色付くのは、きっと景色だけではない。



「――…紅葉狩りだ!」

ふと見上げた窓の外、綺麗に色付いた景色。それにハッと人差し指を立て、思い付いた事を少し大きめに言ってみる。

「……急にどうしたのだ?」

すると、前で書類と睨めっこしていた太公望が、そのままの顰めっ面を此方に向けた。仕事疲れで気でも触れたか、と失礼な事を言われたが、疲れているのは青目が虚ろな彼の方だと思うので、今は何も反論しないでおこう。

「いや、ほら、向こうの庭のモミジが見事に色付いているから。まぁ、この辺りで少し休憩も必要かなと思――」
「良い考えだ!」

取り敢えず窓の外を指で示しながら口を開けば、食い入り気味に太公望がガタッと立ち上がる。実はお互いに休憩の口実を考えていたらしい事は、長年勤めてきたこの執務室の空気で何と無く察していたので、二人で顔を見合わせ、若干の安堵を滲ませたそれで二三度頷き合った。

「じゃあ、お茶とお菓子でも持って行きますか」
「うむ!」

此方も筆を置き、机に両手を突いてよいしょと立ち上がる。ずっと手足の関節を曲げていたからか、伸ばしただけで節々が変な音を立てて。聞かれてないかな、とちらと前を見れば、それは杞憂、太公望は向こうの棚の前、率先してお茶とお菓子の準備をしていた。凄い、背中側を見ているのに、その嬉しさが伝わってくる。きっと顔も凄い楽しそうに笑んでいるのだろうと思えば、此方にも笑いが伝染する。

「ん、じゃあそっちは任せるね」
「む、おぬしは?」
「皆を呼んでくる」

くるりと背を向け手をひらひら振れば、

「待てい」

すぐにその付け根をガシッと掴まれた。

「何?」
「誰を呼んでくるつもりだ?」
「え、それは四不象に武吉君に普賢に――」

と次々と名前を挙げつつ指を折れば、五人分を数えた握り拳がスッポリと分厚い手袋に覆われて。

「?」

まだ呼ぶ人はいるのに……と困り顔を上げると、これ以上数えさせるかと言わんばかりに此方の拳を指で更に強く押し込めながら、太公望がへの字口を開く。

「何故に誰かを呼んでくる?」
「いや、紅葉狩りはお花見と一緒で、大人数でワイワイとするものでしょう?丁度皆も休憩取る時間だし――」
「んなの、風流の欠片も無いではないか!」
「……ふ、風流……」

……いや、太公望らしくない。

そんな心の呟きがそのまま眉間の皺になれば、流石に太公望も自分の言葉に違和感を持ったらしく、それではと慌て気味に人差し指を立てた。

「皆で行く前の下見という事で、二人で行かぬか?」
「……ん、そうだね。急に誘っても、相手の都合もあるだろうし」

流石優しいねと笑えば、そういう事ではないと、何故か指先でぽんと額を小突かれた。


……随分乾燥している。今日も何枚も書類を捲っていたからかな。そう指を擦り合わせ、其処からカサカサと音を立てる足元に視線を下ろす。また一歩踏み出せば、足の下で落ち葉が鳴って。ああ、乾燥しているのはこの空気もかと、改めて秋の到来に気付かされる。

「……今日は珍しく、蒼命からだったのう」

ふと、隣を歩いていた太公望がそんな呟きを零した。視線を上げ、ニッとした笑みを見たら此方もふっと笑ってしまった。

「ん、まぁね。でも、結構勇気が要ったんだよ」
「そうなのか?」
「だって太公望、ずっと書類を見ていたから。いつ休憩を言い出そうかと思って」
「おぬしこそ、わしが顔を上げた時には常に筆を動かしていたであろうが」
「え、そう?」
「うむ。お陰で今日は休憩無しかと」
「お互い、手を休めるタイミングが悪いね」
「全くだ」

