愛されないと、知っていたからもう 3


「――ッ!!」


撤収の宣言に、獄寺の顔が今まで見たことがないほどぐにゃりと歪んだ。
どんな困難に遭っても無謀に果敢に立ち向かってきた彼が、打つ手も術もなくしたような顔をしている。
まるで世界の終わりに直面したかの如く。
そのまま俯き、両の拳を爪が皮膚に食い込むぐらい握り締め、肩はわなわなと震えていた。
ちくしょお……っと、擦れた弱々しい声で唐突にソレは吐かれる。
悔しがっているにしても、彼がここまで感情を表出させるのは珍しい。
己の無力さに苛立っただけではない、のか。
雲雀は沈黙を貫いて様子見をしていたが、やがて淡々と呟く。


「……あの子は、死んだの?」

「てめえっ! よくもぬけぬけと「黙れって言ってんだろうが馬鹿が。何も知らなかったヒバリに非はねえ」

「どういうこと、赤ん坊?」


“何も知らなかった”この一言がやけに雲雀の胸中を騒がせる。
獄寺は怨めしそうに雲雀を睨んだが、死神から放たれる威圧に押し負けたのか手は出してこない。
その代わり、何で十代目はてめえなんかを……と腸が煮え繰り返っているほどの低い声で繰り返す。
一方的な敵意を向けられ、雲雀はだんだん腹が立ってきた。
死神を見遣っても、彼はただ一人で何かを考え込んでいる。
唇は閉ざされたまま、音一つ発さない。
話すべきかどうか、思い悩んでいるようにも見える。





「……そう、だな」





長い長い沈黙の後、ようやく発した一言は肯定。
軽く瞼を閉じれば、懐かしむように口元が綻ぶ。
その様子は、自己完結にも似て。
だから雲雀には全く意味が掴めなかった。
忍耐が切れた雲雀は、懐からトンファーを取り出す。
吐かないならば力ずくで、それが短気な性質を持つ彼のやり方だ。
するとトンファーの存在に気づいたのか、死神は笑みを引かせて口を開く。
約束は無効だ、そう吐き捨てて。


「約束……?」

「ツナに口止めされてたからな。おめーが何も知らないのは無理もねえ」

「だから彼は何を「四日後、あいつは同盟ファミリーの令嬢と式を挙げるはずだった」

「は……?」


突然聞かされた事実に、雲雀の手からトンファーが滑り落ちた。
金属性の鈍い音が畳を伝わって響く。
彼が婚約?
四日後に?
何だ、ソレは……。
本当に突然、不意打ち過ぎて、雲雀は上手く思考を働かせることはできなかった。
普段は頭の回転が速い彼でも、即座に対応できない事態もあるらしい。
それでも、今まで欺かれていたという怒りは込み上げていた。
口止めということは、かなり前から決まっていたのだろうことが推測される。
貴方が好きだと、貴方を愛してると、そう言いながら――なんて。


「……裏切ったのは、そっちじゃないか」

「何だとっ!!」


雲雀が洩らした非難に、獄寺は即座に反応して殺気を飛ばす。
主を失った忠犬、縛る鎖はもう何もないのに、自ら繋がれることを望む。
自由とは程遠い、存在。
故に互いに相容れないのかもしれない。
雲雀は冷めた眼差しを獄寺に向けた。
どこまでも冷え切っていて、暖かみの欠片もない黒真珠が、怒りに奮える翡翠の瞳を射抜く。


「……彼、よく言えたものだよね。僕のことを好きとか愛してるとか……。ちゃんと婚約者がいたくせに、そのくせ僕が彼を愛していないとか責めて、被害者ぶって傷ついた顔をして……とんだ詐欺師だ「馬鹿野郎ッ!!」


中傷を遮った獄寺は雲雀の頬を渾身の力で殴った。
積もりに積もった沸き上がる激情を、漆黒の身に全て注ぐように。
油断していた雲雀はバランスを崩し、壁に思い切り背を打ちつけた。
飾ってあった掛け軸が振動で外れ、彼の背後で無残に落下する。


