ヒーローだって恋をする
「うわ」
「何ですか…その色気のない声は」
朝寝の惰眠を貪っていると、隣で虎徹さんが嫌な声を上げた。
思わず悪態をつくと「だって」と酷く枯れた声が返ってくる。少し無理をさせて過ぎたかもしれない。
「起きたら目の前にバニーがいるとか」
「嫌ですか?」
「いやっつうか…恥ずかしすぎる」
「僕は幸せですけど」
僕は肘を立て頭を支えて、うつ伏せで寝ている虎徹さんの頬を撫でる。
東洋系だからだろうか、滑らかな肌は触り心地がいい。しっくりと僕の手に馴染んで、まるでずっと触っていたような気がする。
「…」
それから、今まで気付かなかったが、虎徹さんは眉の上に薄い傷がある。
他にも傷跡はあったが、そこだけ妙に気になった。ダークブラウンの髪に隠れたそこは、虎徹さんの隠したい心のように思えたのかもしれない。
「身体、大丈夫ですか?」
「お前が言うかよ。初めてだったのよ! あたし!」
「ハハ、貴方のバージンをもらったわけですね」
「……」
ジト目でこちらを見る虎徹さんは、ハァとため息を落としボスンと枕に頭を沈めた。
跳ねた髪を優しくすくと、僅かに身動ぎしてぎゅっと枕を抱き込んでしまう。
顔が見たかったが、名前を呼んでも更に顔を埋めるばかりで。
どうにかならないかと、素肌のままの肩に悪戯半分で派手な音のキスをしてやった。
「いッ、だ、だからそういうところが!」
「なんです?」
がばっと頭を上げた虎徹さんを特製スマイル付きで見れば、困ったような不貞腐れたような表情がある。額にかかる髪を払って、傷跡の残る眉をそっと撫でた。
瞬間、虎徹さんがふわりと頼りない顔になる。
「虎徹さん?」
「…若いよなぁ。やっぱ」
「は?」
「おまけにハンサムで頭もキレてさ。力もあるし」
虎徹さんの言わんてしていることは、すぐに分かった。その茶色の瞳からは、不安の色が溢れているから。
でも、それをいうなら僕だって、あなたに対して劣等感だらけだ。
その奔放な性格も、愛する人を亡くして尚真っ直ぐに誰かを求められる強さも、全部僕にはない部分だから。
「お前、本当に俺で」
「虎徹さん。あれだけ泣かされておきながらまだ足りないんですか?」
「えっ、あ?」
「あなたが僕を選んだんじゃないんです。僕があなたを選んだんですよ」
お、おま…! と虎徹さんの慌てたような声がして依然眉の辺りにあった僕の手をがしりと掴む。
長年装甲でないスーツを着ていたからか、彼の手の平や指の皮は厚い。それが虎徹さんの人生を体現しているようで、益々愛しくなる。
「そういうことを素面で言うな」
「じゃあ今度は酔ってる時に言います」
そう言ってすかさず体の下に手を入れ、うつ伏せの状態から仰向けにさせた。
「いだっ、ちょ、バニー扱い荒い!」
「ヒーローのくせに」
「今はただのおじさんだからね!」
ぎゃあぎゃあと虎徹さんは喚いたが、ベッドから降りることはしない。
それが嬉しくて毛布の中で足を絡めた。しっかり筋肉のついたそこは、互いの体温で熱いくらいだ。
この熱が、ずっと欲しかった。最初に想いを伝えたとき、虎徹さんは両親のいない寂しさを年上に求めているだけだと僕を分析して、きっぱりと拒否した。
それもそのはずだ。男同士だし、何より彼には愛する人がいる。もうこの世にはいないが、指に嵌まったままのエンゲージリングを見れば、虎徹さんの想いは痛いほど分かる。
でも、駄目だった。
僕は確かに両親の愛を欲していたが、それと虎徹さんを求める感情とは全く別物で、この胸に抱きたい衝動はいつでもあった。二人きりでない時でさえ。
『なあ、バニー』
彼が無邪気にそう呼ぶ度、何かが体を駆け抜けていく。
あなたが好きだと何度言ったかもう分からなくなった夜。訪ねた自宅で、虎徹さんは泣いていた。
寂しいんだと、一人が怖いと、泣いていたのだ。
だったら僕を利用すればいい。人間だから人並みに体温はあるんです。抱いて寝れば暖かいですよと言って抱き締めた。
抵抗はされなかった。だから僕も、それ以上は何もせずに一晩を明かした。
彼をセンチメンタルにさせた原因は恐らく写真の中の彼女なのだろうが、それについて何か問うほど子供でもないから。
「バニー?」
トリップしていた僕の瞼を、不躾な指がつついてくる。
おまけに無理矢理抉じ開けようとして親指まで伸ばしてくる始末で、僕は虎徹さんの手首を掴んだ。
「何してるんですか」
「急に黙るから、目ェ開けたまま寝てんのかと思った」
このトーンは本気で言っているらしい。
僕はひとつ息を吐いて、掴んだままの右手首をシーツに縫い止めた。そして暖かい毛布を蹴飛ばし、横たわる体に馬乗りになる。
「お、おい。怒ったのか?」
いいえと一言言うのと同時に顔を近付けて、残った片方の手首も拘束した。
