Love is friendship set on fire

「何で人は出会い頭えるのかな」
「は?」

ベッドの中で座っていた虎徹さんがいきなりそんなことを言い始めたので、彼のくわえた煙草を取るタイミングが遅れてしまった。
シーツに落ちる寸ででキャッチした虎徹さんの手が、僕の持つ灰皿に煙草の先をがしがしと押し付る。
ああ、火をつけたばかりなのに。
僕は諦めてあと一本だけ残った煙草を取り出そうと手を伸ばす。

「バニーちゃん、俺のはなし聞いてる?」
「聞いてますとも。人はどうして出会い頭なんて器用な真似が出来るのかってことでしょう」
「ははは。バニーが賢くておじさん助かるわ」

ぼすん、とベッドに落ちた彼は煙草の匂いのする吐息をふーっと吐いて僕を見た。
暗闇に光るアンバーの目は、ゆるやかに溶けてまるで眠たい子供のようだ。

「僕が賢いのは認めますが、あなたの言うことだからこそ理解できるんです」
「わお。すんげぇ殺し文句」

大した感情の篭らない声で言って両手で目をごしごし擦る虎徹さんは、下半身だけにかけたシーツの中で僕に足を絡めてきた。
彼の黒々とした毛が脹ら脛を滑る感覚だけが唯一、その体に触れているのだと思い出させてくれる。
目をぱちぱちと瞬きさせて欠伸を噛み殺した虎徹さんは、僕の手を勝手に取って自分の頭に載せた。

「友恵とな、最初に会ったときも出会い頭だったんだよ」

シャンプーした髪はつるつるさらさらで、僕の細い髪とは全く手触りが違う。
無防備に頭皮まで触れさせるくせに、彼の口から出るのは亡き妻の話題。
つくづく残酷な人だ。

「考えてもみろよ。おんなじタイミングで、しかもおんなじ場所でさ、あんなばったり鉢合わせできるか? 何かしらの、あー、宇宙の神秘? 的な力が働いてると思うね俺は」

相変わらず僕の手を触りながら、うんうんと一人納得している虎徹さん。
その語り草には何だか年季が入っているように思えて、もしかしたらこの人は友恵さんにも同じことを何度も言っていたのかもしれないとふと気付く。
今のところ心まで追いついていない僕らの関係に名前をつけるとしたら、一体どんなものになるだろう。
曖昧すぎてよく分からない。
恋人でもないし、セックスフレンド…でもないような気がする。

「つまりあなたは、運命を信じるって言いたいんですか?」
「うーん。どうだろう」

僕の手で頭をぽすぽすとやっていた彼は、唐突にその動きを止めた。

「でも、さ。運命ってやつがほんとにあるなら、友恵はどうしたって星になっちまうし、バニーだってパパとママがああなったのも運命になるだろ。…だったら俺は嫌だな」

――そんなもんに振り回されるのは。
ともすれば無神経な言い方も、彼の声にかかれば刺が消えるから不思議だ。
同じ位置にある目線が、少しだけずれて僕の背後を見る。
虎徹さんがそこに誰を見ているかなんて考えなくても分かるが、それはとても釈然としない気持ちにさせてくれた。
素直に好きと言ったらあなたは僕を見てくれるんですか?
アクションを起こさないうちから諦めるのは性分ではないけど、こればっかりはどうしようもない。

