神様 2

ため息をつきたくなるようなことを思いながら廊下に出ると、部屋からは聞こえなかった夜の音が耳に滑り込む。
ふわあと欠伸をすると、眠気も襲ってきた。
あわよくば隣で寝ていたいと思いながら、軋む廊下を歩く。
そのときだった。

山賀の葬式も済み、慌ただしかった屯所も落ち着きを取り戻していた。
近藤さんは早くも本来の自分を取り戻したように見え、隊士と馬鹿やったり総悟を甘やかしたりしている。
むしろだからこそ心配で、山賀が死んだ夜に見せた弱音が頭にこびりついて離れなかった。

『自身なくなっちゃったよ…』

震える肩を抱き寄せたとき確かに感じた近藤さんの苦悩が、今も俺を縛ってがんじがらめだ。
どう声を掛けていいか分からない。
しかも山賀が関わっていると思われる件の証拠である帳簿の一部は、未だ近藤さんが所持している。
仕方なく監察方には捜査の一時中断を命じ、奴らも俺も通常業務に戻っていた。

「ったく昼間っから辛気臭いツラでさァ」

ごちゃごちゃと考えながら縁側で一服していると、総悟がアイマスクを頭に装着したまま近づいてくる。

「近藤さんは局長預かりにするつもりですぜ」
「…てめぇ、なんでしってんだ」
「ザキにちょいと」

あのやろう。

「局長預かりってこたァ、土方さん」
「ああ。無かったことにする気だ」

普段権力なんざどこに着てんのか分からない近藤さんだが、今までに幾度か職権乱用まがいの命令をしている。
例えば伊東の事件のとき。
本来なら除名は免れないはずの奴に下した処分は、降格と刀の剥奪だけだった。
そのときは俺にすら進言を許さず、遺体の引き取りを拒否した遺族の代わりに墓まで建てたのだ。
あの人が体裁や外聞を気にしてそうしたことをしてんなら、まだ責められたのに。

「たまたま死んだからいいようなモンを」

煙草の煙を目で追っていた俺の耳に、総悟の物騒な言葉が聞こえてくる。
かなり認めたくなかったが、俺も全くの同感だった。

「近藤さんには言うなよ」

最後に煙をいっぱいに吸い込んで、隣に置いていた灰皿に煙草を押し付ける。

「百も承知でさァ」

嫌になるほど、空が青かった。


◇◇◇


「…っ、ウっ」

くぐもった声が聞こえて、目の前、数歩先からドタドタと足音が聞こえ、廊下に誰かが転がり出た。
暗い影ではあったが、それが誰なのかは考えなくても分かる。
そこは近藤さんの部屋だ。

「おい!」

慌てて駆け寄るが、近藤さんは縁側から頭を突き出して嘔吐する。
背中を摩りながら確認するが、酒の匂いはしなかった。
つまり悪酔いして吐いてるわけじゃない。

「大丈夫か? 水持ってくる」

そう言って立ち上がった俺のスラックスの裾を、くんっと何かが引っ張った。
振り向けばそれは、暗がりに浮かぶ近藤さんの手。

「どうした…?」

すぐに屈んで目線を合わせると、近藤さんは鳴咽を漏らしながら泣き始めてしまった。
そっと抱き寄せれば素直に応え、俺の肩に顔を埋める。

「よしよし」

今は何も聞けないだろう、と近藤さんが落ち着くのを待った。

「大丈夫だ、俺がいるから」

震える肩を抱いて呟くと、小さく頷く気配がする。
荒かった呼吸も徐々に鎮まって、俺の背中を掴む力も抜けていく。
暫くそうやって抱き合っていたが、ふと近藤さんの方からすっと離れた。
雲間からちょうど出てきた半分だけの月が、互いの顔を照らす。

「落ち着いたか?」
「……ん」

腫れた目を俯かせて、近藤さんははぁっと鳴咽の名残で大きく息をついた。
濡れた頬を指で拭うと、眉を下げて申し訳なさそうな目を上げる。

「ごめん」
「いいよ。それより口ん中気持ち悪いだろ。水持ってくるから」
「あ…部屋に…お茶が」
「わかった」

縁側に近藤さんを残して立ち上がり、すぐ横の部屋に入った。
電気をつけると眩しい光に目が眩んだが、机の上に飲みかけの茶が入った湯飲みを見つける。
電気を消して湯飲みを近藤さんの元に持っていくと、ありがとうと小さく言って茶を口に含み、うがいをした。

「はぁ」
「もう大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫」

茶碗を床に置いて息をつく近藤さんは、また隠れてしまった月を見上げる。
同じように空を見上げて、俺は近藤さんの肩に腕を回した。

「仕事してたの?」
「まぁな」
「こんな遅くまで…ごめんな」
「あんたが謝ることじゃない」

頭をこっちの肩に置いて甘えるように擦り寄る近藤さんに、俺も肩を抱く距離を縮める。
少しの間二人とも無言で空を見ていた。
湿った風が髪を撫でていくのを感じながら、また月が顔を出すのを待つ。

