塗り潰した罪、愛を唄って 6


「ラン♪ ラン♪ ラン♪「ふざけてると指を切りますよ」


ボンゴレの霧の守護者が入院している病室から、軽快な歌声が響き渡る。
守護者である骸は、ベッドから上半身だけ起こし、隣りで愉しそうに林檎の皮を剥く白蘭に呆れていた。

今から数十分前、突然病室のドアが開き、しかも「むっくろクーン、お見舞いに来ちゃった♪」なんて、あっさりと言い退けるお気楽さ……には、怒る気力も出ない。
大きな籠に、林檎を沢山詰め込んで持ってきた姿は、まるで白雪姫に出てくる魔女のようだと思った。


「ミルフィオーレは、よっぽど暇なんですね」
「アハハッ、まあ部下が優秀だからね」


皮肉を交えた厭味も、全くといっていいほど効果がなく、骸はがっくりと肩を落とした。
そうしている内に、置かれた皿には、ウサギの形をした林檎が整然と並べられていく。
どの林檎も、寸分の狂いなく、形が綺麗に保たれていた。
骸はそれを一つ取り、あまりの出来映えの良さに、感嘆の息を漏らす。


「ほう、無駄に手先が器用ですね」
「チッチッチッ、これくらいは序の口だよ。ほらっ、これが究極の芸術作品、林檎で作った骸クン大好きパイナ「宇宙の彼方まで消え失せろ」


グサッと何かが刺さる音と共に、白蘭の頭上から冷たい台詞が浴びせられる。
被害者兼加害者でもある白蘭は、果物ナイフが自分の左手の甲に刺さっているのを見れば、緊張感に欠けた顔でへらりと笑った。


「乱暴だなぁ、血が出ちゃったじゃんか」


ぽた、ぽた、と、清潔な白い布団の上に、紅い雫が伝い落ちる。
白蘭はナイフを抜き取り、雫を掬い取ろうとして指先を伸ばした。
しかしそれが猛毒を持つ蛇に変われば、目を丸くして椅子から派手に転げ落ちる。


「いったー! 骸クン、いきなり畜生道発動させないでよ。うわっ、指まで切ったぁーっ!!」


転げ落ちた拍子に擦ったらしく、白蘭の左手の四本指には、紅い筋が作られて血が滲み出す。
唯一無事な親指を舐めると、油断しちゃったな、と、舌を出して悪戯っぽく笑った。
骸は、胡散臭さを感じさせるそれが嫌いで、目障りとさえ感じてしまう。


「ふん、心臓に刺されば良かったんですよ」
「ひどっ、死ねって言ってるようなもんじゃんか」


尚も続く骸の悪態に、白蘭は凹んだように背中を丸めた。
骸クンがひどいよ僕のガラスのハートをいじめるよ、うわーん、助けて正チャーン、と泣き真似までしだせば、ますます骸の機嫌は悪化していく。
しかし、何をやっても懲りないことは、今までの経験上予想がついていた。
このマイペース男は、どんなに邪険にされても、めげることを知らないのだ。
ここはさっさと機嫌を直させて追い出すに限る……と自分を抑えた骸は、精一杯の仏心を出して、柔らかく、柔らかく、話し掛ける。


「僕が悪かったですよ。ほら、機嫌を直してください」
「ひっぐ、せっかく、骸クンのために、ぅぅ、林檎剥いたのに、うわーん……」
「……はぁ。わかりましたよ。林檎は美味しく頂きますから、それでいいでしょう?」


内心、八つ裂きにして死体を犬に喰わせたい……と思いながらも、骸は一つ林檎を掴む。
ウサギの出来映えは大変良く、食べるのが勿体ない衝動にも駆られたが、振り切って丸ごと口に入れた。
そのまま、口の中で細かく噛み砕いていき―――


「ぶはああぁぁっ!!」
「骸クン?」


突然、口に含んでいた林檎を吹き出した骸に、白蘭は首を傾げる。
毒なんか入ってないけどなぁ、と呟く傍らで、骸は激しい咳と嘔吐感に苛まれていた。
白蘭は立ち上がり、背を丸めて苦しんでいる骸の背を優しく撫でてやる。


「むくろ、クーン?」
「っ、がはっ……げえぇ、これ、ただの、げほっ、林檎じゃ……ない……で」
「あ、よくわかったね。見た目は普通なんだけど、品種改良の林檎だよ。僕の好きなマシュマロと、骸クンの好きなチョコレートが入ってるの♪」


嬉々として答える白蘭を苦々しく横目で見遣り、本気で三叉槍を取り出そうかと骸は考えた。
しかし、背筋に冷たく刺すような空気を感じ、思い留まる。
ただの余興だ暇潰しだ、今までの戯言は。


「……あなた、一体何の用があって来たんです?
「やだなぁ、お見舞いって言ってるじゃない」


声の調子は軽いものだが、背を擦る手の動きが一瞬止まり、そしてゆっくりと離れていく。


「ミルフィオーレ総大将が、いずれ乗っ取ろうとしているボンゴレの、それも守護者のためにわざわざ……ですか?」
「うーん、乗っ取るなんて人聞きが悪いな。もっと穏便にいこうよ」
「ああ、失礼しました。“殲滅”の方が正しかったですね」