「なあバニー」

ふっと、外れていた視線が元に戻る。
僕の手のひらを頭の後ろに置いたまま、掠れた声で虎徹さんが呼んだ。

「何ですか?」
「気持ち悪いこと言ってもイイ?」
「ええ」

聞きながら髪を指で撫でながら言う。
彼はそれにはっとしたように目を見開き、やっぱりいいやと言葉を濁した。

「そっちのほうが気持ち悪いですよ。言ってみて下さい」
「いや…なんつーか。もう叶ったから」
「え?」

つるつるさらさらの髪を自由に触っていると、虎徹さんはおかしそうにくつくつと笑い出した。
シーツの中で絡まる足はじたばたと暴れ、次第に大きな波になっていく。

「頭、撫でて欲しかっただけ」

涙目で言いながら僕の手首を両手で掴み、自分の頭に乗せてわしわしと掻き回した。
暫くはされるがままにしていたが、僕はたまらず裸の肌を引き寄せて胸に抱く。
強いくらいに頭を抱き、芯の太い黒髪をかき混ぜた。たぶんそれは、彼の言っていた撫でるという行為にはほど遠かったと思う。
でも虎徹さんは、僕の背に腕を回して同じように頭をさわってくれた。
煙草の匂いの口元を掠め、鼻の頭を食む僕に聴こえる嗚咽はひどく静かで物悲しい。

「今日、今日な」

愛した人を亡くす気持ちは痛いほどよく分かる。
でも僕は、彼にかける言葉も選べなかった。

「あいつの誕生日なんだ」
「…そうでしたか」
「こども、みてぇにキラキラした目でさ…っ、今日はわたし、王様だから何でも言うこと聞いてねって。毎年そう言うくせに、俺のこと甘やかして…楓も、いんのにさ。ははっ」

ぎゅうっと僕の胸に顔を押し付けて笑う彼が、いつかの自分に重なって苦しい。
未だ解けない、いや一生解放なんてされない呪縛にも似た感情が、今の僕達が共有できる唯一の感覚。

「それに俺セブンスター派なのに…、ペルメルとかゆうどっかの国の煙草ばっか、買ってくるし」

ぐずぐずになっていく頭を撫でながら、そういえば彼の煙草にはPALLMALLと銘打ってあったことを思い出した。
確かイギリス製で、割りとポピュラーだと聞く。
友恵さんがどんな思いでペルメルを虎徹さんに進めたのかは解らないが、パッケージの燃えるような赤い色は何となく心を引かれた。

「かえ、でがさ、生まれてから、禁煙して、たのに」

聞いたことは当然ないはずの女性の声が、耳の中で虎徹さんを呼ぶ。
愛し合うふたりは容易に想像できるのに、どうして僕らの未来は見えないんだろう。

「誕生日のたんびに、買ってきやがって…っう、どんどん溜まってったのに」
「……虎徹さん」

――ああ、そうか。
この煙草は恐らく、最後の一本なのだ。
彼女から送られた、彼女を感じることが出来る最後の。
だから彼は彼女の生まれた日にこれを吸う。
僕に抱かれたあとでも、僕に抱かれながらも。
なんて人だろう。

「僕にも一本、くれませんか」
「え…?」

だからこれは、賭けだ。
彼がイエスというなら、僕は何だって怖くない。何にだってなれる。

「最後の一本です」
「おまえ」

気づいて、と口が声を出さずにそう形を成した。
ふと顔を上げた虎徹さんは、眉を下げて困ったような顔をしている。
やっぱり、諦めるのはもう少しあとにしよう。
僕がそう思った瞬間、虎徹さんがいきなり体を起こし僕の背後に向かって手を伸ばした。
突然のことに驚いて振り向くと、彼が重心を置いていた右手が腹にくる形になって苦しくなるが、虎徹さんは構わずこちらの腹筋に乗り上げる。
そして古ぼけた赤パッケージを掴むと、少々乱雑な手付きで中から煙草を取り出した。

「虎徹さん、あの」
「うるさい。なにも言うな」
「いや、僕は」

ふたりの思い出を賭けの材料につかったことに急に罪悪感が沸き、慌てて訂正しようとするが虎徹さんは無視してペルメルを口にくわえる。
シュボッと安いライターで煙草の先に火をつけるその姿は、下から見上げると何とも色気があって絵になった。

