今日も私は、白くてふわっとした彼に乗り、青く澄み切った空を飛ぶ――…


「……どうっスか?」
「……ご、ごめんなさい……もう少しだけ、低めに……」
「ラ、了解っス!」

……なんて優雅に言いたいものだが、実際には、白くてふわっとした彼にしがみ付き、青く澄み切った空の遥か下、茶色くて平らな地面から、丁度背の高めな人の身長分離れた所を浮いているだけ。それだけの高さでも、宙ぶらりんな脚は震えながら彼の身体に密着し、両手は彼の背を離すまいと指を目一杯開き、胸はドッドッと激しく動いている。下を見るなんて、とんでもない。

「だ、大丈夫っスか、白夢さん?」
「……ごめん、なさい……」


……そう。私は、極度の高所恐怖症なのです。


それでよく、高地の仙人界に長年住めていたわね!と蝉玉さんにバレた時には驚かれたが、自分は単なる一般仙道なので、崑崙山ではほとんど出歩いていなかった。師匠に用事を頼まれた事は勿論あったが、師匠も私の高所恐怖症っぷりは知っていたので、お陰様で向かう場所は限られていた。あの大戦で崑崙山から脱出した時も、出来るだけ中央で縮こまっていたし。だから、特に困る事は無かったし、だからこそ、長年克服しようとはしてこなかった。

「………」

しかし、このままではいけない、と思ったのは、つい最近。いつもの散歩道、此方の足元を駆け回る白くてふわっとしたあの子――コウ天犬を見て、そういえばコウ天犬は、青く澄み切った仙人界の空を、主を乗せて颯爽と飛んでいたなぁと、ふと思い出した時。
私が散歩係を任されてから、コウ天犬は私に付き合って、地面しか散歩していない。それに対して不満げな様子は一切見せていないが、しかし仙人界で見かけた時には、いつもあの高い空を飛び回っていた。そう、コウ天犬はもっと自由に、色々な場所に行かれる筈なのに――…。

「でも、白夢さんは凄いっスよ!自分から苦手を克服しようとするなんて、偉いっス!」
「……ありがとうございます、四不象さん……」

高度を下げてくれた四不象の励ましに、何とか笑みを作って答える。こう気を遣わせて、こうして巻き込んでしまっての罪悪感に、ちくちくと胸が痛んでしまう。今までずっとこの苦手から目を背けていた私が、いけないのに。この特訓もあるし、何と無くコウ天犬やその主に合わせる顔も無くて、ここ数週間、あれこれ用事を作っては、散歩係を断ってしまっているし……。

「……そろそろ日も落ちてくるし、帰るっスか?」
「……はい、そうします」

力無く頭を縦に振れば、四不象はふよふよ〜っとゆっくり飛んでくれた。ちょっと身体を横に傾ければ、すぐ地面に降りれる高さ。

「………」

けれど前は、これ位の高さですら、正直ちょっと怖かった。足が付かないというのが、とても不安だった。でも特訓を始めて数週間、今はもう、この高さは大丈夫。
だから、恥も罪悪感も我慢して、少しでも早く、少しでも高い所を飛べるように、頑張らなくちゃ……コウ天犬が行きたい場所に、一緒に行かれるようにしなくちゃ……あの大役から、絶対に外されないようにしなくちゃ――…!

「……!」

ふと顔を上げたら、斜め前、建物の屋根に上がり、瓦を直している人達を見つけた。最近、特に風が強い日が多かったからだろうか、欠けている瓦が目立っていた。

「――…」

その姿に、今までは心の中でお疲れ様ですと思うだけだったのに、今は、感動に似た気持ちにもなって。だって、あんなに高い所に立って、平然と作業をしていて、凄いなぁ……怖く、ないのかなぁ……そうぼんやりと思えば、段々と目が潤んできて、駄目だ駄目だ!しょげている場合じゃない!!と慌てて顔を振った瞬間、

「っ!――…あ!」

突然強い風が吹いて、身体が大きく傾いた。反射的に、何も考えず四不象に抱き付いてしまった。

「白夢さん、大丈夫っスか!?」
「わ、私は大丈夫です!でも、彼処――…!!」

えっ?と四不象が声を上げたので、バッとその方を指差す。指の先では、さっき屋根を直していた内の一人が、強風で足を滑らせたらしく、屋根の端にぶら下がっていた。
何とか服が引っ掛かっているようだが、腕も脚も宙に投げ出されていて、今にも落ちそうで。彼の仲間も何とかしようと手を伸ばしているが、引っ掛かっている所が問題らしく、引き上げるのに苦戦しているのが遠目でもはっきり分かった。
このままでは、彼らも落ちてしまうかもしれない。そう思ったら、自然と四不象に目を向けて口を開いていた。

「っ四不象さん、お願いします!彼処に飛んで下さい!!」
「え、でも、かなり高い――!!」
「私は平気ですから、お願いします!!!」
「〜〜分かったっス!!!」

そう返答するが否や、今までのが信じられない位の高速で、四不象は一息で現場まで飛んでくれた。空気の圧をかなり感じたが、何とか姿勢を低くして耐え抜き、四不象が止まったところで件の人達に顔を向ける。

「あ、アンタは――!!?」
「大丈夫ですか!!?今、お手伝いしますから!!!」

屋根の上の人達も落ちかけている人も見知らぬ来訪者に驚いた様子だったが、自己紹介なんて頭にある訳も無く、今の状況を見つめて考えを張り巡らせる。
この引っ掛かり方、これは、片手でどうにか出来るものじゃない……其処までは何とか分かって、でも、それは、両手でないと、外せない、つまり、両手を、この背から離さないと、いけないという事で……其処まで考えが至り、少しだけ恐怖心が芽生えたが、しかし息と共にそれを呑み込む。

そう、でも、でも、躊躇している場合じゃない――…!!!

「今から服を外しますから、そうしたら一気に引き上げて下さい!!!」
「お、おうっ!!!」

何とか叫ぶように彼らに伝えて、四不象の背から勢いを付けて離した両手を、目一杯伸ばす。恐怖心は無く、というかそれどころではなく、とにかく早く何とかしなければという気持ちだけで必死に動いていた。

「……は、外れない……」

しかし、思ったよりしっかり引っ掛かっていて、中々外せない。何とか落ちそうな彼を支えつつ頑張ってはみるが、早く、早くと意識ばかりが先走ってしまって、そうすれば更に焦ってしまって、どうにも外せなくて。
どうしよう、どうしよう……その言葉だけで頭の中が一杯になって、ふと、何故だか、不安な時によくそうなるように、目線が下に行ってしまった。そして、気付いて、しまった。

「――…っ!!!」


……何て、高い――…。


そのたった一瞬で、静かだった恐怖が、ゾクゾクッと全身を駆け巡った。息が止まって、次いで速くなって、手が震えて、あしも震えて、目眩がしてきて。早く早くと頭では分かっていても、身体は隅々まで震え上がったまま、何もしてくれなくて。今にも、落ちてしまいそうで。


どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう――…!!!


- 18 -

[*前へ] [#次へ]

戻る
リゼ