骸はある語句を強調し、畳み掛けるように言葉を紡いでいく。
白蘭はニコニコと笑ったままだったが、紫色の瞳は底冷えするほどの透明度を生み出している。
一瞬でも気を抜けば、簡単に呑み込まれてしまいそうだと思った。
純白の、紫水晶の、奈落へ。


「大体の想像はつきます。アルコバレーノの差し金でしょう」
「―――さすが、だね。君は、ボンゴレには勿体無い。いや、沢田綱吉クンには……かな?」


白蘭のわざとらしい疑問を聞き、骸は即座に視線を紫へと移動させた。
唇を噛み締め、怒りに殺意をほとばしらせる様は、白蘭の嗜虐性を一層煽る。


「骸クンは優しいね。綱吉クンを幸せにしたくて、汚れ役を全部引き受けて。ホント、かわいそう」
「あなた……いきなり何を言い出すんですか?」


骸の声が、弱々しく震える。
耳を塞ぎたくても、これ以上聞いてはならないとわかっていても、心の奥まで見透かすその紫から、視線を逸らせない。


「こんなに君が尽くしてるのに、ひばりチャンしか見ないんだよね。自分が殺して、マリオネットにしたひばりチャンしか、見えてないんだよね。でもさ、君は本当に、綱吉クンの幸せを願ってたの?」


骸の柔な心が、ジクジクと痛みだす。
敵わない、敵わない。
この男は僕の、そう、叶わない望みを暴き立てる。
叶えたい、この望みも。
何を?
誰を?
永遠を?
僕は、本当に、彼の笑顔が見たかったのか、だと。
決まっている、決まっている。
彼のために、自分は茨の道を選んだのだから。


「……何が、言いたいんですか? 僕は、彼に幸せになってほしい―――ただ、それだけです」
「そっか。じゃあ、綱吉クンは君に“感謝”しないとね。マリオネットになってでも、ひばりチャンが傍にいてくれるんだから」


妙に、引っ掛かる言い方だと、骸は思った。
痛みに疼く心が、鬱陶しく煩わしい。
感謝?
彼が?
僕に?
どうして?
心が警鐘を鳴らす、それは何に対してか。
背けた事実が、迫っていることを、この身に知らしめるため、か?



「だって、君の犠牲が無かったら、綱吉クンは死んでたかもしれないでしょ」



彼が死んでいた?
何故?
何故そう言い切れる?
意味がわからない、胸が苦しくなる。
頭が割れそうになるほど激しい頭痛までも、骸の神経を無遠慮に犯していく。
聞いてはいけない、聞いてはいけない。
この続きを、自分は知っている。
知っていて、愚かにも捻じ曲げた。



「だーいすきな、ひばりチャンを追って、さ」



崩壊する、偽りの心。
思い出される、忌まわしき記憶の欠片が、骸の脳裏で形を成していく。
そうだ、亡骸を抱きしめた彼は―――愛する者の後を追って、死にたかったんじゃなかったか。
あの哀しそうな顔は、涙は、唯一を失ったことへの―――声無き絶望。
ああ、そうだ。
彼の視線は、愛する者の命を奪った、銀色の刄に向いていて。





―――俺も、貴方の傍に行きますから。





それは、言葉にならなかった、させなかった、彼の本音。
それを聞きたくなくて、無意識に自分は閉ざした。





―――雲雀恭弥は、まだ助かります。
(だから、君は生きてください)



―――霧の守護者の名の下に、必ず彼を救いましょう。
(君を失わないためなら、どんな手を使ってでも護り抜こう)





決意の、誓いの、裏に隠したそれは、信じたくないほど自己満足の塊で。
彼の笑顔を見たい、幸せであってほしい、なんて大嘘吐きだと、本当は惨めなぐらい知っていた。
いつだって、僕が求め欲したのは……


「……それでも、僕は、彼を死なせたくなかったんです」


独り言が零されると同時に、ぽたっ、ぽたっ、ぽたっ、と落下するのは雫。
骸の蒼緋から伝い落ちるそれは、塩辛くも甘やかで優しい水。
きっと、嘘で塗り固められた世界は、一度色を失って、また新たに、真実の彩色で色づいていく。



「ねえ、綱吉クンの幸せは―――」



白き花が、耳元でそっと囁く言葉を、骸は無抵抗で聞き入れた。
沈めた感情が、濁流の如く溢れ出してしまいそうだと思うのは、随分と感傷的になったからか。
保っていた意識が、夢に誘われて遠ざかる。
手放す前に、この耳で聞こえたのは―――幻聴?





―――沢田綱吉は、返してもらうよ。





これは、幻聴か空耳か。
返してもらう、なんて人聞きが悪い話だ。
彼は最初から、そう最初から―――。



「随分と野暮なことを、彼は君のものじゃないですか……」



骸の意識が、頑なに護り続けた制御が、音を立てて崩れ落ちる。
断ち切られる、操り糸。
終焉を運ぶ、偽りのマリオネット。
ああ、次に自分が目覚めた時、きっと全ては幕を下ろしているのだろう。
―――死する彼に伝えたいことを、静寂に呑み込んで。





「……迎えに行こうか、僕だけの君を」



意思を取り戻したマリオネット……雲雀恭弥は、ベッドから起き上がると、目的地に向かって歩き出す。
腐食を始めた肉体、幻覚により維持されていた心臓までも、緩やかに朽ちていく。
この仮初めの命が続く間に、早く、早く、彼を連れ去らなくては―――。

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