簡単にベッドに沈む両腕はもちろん一般人に比べれば逞しいが、他の男のヒーロー達に紛れると途端に頼りなくなる。
それが何だか切なくて、僕は目を瞑り虎徹さんの胸に額をつけた。
「くすぐったいぞバニー」
お前のサラサラヘアが、と付け加えて言った虎徹さんの鼓動は、ドクドクと早鐘を打っている。
余裕ぶっているくせに、見えないところで意地を張っている虎徹さんには苛つくが、同時に愛しくもあった。
――ああ、いや。
余裕ぶってその実混乱しているのは、僕の方だ。
今だってこうして彼がここにいることが、現実だと思えない。触れているのに、感じているのに次の瞬間には消えてなくなりそうな気がする。
いつも怖いと素直に言えたらいいのに。
暫く虎徹さんを拘束した態勢のままでいたが、手首がぴくんと動いたのに気付き慌てて離した。
「すみません、苦しかったですよね」
「…五年前、楓がさ」
「?」
唐突に始まった言葉に、僕は彼の上から退く機を失って半端な姿勢で固まる。
「ママがいない悲しみとか、不安とか怖さとか…俺自身もまぁ、ぶっ壊れてたってのも理由だろうけど」
影の指す目はどこを見ているのか、虎徹さんは思い出を探るように眉根を寄せて低いトーンで話を続けた。
「俺の手ェ掴んで、自分のほっぺたに当てるんだよ。んで“よかった、あったかい”って言うんだ」
「虎徹さん…」
僕が力を抜いて彼の横に座ると、虎徹さんは申し訳なさそうに笑う。
「悪い、変な話しちまって」
寂しそうに言って僕の手を掴み、自分の頬に押し当てた虎徹さんに、一気に切なさが広がった。
彼の傷はまだ、癒えていないのだ。
「冷えるなぁ。お前毛布どこやったんだよ」
「僕はいなくなりませんよ」
ぴた、と虎徹さんの動きが止まる。
手を伸ばして、恐らく一生消えることはないのであろう眉の上の傷を撫でた。
そうして今度は髪を一房手に取って口付ける。
いつか両親が寝る前にしてくれた優しくて穏やかなキスは、する側になっても心が満たされる気がした。
「生意気言うな…兎のくせに」
「兎のくせには余計でしょう」
「寂しいと死ぬのは兎の方だろうが」
「何ですかそれ」
震えた声とは裏腹に、虎徹さんは微笑んでこちらを見ている。
湿気が飛んだシーツの上で、裸のまま十代の恋人同士のようにじゃれあった。
◇◇
「なーんかあの二人、いつもと違うわよねぇ」
栄養ドリンクをストローで飲みながら、ネイサンが呟いた言葉にアントニオが頷いた。
「浮わついてるな」
「ちょっと、シャンプーの話なんかしてるわよ! なになに、何があったのよォ!?」
気になるわぁと悩ましく腰をくねらせてストローを噛むネイサンに、アントニオも腕を組んでため息をついた。
カリーナはいつにも増してイライラしているようで、鏑木酒店のプリントがされたタオルをギリギリと握り締めている。
「イワン、偵察してこい」
「ぇえ! 嫌ですよ!」
「ニンジャだろうが! 偵察は専門だろ!」
「僕はサムライです!」
一緒だろそんなもん、とぎゃーぎゃー言い募るアントニオとイワンは、すでに虎徹とバーナビーを視界から追い出している。
フゥと息をついたネイサンは、未だ浮かれた二人を睨み付けるカリーナの肩にポンと手を置いた。
「よもや男に奪われちゃうとはねぇ」
「は!? なんのことよ!」
噛みつくように言ったカリーナは淡いハニーブロンドの髪をぐしゃぐしゃとかき乱し、ハハハおいマジかよバニーなどと呑気に言っている虎徹を睨み付ける。
瞬間、PDAの騒がしいコールがトレーニングルームに鳴った。
『ボンジュール、ヒーロー』
軽いフランス訛りの言葉で楽しそうなアニエスの声が部屋に響く。
『強盗事件発生よ。人質はいないけど、現金輸送車がジャックされたわ』
おいおいマジか、とアントニオがイワンの頭をぐりぐりやりながらぽつりと言った。
シュテルンビルトの現金輸送車は多発する強盗事件に対応するため、様々な機能がついている。
例えば攻撃に特化した固定型のロケットランチャーであったり、硬い装甲のボディであったり。
「行くか、バニー」
「ええ」
どことなく楽しそうな雰囲気の二人は、背後の面々を尻目にさっさと部屋を出ていく。
「…なんなのよあの二人!!」
「まあまあ、私達も行くわよ。キース達もすぐ来るはずだから」
「わかってるわよ!」
荒れてるわねぇと頬を片手で押さえたネイサンもまた、すでにファイヤーエンブレムの顔をしていた。
カリーナはタオルを放り投げたが、誰もいなくなった部屋でまたそっと拾い上げる。
そして息を大きく吸い込み、
「馬鹿タイガー!」
とタオルに向かって叫び、フンと機嫌悪く踵を返して部屋を後にした。
静まり返るトレーニングルームには、鏑木酒店のタオルだけが綺麗に畳まれて置かれていた。
おわり
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