信じた事は一度も無い。大人になるまで、その存在を知らなかったから。
夢を、たった一夜叶えてくれる存在。
願う物を、この手に届けてくれる存在。
しかし、聖夜の奇跡か、はたまた単なる夢の偶像なのか。
そう現実離れした事を考えるのも、白い雪と白い息が続くこの夜、部屋の扉を開けた瞬間目の前に現れた人を見れば、恐らく無理は無かろう。
突然、サンタが部屋にやってきた。
――否、サンタの格好をした恋人が。
「………」
扉を開けた体勢のまま、更に口を大きく開けてポカンとした太公望に、
「メリークリスマス!」
そう恥ずかしさの欠片も無い満面の笑顔で屈託無く言いのけるのは、そろそろ寝るかという頃に突然やってきた蒼命。その身に付けた服と向けられた純粋な眼に、どう言葉を返せば良いか散々迷った太公望も、ようやく固まった口をぎこちなく動かしてみる。
「……何、を、しておる?」
「え?あれ、こういうものじゃないの?」
逆に問われた意味が分からないと言いたげに、蒼命がキョトンとする。それだけで、太公望の神経がピンと反応した。
「……誰に何を吹き込まれた?」
「吹き込まれたというか、蝉玉に、クリスマスの夜にはこの服を来てプレゼントを渡すんだって――あ、そうだ!蝉玉から太公望宛の手紙を預かってるんだった」
どうぞと渡された手紙を開けば、成る程蝉玉の意図は此方の予想通りだった。
『私からのクリスマスプレゼントね!大事にしなさいよ!! 蝉玉』
……ご丁寧に、ハートで文字を縁取りしているし。何だろうと首を傾げる蒼命に見られないように、太公望は手紙を慌てて閉じた。
「……おぬし、サンタは知っておるのか?」
「正直、名前位で余り詳しくは知らないけど……え、違うの?」
不安げな蒼命に、やれやれと太公望が白い溜め息を吐き出した。
……やっぱり知らないと思った。知っていたら誰も素直にそんな格好はしないだろう。サンタよろしく確かに赤白の服と帽子ではあるが、そんな肩と脚と鎖骨を出した服では無いし、何より"彼"なのだから、短いスカートをはく訳が無い。
「………」
「あ、プレゼント渡しに来ただけだから、すぐ帰るよ!」
蒼命はそう笑って、細い腰を強調するベルトに着いた白い袋をガサガサと探り始めた。それを見ていれば、無意識に太公望の頭は策を練り、口は呆れた声色で言葉を並べ始めた。
「……本当に、蒼命はサンタの事を知らんのだな」
「え?」
袋から顔を上げた蒼命の鼻先に人差し指を当てがって、太公望が声量を落として囁き掛ける。
「……良いか蒼命。サンタという者はだな、出会った人が望んだ事を、一晩かけてしっかり叶えてやらなければならんのだぞ?」
「え……そ、そうなの?」
初耳だと蒼命は目を丸くしたが、勿論、そんなのは真っ赤な嘘だ。寧ろ知らない間に来て、プレゼントを置いたら寝ている間に帰るのが一般的なサンタだろう。
……でも、このサンタは特別だ。
「……じゃあ、太公望の願い事を私が叶えるの?出来るかな……」
何より、疑いもせず此方の言葉を信じ切った様子の素直過ぎる恋人を、プレゼントを貰ってではまた明日なんて、そんなあっさり簡単には帰せない。
「……中、入るか?」
「あ、じゃあお邪魔します!」
そういう訳で、サンタ(の定義をほぼ知らない蒼命)が太公望の部屋にやってきた。帰らせはしなかったがこれからどうすれば良いか今更焦り始めた太公望は、取り敢えず落ち着こうとベッドに腰掛け、蒼命も並んで座った。……そんな格好で隣にいられたら、落ち着こうにも落ち着けないが。
「……寒くないのか?」
「まぁ、ちょっとは。でも、せっかくの機会だからね」
そう照れ交じりにはにかみ、白いファーのリストバンドを付けた左手でスカートの裾を少し持ち上げた。……少し其処に視線を集中させてしまった事は、秘密だ。