「……」

思わずこくりと喉を鳴らすと、虎徹さんは目だけを僕に向けて息を一気に吸い込む。

「はぁーっ」

そして真っ白な煙を吐き出し、満足したように微笑んだ。
ぼやっと彼を見ていた僕ははっとして、吸い口をこちらに差し出してきた虎徹さんを見る。

「唇で優しく挟むんだ。歯は立てンなよ」

煙草の話なのにどこか卑猥なのがおかしい。僕はそっと近付いてきたペルメルをくわえ、一息に吸ってみた。

「…わずい」
「なに?」
「まずい、です」
「そりゃあ煙草だからな」

手を離した虎徹さんは、未だ僕の腹に乗ったままそこで頬杖をついてこっちを眺めている。

「舌がビリビリします」
「タールが強いんだ。慣れればそれが美味くなるんだぜ」

初めて吸ったのが虎徹さんを経由した、赤いパッケージの煙草だなんて。
物語にしては出来すぎていて戯曲にもなりはしないだろう。
鼻をつく煙草葉の香りに頭がクラクラして、僕はキャビネットに置いていた飲み残しのワインを口に含んだ。

「わあ。すっげーハンサムな絵面。CMきそう」

すん、と鼻を鳴らして僕の上に寝そべった彼は冗談めかして呟く。
更に冷たい灰皿を僕の胸の上に置き、腕を伸ばして手ずから灰を落としてくれた。
彼と今は亡き女性の思い出がたくさん詰まったただの細長い棒は、それから五分足らずで吸い終わってしまった。
舌に残るタールの感覚と、鼻に抜ける葉の香りは余韻となって僕を包み、まるで虎徹さんが体の中に入ってきたような気もする。
暗い部屋で一点だけついていた灯りはとうとう消えて、残ったのは二本の吸い殻。
寄り添うように隣り合う長い煙草と短い煙草を見る虎徹さんは、ふやけた笑顔でじっと動かない。

(あなたの目に映っているのは、彼女ですか? それとも僕ですか?)

我儘な僕はいつだってあなたに見ていてほしいと思うけれど、今はそれも小さな炎に過ぎなかった。
僕の勝手な妄想の中で、写真のままの笑顔を振り撒いた友恵さんが言うのが聞こえるんだ。
賭けはあなたの勝ちのようね、と。

「寝るか、バニーちゃん」
「…目が醒めました」
「子守唄でも唄う?」
「セックスがいいです」
「おまえねぇ」

はは、と乾いた笑いを溢した彼は、目尻に溜まった涙を指で拭いた。
さっきもきっと、こうしてひとり涙を拭っていたのだろう。
今までも、きっとこれからも。
だからその度僕がこうして傍にいて、彼を甘やかしたり甘えたり、なにか考える暇もないくらいに愛すればいい。
ゆっくりでいいんだ。あなたが僕を心の底から欲してくれるまで待てる自信は十分にある。

「おじさんの年考えてくんない。もうアラフォーなんだぞ」
「優しくしますから」
「あのなぁ、そういうのは女の子に言ってやるもんなの。おっさんに言うことじゃないの」
「ふうん」
「ふうんてオイ」

彼は、運命なんてと言ったけれど。
僕はそれを日々感じてやまないんです。
もしあなたがヒーローにならなかったら、僕がヒーローにならなかったら。
もしあなたが奥さんを亡くさなかったから、僕が両親を殺されなかったら。
もし、時を同じくして同じ痛みを抱かなかったら。
タイミングよく鉢合わせしなかったら。
僕達は互いの存在すら知らずに生きていたかもしれない。
世界に散らばる偶然の重なりが、ひとつの大きな奔流となってこの世界を構成している。
たとえそれが運命であってもなくても、僕はそれらの小さな巡り合わせひとつひとつに感謝したい。

「宇宙の神秘、か」
「え?」
「いえ、何でも」

ないです、と言い掛けた僕の唇に、虎徹さんのそれが重なった。

「感じわるー。そんな子に育てた覚えはないぞパパは」
「残念でした。僕って割と不良なんです」
「あー、それは知ってるわ」

賭けには勝った。
さあ、あとは行動あるのみだ。






おわり
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