「蒼命」

長い沈黙を破った小さな声に、広がる青い空と浮かぶ白い雲を仰いでいた顔を左に向ければ、同じようにしていたと思っていた丸い青い目が真っ直ぐ此方に向けられていて、ちょっとドキッとしてしまった。桃の樹に預けていた背が思わずしゃんと立ち上がり、曲げていた脚が前に伸び切る。
手を腿の上に重ねてその真剣な眼差しに見入っていたら、前の黒い前髪が少し揺れた。その下で青い目が細くなり、何かを言いたげに口が横長に開いて。何かあったのかと瞬きすると、視界の下端から何かが湧き上がってきた。反射的に視線を下げれば、

「――…ん?」

厚手の橙の掌の上にちょこんと載った、小さな紺の箱。ずーっと見つめても、動かない。ちらっと視線を上げれば、此方をじいっと見つめる青の目。何だか緊張の色が見えるが、此方の感情が映ってしまっているだけだろうか。……しかし、この小箱は、一体――…?

「……おぬしに」
「……え?」

いつの間にか下がっていた視線をまた持ち上げると、視線の下がった青色の目。その下には、少し尖った口。

「……私に?」

そう問えば、ちらりと青い目が此方に上がり、しかし尖った口は開かず、白い帽子が一つ小さく頷いただけ。そしてまた訪れた、長い沈黙。
……と、取り敢えずこれが、私に見せたい、もしくは渡したい小箱だとは分かった。ただ、分からない事は、まだまだある。

「……これは、何?」

その一つを恐る恐る訊ねれば、

「……開けたら分かる」

尖った口からはその一言だけが返ってきて、またやってきた長い沈黙。……つまり、私がこれを開けて良い、という事。

「……何で?」

そしてまた一つの質問に、

「……何かを贈るのに、理由が無ければ駄目なのか?」

一つの返答。そしてまた、長い沈黙。青の目を見上げても、紺の箱を見下ろしても、どちらも少しも動かなくて。眉根を寄せると、青の目はちょっとだけ横に逸れたが。
それはまぁ、理由が無くても良いけれど、理由の無い贈り物は、初めてだったから。仕事をサボって此方に迷惑を掛けたとか、サボった先で美味しい物を見つけたとか、期間限定のお菓子が丼村屋から出たとか、仙人界での季節の催しに合わせてとか、いつも何かの理由があって。それを説明してから、だからおぬしに、と渡してくれていた。
だからつい、何かを贈ってもらえた喜びより、何で贈ってもらえたのかの戸惑いの方が強くなってしまって。それを此方の表情から察したらしい、紺の箱がずいっと鼻先まで近付けられて、思わずびくっと身を引いて顔を上げれば、強いて言えば、と小さく呟いてから、青の目を細めて、彼が笑った。

「……いつものおぬしへの感謝に、かのう」

だから、ほれ。そうすぐに紺の箱が目の前に飛び込んできたものだから反射的に寄り目になってしまい、それを両手の指先で取った時にはもう彼の顔からは笑みが消え、また口の尖った拗ね顔になってしまっていた。
その紅い顔をじっと見て、そのままずっと見ていたかったのだけれど、今は紺の小箱を手の中に収め、その幽かな重さを、けれどとても重みのある何かを見つめていよう。

「……じゃあ、ありがたくいただきます」
「うむ」
「……あと」
「む?」
「……此方こそ、いつも、ありがとございます」
「……うむ」

そして、お馴染みの沈黙。しばらくしてから、ちゃんと使うのだぞ、と念を押す一言が左から聞こえてきたが、ん、と一文字で返してしまったから会話が続く事も無く、また静かになった。
そうして何も言わずに紺の箱を眺めていたのだが、左の紺の肩に何度も小突かれて、促される形で紺の箱を腿に乗せて開ける。薄い青の布があって、その重なりを指先で取っていくと、

「――…!」

中から現れた、七つの小さな青い光。――…そう、七つの小さな青の宝石が並んだ、細めの銀の指輪。

そっと左の指先で取り出し、右の掌に載せる。自分の手に載っているとは思えない程の軽さ、指先で潰せてしまいそうな細さ。……なのに、何て、存在感――…。

「……この状況で言うと、こうして物を貰ったからって調子の良い事を、とか返されそうだけど」
「む?」

溢れ出す、想い。外に出てこれたのは、たったの、一言だけれど。

「……好きだよ、太公望」

顔を上げてそう笑えば、青い目が綺麗で大きな丸を描き、口も同じような形になったが、一つ意味深に頷いてから、ふっとその両端を持ち上げた。

「……こうして物を貰ったからって、調子の良い事を」
「やっぱり?」
「いや、期待には応えねばのう」

そして試すようにニヤッと笑って。そんな事、期待してないよ、と此方も肩を竦めて笑ったら、そうだのう……と彼が青い目で青い空を見上げた。

「……まぁ、この際だから、わしからも言わせてもらうか」
「え、何を?」

思わず身を乗り出して真っ直ぐ彼を見たら、そう見られると穴が開く、と橙の大きい左手で目隠しされた。そんな事、なんて笑ったけれど、無いでしょ、という続きの言葉は笑みと共に引っ込んでしまった。左手に少し固めの感触を感じて、そのままそれに包み込まれたから。
訪れた沈黙を埋めるように、少し速めな心臓の鼓動が頭の中に響いて。遮られた視界を補うように、いつもより研ぎ澄まされた触覚が左頬に近付いた何かを感じ取って。其処には何も触れていないのにそわそわして、塞がれていない口元は吐く息が触れやしないかと呼吸を躊躇って。


「……わしもおぬしを好いておるよ、蒼命」


長い、でも本当はそうでもなかった沈黙を破って耳に届いた、小さな小さな声。この手袋の向こうの微笑みを感じる、柔らかい声。彼らしい、優しい声。私の大好きな彼の、私の大好きな声。しかも、彼の想いを紡ぎ、私の名前を呼ぶ、私にとってはこれ以上無い位に最高の声。
本当はその表情を見たかったのだけれど、照れ屋な彼は私の視界を解放してくれなかった。だから、せめて何か返答しなければという熱い頭の命令に口を開いたのだけれど、それは叶わなかった。

長い長い、沈黙。その時間だけ、触れて、撫でて、重なって。

それから、目隠しをやめた左手が右手を掬い取って、その掌で輝く七つの光に四つの目が向かって、言葉を交わさないまま二つの目が隣に向けられて、長い長い沈黙を破る、小さな小さな二人分の笑い声。重なって、止まって、また重なって。段々と大きくなっていって、桃園に響き渡って、遠い青空まで届きそうで。


湧き上がる、喜び。溢れ出す、幸せ。



――…愛するあなたに、ありがとう。




☆……七周年、ありがとうございます!

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