「あー疲れたー」
「………」
「あー眠いー」
「………」
「一昨日も昨日も急な仕事が入って遅くまで掛かったしー」
「………」
「頼んできた楊ゼン達にはお礼しか貰ってないしー」
「………」
「なのに今日も朝から重役会議の書類の準備をしてー、それが終わった今は此処に籠っていつもの仕事をしているしー」
「――…」
「あーもー今すぐ仕事止めて、桃園に桃でも食べに――」
「――〜〜っあの!」
「む?」
「〜〜っいいっ加減にしてよね、太公望っっ!!!」

バン!と机に手を突いてガタン!!と勢い良く立ち上がってグワァッ!!!と開口して激昂すれば、目の前でムスッと唇を尖らせつつ振っていた筆をピタッと止めた同僚は、キョトンと青目を丸くした。

「そう突然怒り出すでない蒼命。ビックリするではないか」
「いやいやいやいやさっきからずっとイライラしていたんだけどね!」

ずっと我慢して作業していたんだけれど、限界が来たの限界が!そう執務室に怒りの声を響かせると、しかし同僚の顔にはちっとも反省の色が出ず、何とも見当違いな返答が出るわ出るわ。

「何だ、遂に仕事のストレスが爆発したのか?」
「違います!」
「あれか、この湿気のせいで髪が広がりがちなのを気にしておるのか?」
「それ――は、まぁ確かにちょっと気になっていたけれど、それじゃないし、太公望は気にしなくていいの!」
「むぅ……やはり桃を食べたいのでは?」
「それは今の貴方の願望でしょ!」
「ふーむ、では――」
「〜〜っだから、作業始めてからずっと、ずーっと続いていた貴方の独り言というかボヤキというか愚痴のせいだから!」
「それに対して何故そんなに怒るのだ?」
「仕事に集中できない!黙って仕事して!!終わってから幾らでも聞くから!!!」

バンバン机を叩いて墨壷を揺らしながら主張したものの、同僚はパチパチと瞬きをしつつ橙色の手袋をフリフリ振って、どうどうと此方を宥める仕草を返してきた。その悪びれない様子にもムカムカしてきて、もう限界も限界――…!!!

「っあのねぇ――!!!」
「だからそう声を張り上げて怒るでないよ、蒼命。寧ろ――…」

が、此方の怒りの噴火も何処吹く風、彼は冷静に此方を制止すると、何故だか腕をしっかり組んでうんうんと頷いてから、青目を細めてふんっと鼻を鳴らした。

「――…感謝せい、蒼命」
「……はい?」

……何、幻聴?耳に何か詰まったかな?感謝する?私が?貴方に?
……というか、幻覚も?あの、何ていうか、それは偉そうな、得意げな……そうそう、ドヤ顔?と呼ばれる表情をしている?貴方が?私に?

「わしは、おぬしの気持ちを代弁してやっておるのだ」
「……あ、あの……?」

全くもって意味が分からない。その堂々とした姿に、さっきまでの怒りが向かう先を失ってオロオロしてしまっている。その器である此方は、ただただ口をあんぐりと開けて立ち尽くすだけ。
そんな呆然自失状態の此方を丸い青目でじっと見つめ、腕を解いて机に置いてから身を乗り出すと、同僚がニッと笑った。

「疲れているならば疲れていると、わしに位は愚痴っても良いのだぞ?」
「――…!」

思わずハッと目を見開けば、ぴっと此方に筆尻を向け、催眠術を掛ける魔術師の如くくーるくーる回し出した。

「やっぱりのーう。ったく、考え無しに次から次へと仕事を安請け合いしおって。疲れた顔をせぬから、そうやって簡単に頼られてしまうのだ。ちっとはわしを見習って、休む事を覚えぬか!」
「……っそんな、私は、其処まで仕事していないし、楊ゼン達忙しそうだったから、少しでも、助けになれればと……」
「だからってなぁ、無理せずちょっとは休んだらどうだ?おぬしの物として存在しているその身体が可哀想だぞ?」
「……私、疲れてないよ?」
「嘘をつけ嘘を」

此処が広がっているのも、眠気に負けてちゃんと乾かさなかったからであろう?そう言いながら筆を置いて自身の短い黒髪を目一杯広げた彼に、思わず口元が緩んでぷっと息が零れてしまって。それに、おっと彼が笑みを浮かべた。

「む、今は、とっても素敵な人、惚れちゃったわ、とか思っているのではないか?」
「……なーに言ってるんだか。そんな事、私が思う訳ないでしょ」

あと、私はそんな喋り方じゃないから。はぁっと溜息を吐いてやれやれと椅子に座れば、むぅ、違ったか、なんてわざとらしく呟きながら彼が頬杖を突いた。その膨れっ面を横目に筆を持ち直し、それから筆尻をそっと自分の口元に添える。

「……強いて言えば」
「む?」

そして、此方に向けられた青目に視線を返し、ふっと口角を上げた。

「……やっぱり素敵な人、惚れ直しちゃったよ、かな」
「……へ?」

そうすれば、彼は掌からポカンとした顔を上げて。空気の抜けた頬は見る見る内に赤くなっていって、それがとても面白くてクスッと笑ってしまった。

「そして今は、何て真っ赤な顔なんだろうなぁって」

そのままふふっと冗談めかせば、ムスッとした青目を向けられてしまった。それにもう一度笑ってから筆を置いて、ガタッと席を立つ。

「取り敢えず、ちょっと休憩しようか。仕事のし過ぎで小腹が空いた……のう?」
「……そう意地悪そうにわしの気持ちを代弁するでないよ、ダアホ」
「あ、やっぱりそうだった?」

不貞腐れた声を背に少し満足した気持ちでお茶の用意を始めたら、またガタッと音がして、次いで背を何かが押してきた。それが彼の背だと分かって一度は止まった手を、また動かして茶器に茶葉を入れる。

「……今の私の気持ち、代弁できる?」
「……出来なくはないが、自分の口で言いたいならば、言っても良いぞ?」

なんて強気に返してきたが、本当に出来るんだかどうだか。ただ、試すような、それでいて何処か幼い声色が何だか可笑しくて、彼の背にちょっと体重を掛けてみる。

「……明日は休みを取って、太公望と一緒にいたいなぁって」

そうぼそっと呟いただけなのに、予告無く背中をぐーっと押し返されてしまった。危ない危ない!と慌てて茶器を置いて耐えたものの、文句を言う前に、ぼすっと頭を頭で軽く叩かれて。

「……だからのう蒼命、わしの気持ちを代弁するでないっつーの」

そうしてそんな軽口を叩いた後、しばらくしてからふるふる震え出し、そのまま声を上げて高らかに笑い合った。背がくっ付いていたから、どちらが先に震え出したのか、そうして笑い声が大きいものだから、どちらが先に笑い始めたのか、全く分からない。もしかしたら同時だったのかもしれないし、またお互いに可笑しい気持ちを代弁し合ったのかもしれない。
あーもう、疲れなんて吹っ飛んで、嬉しくて幸せでふわふわしているこの気持ちも、代弁してくれないかな。そうすれば、彼にも私の気持ちが伝わっているって、ちゃーんと分かるのに。


……面と向かってこの気持ちを言うのは、ちょっと、ちょっとだけ恥ずかしいからね。

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