「っ……」


自分が草食動物と見下していた相手に隙を作り遅れを取った。
そのことに舌打ちをした雲雀は、切れた口の端から滲む血を手の甲で拭う。
彼の眼差しは純粋な殺意だけを孕んでいた。
ところが――眉間に突きつけられた冷たい鉄の感触に、雲雀は険しい顔つきをする。
眼前には、常に手入れをしている愛銃を構えている死神の姿。


「何の真似だい、赤ん坊」

「何も知らねえくせにオレの教え子の悪口を言うんじゃねーぞ」


口調こそ普段通りだったが、ボルサリーノから見え隠れする鋭利な視線は怒気を含んでいた。
今の彼ならば、脅しではなく本当に引き金を弾くかもしれない。
力負けする雲雀ではなかったが、“何も知らない”と言われる度に胸の奥がズキズキと痛むのが不快だった。
じゃあ君達は一体彼の何を知ってるんだ……そう思いながらガンを付ければ、死神は重たい口を開く。



――死刑宣告にも似たソレは、葬り去られるべきだった物語。



「おめーとの不毛な関係で傷つくツナを見てられず、婚約者を用意したのはオレだ」

「……そう。だけど彼は結局それを「あいつは、受け入れなかった。どんなにオレが諭しても、おめー以外愛せねえの一点張りだった」


苦々しく言葉を発する死神に、雲雀は腑に落ちないといった顔をする。
現に四日後、あの子は婚約者と結婚するはずだったんだろう。
ただその前に、死んでしまっただけで……。



(し、んだ……?)


誰もはっきり口にはしなかった。
されど死神は否定はせず、獄寺は冷静さを欠いて取り乱していたのだから事実に間違いはない。
よって彼、沢田綱吉は既にこの世にはいない。
それならば、何故彼は死んだ?
婚約を控えながらもソレを隠し、自分に別れを告げ、それから失踪の末に……。
記憶と思考を一つずつ拾い上げて整理していく雲雀は、はたと気づく。


「……彼は、自殺したの?」

「……」


沈黙は肯定。
雲雀と死神には相応しい暗黙の了解だろう。
何を今更……そんな視線で睨んでいた獄寺を無視し、雲雀は一つの可能性を思い浮かべた。
あまりにも自然で、ソレは頑固で強情な彼ならばやるかもしれない……一つの決断を。
だが、すぐに頭から振り払う。
馬鹿な、都合が良すぎる解釈だ。


「おめーの考えてることで合ってるぞ」

「なっ!?」


読心術を持っている死神が相手では、さすがの雲雀も手玉に取られてしまうらしい。
踏み越えてきた死線が倍違うことも経験差になっているだろう。
驚愕を隠せない雲雀を、死神は遠慮なく嘲笑う。
否、これは自嘲か。


「頑なに受け入れねえ馬鹿だったが、オレが譲らねえとわかるとチャンスが欲しいと言ってきやがった。それで駄目なら、もう諦めるからと」

「……」

「だからオレは式までの一ヵ月……いや、三週間ほどの猶予をくれてやった。数日前におめーらが逢瀬を交わした日が、文字通り最後のチャンスだったわけだ。恋人として、おめーの傍にいられるのはな」

「……」


未だに無言を貫く雲雀。
その裏腹に、心中は騒がしく荒れ狂っていた。
あの日、何故彼が急にあんなことを言い出したのか。
悲しそうな、縋るような顔をしたのか、深く考えようとはしなかった。
それなのに、事実を知った今、雲雀は己に対して情けなさと悔しさが込み上げる。
知らず力を入れていたのか、噛み締めていた唇から垂れた赤は、顎へと伝っていた。



(どう、して――)


あの日のように、また心でそう呟く。
複雑に絡まり合った自身の感情に、雲雀はついていけていない。
特別なんて思ったことは、本当の意味で恋人だと思ったことは、一度だってないはずなのに……。
理解できない言葉にできない何かが、雲雀の心を激しく揺るがせた。

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