「――…『ときと』?」
「うむ」

耳慣れぬ単語を鸚鵡返しすると、隣に並ぶ太公望が頷いた。

「何でも、時空間を支配する、極めて希少な霊獣らしい」
「へー、それは凄いね」

廊下を歩きながらそう相槌を打てば、しかしと同僚は眉を顰める。

「物なり人なりを違う時空間に移動させる事が出来るらしいぞ。もし変な世界に飛ばされたら堪ったものではないわ」
「あ、確かに」
「でだな、楊ゼンの話では、その霊獣が最近此処らで見つかったらしいのだ」
「あら、大変だね」
「まぁその能力が強力な分、生き物相手では使える範囲は狭いらしい。其処まで近付かなければ大丈夫との事だ」
「ふーん……!」
「で、特におぬしは気を付けねばならぬのだが――!」

と、太公望の話より気になるものが視界の端に引っ掛かって、何も考えずパッとその方向に走り寄ってしまった。

「……ん?」

廊下の角の向こう、小さくうずくまっていたのは白いふわふわした物。潤んだ瞳に雫を湛え、四本の足を折り畳んで耳を垂らしたその様子は、見知らぬ土地へのかなりの恐怖を物語っている。
迷子だろうか、と考えつつゆっくりとしゃがみ、その動物を真正面から見つめながら膝前に手を差し出してちょいちょいと動かしてみた。

「怖がらないで、大丈夫だよ。危害は加えないよ」

なんて小さく微笑んでみれば、それを聞き逃さないかの如く長い耳をぴっと立て、此方の手をじっくり眺めてからじいっと顔を見上げ、ぴょこんと一飛びして真ん前まで来た。そして鼻をスンスンさせて掌を嗅ぎ、どうかなとドキドキする此方の胸にやにわにパッと飛び込んできて。

「わぁ!!?」
「蒼命!!?」

ビックリして発した叫びに慌てた太公望が追い付いた時には、その子を抱き上げた後だった。

「――…っ可愛い〜〜!!!」

そう再び、今度は嬉々とした叫びを此方に上げさせたのは、廊下の角から小さく顔を出していた、そして今はこの腕の中にいる、長い耳をぴんと立ち上げ、空気を一杯に含んだ真っ白の毛が豊かな、それはそれは可愛いうさぎ。

「ね、太公望、ふわふわだよ!」
「………」
「――あれ、随分尻尾が長いね?」

さっきは見えなかったそれをほら、と太公望に見せれば、同意してくれるかと思っていた太公望は、何故かあんぐりと口を開けている。

「?太公望?」
「――…『ときと』……」
「え?」
「時を渡り来る兎――で、『渡来兎』」
「……うさぎ?」
「……身体は白い兎だが、群青色の目に、狐の様な尻尾を持つ……」
「………」

手の中のふわふわをじっくり観察すると……うん、白くて、長い尻尾は狐のそれにそっくりで……そして此方を見返したくりっと丸い目は、紛う事無く群青色。

「………」
「………」

……どうしよう。

「………」
「………」


私、近付くどころか、しっかりと両腕で抱き締めています……。


「……太公望……」

冷え固まる空気の中、外見の情報が遅いよ……と目で切実に訴えると、

「……おぬしという奴は……」

だからより一層注意する様に言おうとしたのに……と呆れた溜息を返されてしまった。

「………」

いっそ放せば良いのかもしれないが、しかし変に刺激を与えるのもいけない気がして……。自分の未来を想像も出来なくて、問題の霊獣を見つめたまま硬直するしかない強張った肩に、不意にトンと橙色の手袋が乗った。

「え?」

困惑顔をバッと上げると、すぐ傍で太公望がニッと笑った。

「蒼命が何処かへ飛ばされるなら、わしも一緒に飛ばされるかのう」
「――…!」

距離に、声に、表情に、状況も元凶も忘れて思わずドキッとしてしまった瞬間、

『――…渡来兎、二人、好キ』
「「……へ?」」

突然、少年の様な少女の様な、幼い声が頭の中を軽やかに弾んだ。どうやら太公望にも同じ現象が起こったらしく、二人して周りをキョロキョロと見回してから、冒頭の三文字に同時にハッと一ヶ所に焦点を定めた。


……今の、この子の声――…?


その群青色の瞳をじっくり眺めると、渡来兎は聞こえたんだと言いたげにそれをニコッと細めた。

『渡来兎、蒼命、太公望――…遊ブ!』
「「え――…っ!!?」」

末尾の三文字に疑問の声を太公望と重ねた瞬間、渡来兎が真っ白な光を全身から放った。その強さに思わず目を閉じれば、一瞬廊下から身体がふわりと浮いた気がして、その感覚と瞼の向こうの光が収まったのに気付いてから恐る恐る目を開けてみると、


「「――…へ?」」


また太公望と、今度は驚きの呟きを重ねた。

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