「どうぞ、白夢」

そんな熱の無い一言と共に、何の脈絡も無く差し出された小さな木箱。

「……何ですかこれ?」

その中に、茶色い粒が幾つか。ツヤツヤしていて、硬そうで……何か珍しい鉱物だろうか。それにしては、随分と綺麗に成形されている。磨き上げたのだろうか。……まさか、彼が?

「これは、『チョコレート』というお菓子ですよ」
「……ちょこ、れーと?」

初めて聞く固有名詞を鸚鵡返ししたものの、それの名前と、それが食べられる物だという事しか頭に入ってこなかった。取り敢えず、何故私に、この謎のお菓子を?と目を細めて真意の見えない彼をじーっと見れば、失礼ですね、毒は入っていませんよ、と少しむっとした顔をされてしまった。いけない、彼の気分を害してしまった!とそんなつもりじゃと慌てて否定したし、流石に毒を盛られる覚えは無い。
……が、しかし、彼が差し出してきたのだ。変な味である可能性は、どうにも否定できない……という心の声が聞こえてしまったか、甘いお菓子ですからどうぞご安心を、と念を押されてしまった。そのままズイズイと木箱が此方に接近してきたので、これは食べるしか道が無い……大丈夫、甘いお菓子らしいから……た、多分……と息を呑んでそーっと指を伸ばすと、しかし何故か木箱が動いて、指が虚空を摘まんだ。

「え?」
「言い忘れていましたが、これは簡単に融けるお菓子なので、気を付けて下さい」

え、そうは見えないけれど……茶色い粒をまじまじと見ながらそう呟けば、木箱を此方の指元に戻しつつ、それとですね、と彼はさらっと言った。

「とある国では、一年の内に一日、女性が想い人に対してこれを贈る日があるそうです」
「……そ、そう、なんですか?」

反射的に、指を少し引いてしまう。何というか、どう考えても彼らしくない話題だったので、背筋がゾクゾクッとしたのだ。此方が食べようと意を決したところで、何もそうわざわざ関係無い事を言わなくても……というか、何故そんな事を、彼が知っているのだろう……もしかして、此方を茶化す為に……此方の反応を楽しんでいるんじゃ……?
そんな疑念に駆られながら、茶色い粒を摘まみ上げる。持った触感は、見た目通り中々に硬めで。噛み砕ける物なのかと今更不安になりながら、舌の上に載せる。

「……あ!」

彼の言う通りこれはとても融けやすいらしく、少し摘まんでいただけで、指に茶色いどろっとした物が付いてしまった。言ったでしょう?なんて顔をされて、ちょっとむっとしてしまったが、恐る恐る舌先で拭き取れば、

「!」

それだけでも感じ取れた、濃い甘さ。それに驚いてしまって、舌の上に粒が置いてある事を忘れかけてしまった。
……いや、本当に、凄い……今まで食べた事が無い種類のお菓子……果物の味でも、餡の味でもなく、とても濃厚で深みのある、初めての甘さ……これは、美味し――…。

「……因みに、今日がその、贈る日なんです」
「っ!」

危うく、口の中の物を吹き出すところだった。何でまた、このタイミングで、そういう事を言うかなぁ!この人の事だ、絶対に狙っている。横顔を向けて、ちっとも此方を見ようとはしていないけれど、此方が視線を外したら、横目で見ては心の中でせせら笑っているに違いない。
……け、けれど、女性が贈ると言ったのだから、『彼』がしたこの行為との関連性は無い。此方をおちょくる為だけに、わざわざこのお菓子を今日という日に持ってきたに決まっている。そう結論付け、半ば強引に自分を納得させる。静まらない鼓動は、一切無視して。

「……ああ、あと、これも言い忘れていたのですが」

もう、今度は何ですか!?とガリッと奥歯でお菓子を噛み砕き、ガリゴリと音を立てて咀嚼する。すぐに形を失うこれは、とても甘くて美味しくて、でも眉間には皺がいっぱい寄ってしまって、とても苦いお菓子を食べたような顔で彼を見てしまう。
すると、遂に彼が此方に顔を向けた。その顔には、それは整った微笑みが浮かんでいて。

「男性から、意中の女性に贈る事もあるそうですよ」
「っ!!!」

今度は融かし損ねた欠片を呑み込み、ゲホゲホとむせてしまった。そうすれば、流石は流れを読む仙人の弟子なだけはある、水入りの瓢箪をさらっと渡してくれた。

「甘い物を食べると、喉が渇きますからね」

ニコッと細まったその目は、此方を茶化しているような、けれど何処と無く優しくも感じられて、実は何か盛られていたのではと睨んでしまう。全く、何を考えているのかちっとも分からない。
でも、確かに、甘かった。そして、美味しかった。……また、食べたいとも、思ってしまった。

「もう一粒、どうですか?」

その余裕の笑みに、しかし素直におかわりはいただけない。

「……何ですかこれ?」

先と同じ台詞でも、先とは違う意味合いで言えば、

「ですから、さっきも言いましたが、これは『チョコレート』というお菓子で――」
「っそうではなく!」

聡い彼ならば分かっている筈なのにはぐらかされて、反射的に声を荒げてしまった。そうすれば、ちゃんと最後まで聞いて下さい、と釘を刺してから、彼は此方に聞こえるか聞こえないかの声量で、それでも此方にちゃんと聞こえる位の近距離まで顔を近付けて、息を吐くように囁いた。

「……私が白夢に、食べて欲しかったんですよ」

それだけ、ですか?と問うには彼の顔がすぐ其処で、声を発すれば息が彼に届いてしまいそうで、何も言えなかった。ただ開いていくだけの口に、彼は笑って少し身を引き、あの茶色い粒をひょいっと器用に放り込んだ。

「っ!」

また、あの濃い甘さが、口に広がった。あっと息を吐き出そうとしたが、吐き出そうにも吐き出せず、甘さは口内に留まったまま。

……だって、口が、塞がれたものだから。彼との距離が、無くなったものだから。

「……これで、これを贈った意味が、流石の貴女にも理解できたでしょう、白夢?」

音を立てて離れた彼の唇が、両端を吊り上げながらそう紡いだ。此方の口の中には、二人分の熱で融け切った、哀れな甘い『ちょこれーと』。

ああ、もう、憎たらしい位に苦くて、そのくせ時々とても甘くなる……この、『申公豹』という人は。


〜〜っ絶対に、毒入りだ!


- 15 -

戻る
リゼ