そんな事を話しながら庭を歩き、モミジの下に備えてある木製の長椅子に向かう。少し土っぽくなっている座面を太公望がパパッと払ってくれて、お礼を言いながら並んで腰掛けた。指先も爪先も伸ばし切り、そのまま後ろに傾いて背凭れの端に頭を乗っければ、燃えるように鮮やかな朱が視界一杯に広がる。

「……綺麗ー……」
「……うむ、そうだのう」

同意の言葉が耳のすぐ其処で聞こえて、ちらと目を横に向ければ、太公望も同じ格好でモミジを見上げていた。そうして二人、しばらく何も言わずにただただモミジを眺める。
ひら、と一欠けの朱が、此方に向かってきた。それは頭の方へ来て、遂には視界の外れに行ってしまった。よくよく見れば、まだまだモミジの紅葉は青空を透かす程ではないが、今この時にも中々の枚数が枝から外れて落ちてもいる。これでは桜の時のように、いつの間にか全て散ってしまっていたなんて事になりかねない。

「……紅葉狩り、どうしようかな」
「むー、本当に大人数でやるのか?」
「皆で集まったら楽しいじゃない。え、駄目かな?」
「……男女の割合が、のう」
「……何、女子を呼べって?」
「何なのだ、その嫌そうな目は。他の男の為だっつーに」
「さぁ、どうでしょうかね」

ちょっと面白くなくて大袈裟に溜息を吐いてみると、しかし太公望からの反論は無く。見ればむうっと唇を尖らせていて、誤解されるのが本当に嫌なんだなぁと、何だか面白くなってきた。

「ん、ちゃんと分かってるよ、太公望」
「分かったか?」
「紅葉狩りで、可愛い女の子と出会いたいんでしょう?」
「何一つ分かっておらぬではないかぁ!!」
「あはは、冗談だよ!ムキになっちゃって」
「……おぬしなぁ……」
「ま、人は後で紙に書き出しながら考える事にして、此処だと椅子がこれしかないんだよね。敷物の方が紅葉狩り感が出るかな……でも地面は寒いか……」
「それより考えるべきは茶菓子だ!」
「……本当に甘い物好きだね、太公望は」
「ほれ、世の中では花より団子というであろうが」
「確かに」

やっぱり風流云々より食欲だよね。その方がやっぱり太公望らしいと、何だか変に安心してしまって、思わず顔が緩む。
と、太公望が何かを見つけたようにキョトンとして、それからすぐにくくっと笑い始めた。

「何?何が可笑しいの?」
「いや、のう……」
「え、何?何があったの?」
「動くでないよ、蒼命」
「え――…!」

サラッと、前髪が揺れた。そんな小さな感覚を受けた額に、髪とは別に触れるものがあって。それが彼の指先だと認識した視界の中央で、太公望が微笑んでいた。

「何を付けておる」

そう軽く笑われて、でも、何も返せなくて。

「ほれ、モミジの葉っぱ」
「……あ、ああ……」

物を摘まむ形の彼の指が眼前でちょいっと動いたので、反射的に掌を差し出し、それを受け取る。掌の中央には、目にも鮮やかな真紅の小さな葉が、一枚。

「………」

しかし凄い紅葉だと言いながら、手袋を嵌めて再びモミジを見上げる太公望。多分さっき椅子を綺麗にしたから、此方に汚れが付かないようにと気を遣って手袋を取ってくれたのだろう。

「………」

素手で、前髪に付いたモミジを、取ってもらった。

……たった、それだけの事なのに――…。

「………」

少しだけその指が額に触れて、手袋に隠れないそれが、妙に大きくて、何だか温かくて――…。

「………」

淡くて、妙に切なくて、なのに仄かな幸福感もあって。

そんな鼓動が熱い胸元から静かに波打てば、掌のそれすら愛しくなって、その薄く小さな葉一枚を無くさないように、そっと指を折った。


……早く空も色付かないかな。そうすれば、この顔の色に気付かれなくて済むのに。


あの数秒から全てが色付く。ただこの瞬間から幸せを感じる。



その『指先から恋が始まる』。




※お題サイト『確かに恋だった』さんの『甘い恋10題』からお借りしました。
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