ダミーボックス

それは初夏の薫りだった。
夢で見ていたような小さな三日月が横目で見ている夜の下、君は僕の鳳仙花の葉をねだった。
幾つか時が流れたのであろう、君は知らない僕を幾つも何時も流しては僕も君を何回も流した。環境も変化し、流れた月日は流氷の如く海水を冷やした。その間、僕は指先の仄かな暖かみがあったセンチメンタルを手放し、あの子の嬉しそうに泣く願いも声を枯らして突き通した。そんなことも唯知らぬ君は小指をねだる。君に僕は理解できない。そう思った。

毒を以って毒を制すという言葉がある。
目の前に傾きそうな紫陽花が落ちていたらどうなるのか。僕はまるで自分が酸性の土になった気分であった。
死体を埋めた紫陽花は紅に染まり、血肉を啜る白桜も美紅に染まるような、世界はそんな単純なものじゃない。そんなんだったらとうに空は赤いし地面は黒く、空気は青い。
僕も世界の全てを知らないが、君はそれ以上に知らないのだ。知っているとすれば、適当な温度で溶かされて知った新芽の息吹や春風を孕んだ夏の気温ぐらいだろう。それは一片にしか過ぎない。一方僕は何を知っているかと言えば何も知らない。何も知らないということを知っているのだ。それは多分大きな蟻と小さい惑星の認識の差ぐらいあるだろう。知るということはそんなもんだ。
毒は人によって毒にも解毒にもなる。

紫陽花が枯れて椿の季節になったら、僕は君を忘れる。そして桜の下に埋まる血肉を想い、僕はその花弁にくちづけを落とす。
それで凡てなかったことになるのだから、記憶なんて容易いものである。

そんなことを考えながら、僕は書斎の本を積み重ね、崩れそうな一番上に磨いた林檎を置いた。これが崩れた時、世界の一室が爆発する。僕はそう想うだけでくすぐったくなって身を捩るのだ。


(誰も触らないで)












































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