「……俺」

不意に近藤さんが声を出した。
ああ、と低く返事をして促す。

「何であのとき、山賀の話をもっと聞いてやれなかったんだろ、て…ずっと後悔してた」

あのときがいつを指しているのかは分からなかったが、構わず黙った。
何かを思い出すようにぼーっとした表情で中庭の辺りを見ながら、近藤さんは話を続ける。

「本当は悪いことなんてやりたくなかったはずなのに。もしかしたら」

そこまで言って、近藤さんは急に何かに堪えるように目をつむった。
俺の肩に頭を押し付けて、シャツを掴む力を更に強くする。
俺は何も言わず、根気強く待った。

「もしかしたらその負い目があって、わざと刀を受けたのかもって…っ、考えたら…!」

ああ、そうか。
そんなことまで考えられる脳の構造をしてるから、あんたはそんなにまで優しくて、弱いんだ。
だから守ってやらないと、そう誓ったのは一回や二回じゃないのに。
俺は内心泣きたくなって、それをごまかすように近藤さんの肩を軽く叩く。

「絶対死にたくなんかなかったはずなんだ。山賀は、だってあいつには…赤ん坊が…生まれて…っ、っく、うぅ、」
「近藤さん……」

それでもこの人が、局長としての責務を果たさなきゃならないのは、人間としての自分を殺している証拠だ。
人材は幾らでもいる。
局長の椅子は、極論だが平隊士でも座ることはできる。
でも近藤さんは、人間としても局長としても、近藤さんはただ一人しかいないんだ。
もちろん俺や総悟やがそうであり、山賀がそうであったように。

「こんな悲しいことって…っ」

むせび泣く近藤さんを、俺はとうとう我慢が出来ずに正面から抱きしめた。
瞬間、ザワッと大きな風が通り抜ける。

「自分を責めるな」

神様。

「あんたは悪くない」

いてもいなくてもいい。
俺の声を聞いてくれ。

「頼む」

もうこれ以上、この人を悲しませないでくれないか。
涙を、流させないでくれないか。

「あんたが悲しいと、俺も辛い」

笑っていて欲しいんだよ。
皆が幸せであるように願うこの人に、いつだって幸せであって欲しいんだ。
だから、神様。

「泣くなら俺だけのために…泣いてくれないか」

どうかこの人を…近藤勲という人間を、殺さないでくれ。
じゃないと俺が。

「…俺がどうにかなっちまうよ」

いつの間にか雨が降っていた。
しとしとと篠突く優しい雨。
俺にはそれが、答えなのだと分かった。


◇◇◇


「いやーよく降るねぇ、毎日」
「そうだな」

梅雨などとうに過ぎ去った、八月のある日。
連日止まない雨は、それでいて大降りになることはなく田畑やいきものに恵みをもたらしていた。
近藤さんは着物を羽織っただけの姿で縁側に立ち、朝方の清楚な空気に当たっている。

「昨日の予報じゃ今夜には止むらしいがな」
「あ、そうなの? んじゃ明日布団干さなきゃ」

俺も俺で裸のまま布団に横たわって煙草をふかしていた。
久々にうまい煙草を吸った気がする。

「てかいつまでその格好…って! トシ! 寝煙草はダメだっていつも言ってんじゃん!」
「んー?」
「んーじゃない! ほら起き、わっ」

部屋に入ってきた近藤さんの腕を、無理矢理引っ張って布団に転がした。
あぶねーだろぉとか言いながら怒っている気配はない近藤さんに、にやりと笑いかけた。
煙草は灰皿に立て掛けて。

「うわ、凶悪〜」
「なんだソレ。傷つくな」
「嘘つけ」

にししと笑った近藤さんに、俺も自然と微笑できた。
驚くほど自然に、唇が触れ合う。
互いに水分不足でかさついた唇を、労るように優しく舐め合った。
心まで触れ合っているようで、最高に気持ちいい。
近藤さんも、よさそうに俺の唇や口内を吸っている。
どうだろう。
このまま近藤さんと、この世の悲しみや苦しみから逃れてどこかに逃げてしまうというのは。

「…は」
「も、一回」

好きなときに愛を囁き、抱き合い、重なることができたならば。

「だーめ」

……だよな。
そんな味気無い世界を、あんたが望むわけがない。

「さ、準備準備」

悲しみがあって、苦しみがあるから。

「幸せだよ、俺」
「な、何いきなり」

幸せなんだよな。

「べっつに。準備するか」
「ちょ、トシ、へんだよ!」

やっぱりあんたは、そんな顔が似合ってる。




おわり








―――――――――――――――――――
なんか久々に…中身のあるお話が書けたような気がします。
弱っちい近藤さんを目指したら土方さんがいい人に…もっと奴にも人間ぽさを出したかったんですが。力量不足です。
でも満足してますよ!
ちなみに山賀の娘の名前は近藤さんがつけました。本編では割愛しましたが、いずれ書きたいですね。

尚、こちらの作品はフリー小説とします。
こんなヘタレ文でも持ち帰ってやるわよ! という優しい方は是非お嫁にもらってくださいませ(●´`●)

ここまでお付きいありがとうございました!
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