「――で、何を望んでるの?」
「………」
……マズい。何も考えていなかった。
しかし何も無いと正直に言えば、やはりプレゼントだけで今夜が終わってしまう。
……そ、そうだ。日頃から蒼命に望んでいる事を――と思えば、自然と蒼命の方へ身体を向けていた。
「……蒼命」
「ん、何々?」
「……寒い」
「あ、じゃあプレゼントの出番だね!蒼命特製の――!!」
「……おぬし、冷たいのう」
「え?」
「……人肌」
「……は?」
「だから……人肌」
「――…!!!」
重ねた単語にようやく意味を覚ったか、蒼命が息を呑んで身を強張らせた。でも、日頃から、ずっと思ってきたから。
日頃から何をするにも、いつも自分から行動している気がする。まぁ蒼命は照れ屋だし、単に自分が蒼命の可愛らしい仕草に弱いのかもしれないが、それが時折物足りなく、何より自分を不安にさせる。想い合っているなんて勘違いで、自分だけが想っているのかと、切なくもなる。
「……う、う〜〜……」
眉間に皺を作って唇を尖らせる蒼命の顔が、見る見る内にサンタ服も顔負けの赤みを帯びる。その表情にすら負けてしまいそうだが、我慢我慢。
……だって、今日は特別だ。
「う〜〜……えぃ!」
と、当然小さく掛け声を付けて、真っ赤な蒼命が飛び込んできた。不意打ちだったので倒れかけたが、其処はどうにか抱き止められた。
「……今日は、まぁ、サンタですから……」
「……分かっておる」
それでも良い。義務でも卑怯でも何でも良い。
蒼命が自分から此処に来た。それだけで十分過ぎる。
「……温かい」
「だろう?」
そう笑えば、蒼命がちらと笑顔を見せた。が、すぐにまた紅潮して、その口元が変な笑みで固まった。
「……ち、近いです、ね」
カタコトの言葉に、何だか此方まで気恥ずかしくなってくる。……でも、
「……もう少し、近付かぬのか?」
「なっ――!!?」
それでも、望む事がある。十分過ぎるのに、一つ望みが叶えば、性懲りも無くまた次の望みが顔を出すのだから。
「わしが今望んでおる事、分かるであろう?」
「………」
「………」
「……ばか」
むっと頬を膨らませた蒼命は、そのまま顔を俯けてしまって、赤い帽子しか見えなくなった。
……やっぱり、駄目か。こういう時、自分が嫌になる。意地悪くしか言えなくて、困らせてばかりで――…。
「――…!」
と、赤かった視界が肌色に変わって、一瞬だけ唇に何か柔らかい物が触れた。すぐにそれは無くなって、代わりに赤色と肌色が混ざった蒼命がポスンと寄り掛かってきた。
「……これで、いい、ですか?」
「え、いや、あの――!!!」
もし奇跡が起こっても頬に来るものとばかり思っていたから、流石の太公望も慌ててしまった。きっと今の自分も、このサンタ服にすら勝ってしまう顔色だろう。
「………」
「………」
抱き締めていなければ蒸発してしまいそうな蒼命を見ていたら、段々と何でも良くなってきた。蒼命は照れ屋だし、自分は蒼命の可愛らしい仕草に弱いし、でも、それでも、いや寧ろそれが、自分達には丁度良いのかもしれない。
……でも、やっぱり望んでしまう。
「……来年も、来て欲しいのう」
「……それは、願い事?」
「え、あ、いや、まぁ……」
「……来るよ」
「え?」
「太公望が望んでくれるなら、私は、絶対に来る」
そう断言して、蒼命はちょっと恥ずかしそうに目を伏せてから、決心したように笑顔を上げた。
「……太公望の事――大好きだから!」
……ああ、ほら、また望みが出てきた。
伝えたら、叶えてくれるだろうか?
それともまた、服と同じ色に染まるのだろうか?
このサンタが……一番欲しい。
→あとがき
- 132 -
戻る