッ!!!ゾゾゾゾゾゾゾゾ…………ゴゾ!!
カリカリカリカリ…ペリ…カリコリッ…ぺリ…

何ということだ。あまりの気持ちよさに、頭の芯がぼうっとしてもうフラフラ、クラ クラ 真っ直ぐ立っていられなのだ。まずい。自分でやるときは、やっている場所が分かる ため、正直力も加減ができるのだが、他人、他猫の耳かきに身を委ねる時予期しない
場所のポイントをそれも手加減なしに掘られる。そのスリリングなこと!!

「猫臓、ちょっと私は休憩してもいいか」
私は猫臓の耳かきをじっくり堪能したくなり言った。この言葉は嘘ではない。
はっきり言わないのは飼い主の意地である。
猫臓は「ではあの大物まで私がすすめてみせましょう」と得意げにのどを鳴らした。
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