愛されないと、知っていたからもう 1 雲綱10年後 暴力表現有り


一部歌詞インスパイア→Sound Horizon『青き伯爵の城』








★★★★★★★★★★★


「――貴方は俺を愛してない」


人目を憚るように、あまり名の知られていないホテルで部屋を取った恋人達。
ダブルベッドの上で濃密に交わった後、沢田は気怠い身体を無理矢理起こしてそう口にした。
枕元のライトだけが暗い室内に明かりを灯し、寝転がっていた雲雀の顔を照らす。
互いに一糸纏っておらず、あられもない姿になっているというのに漂う空気は重苦しい。


「……どうしたのさ、いきなり」


雲雀もまた起き上がり、自分を真直ぐ見据えてくる沢田を抱き締めた。
優しく頭を撫で、髪にそっと口づけを落として。
いとおしいと言わんばかりに、まるで寵姫。
しかし沢田は胸を押し返し、厳しい声色で続ける。


「俺は貴方を愛しています」

「知ってるよ。だから僕も「貴方は違うッ!」


雲雀の台詞を、沢田は力強くきっぱりと遮った。
ソレは否定。
貴方は俺を愛してないのだと、沢田は何度も繰り返す。
今にも壊れてしまいそうな、胸が張り裂けそうな哀しみに潰れた顔をして。
自分達がこれまでしていたことを、否定するかのように強く強く。
ところが雲雀はその意図がわからず、ただ首を傾げるばかりだ。
一体彼は何が言いたいのだろう。
雲雀には全く見当がつかない。
付き合い始めたのは、確か今から六年前だったと記憶している。
もうその前から、中学生時代から既に、沢田によるアプローチはされていたけれど。
どんなに冷たくあしらってもめげることがない姿を、初めは不思議に思ったこともあった。
だがドン・ボンゴレの就任式を終えた十八歳の夜に――熱意に負けたのか、雲雀は告白を受け入れたのだ。


「確かに僕は君に強引に迫られたようなものだけど、それでも今は君を愛してるよ。そうでなきゃ傍に置いたりしないだろう?」


宥めるように再度抱き締めれば、沢田の琥珀の瞳から涙がぽろぽろと零れ落ちていく。
身体は小刻みに震え、雲雀の胸に顔を押しつけ声を殺して泣く様は痛々しく見えた。
雲雀はどうしていいのかわからず、けれど不思議と苛立ちは感じなかった。
普段の自分なら即座に咬み殺しているだろう。
それが、今はどうしてか手を出さない。
どうして、というのは語弊があるかもしれない。
雲雀は本当は知っている。
自分が戸惑う理由も、手を出さない理由も。
知っているからこそ、無意識に目を逸らしていた。
しかし、その些細な変化を沢田は見逃さなかったのだろう。
ソレは彼に備わった血の異質故か、それとも恋人の心から何かを感じ取った敏感さ故か。
知らなければ幸せだったなんて、今更気づいても時は既に手遅れというもの。


「俺は……本当に、貴方だけを愛してるんです」


“本当に”と強調されたものに、雲雀は妙な違和感を覚えた。
自分は行為中に何か口にしたか、若しくは疑われるようなことをしただろうか。
心地好い微睡みを邪魔された脳内は、だんだんと冴え渡っていく。
遂には考え込んでしまった雲雀だったが、沢田は信じられないというような顔で見上げていて。
咎めるような視線に思えた雲雀は、短気な性質から眉をしかめた。


「沢田、君は何が言い「誰かの代わりじゃなく、貴方だけを、雲雀恭弥だけを愛してるんですッ!!」

「――っ!?」


何物にも揺らぐことがない黒真珠の瞳が、驚きから目一杯見開いた。
誰かの代わり――そう口にされた瞬間、雲雀の頭の中を追憶の日々が駆け巡る。
忘れてはならない、けれど思い出したくはない。
犯した過ち、ソレは愛を、愛し方を知らなかった故の悲劇、だったのか。





――恭、弥。



紅く染まった、白いワンピース。
無残に散らばった、蜂蜜色の艶やかな髪。
幾粒もの涙で濡れた、丸くて大きな琥珀の瞳。
あなたは壊すことしか知らない人ね、と……死の間際に動いた唇は呟きを遺して。
逃げられない、逃れられない――ソレは罪の産まれ、罪の生誕。





「やめろッ!!」


浮かび上がってきた映像に、雲雀は思わず沢田を突き飛ばす。
座っていたせいで余り力が入らなかったのが幸いしたのだろう。
ベッドから落ちることは免れたが、華奢な身体はシーツに沈んでしまった。


「……はぁ、はぁ」


荒く呼吸を繰り返し、脳裏に浮かんだ記憶を必死に追いやろうとする。
沢田を気遣う余裕が、今の雲雀には皆無だった。
何かに脅えているような表情は弱々しく見え、時折狂ったように自身の頬を引っ掻く。
伸ばしすぎた爪は容易に皮膚を切り裂き、紅い涙を流させた。


「ダメです雲雀さんっ!」


起き上がった沢田は、自虐的行為を止めさせようと手を延ばす。
すると雲雀は棚に置いてあったトンファーを持ち、容赦無く恋人の頬を殴りつけた。
がっ、と小さく呻いて倒れる沢田だったが、我を忘れた雲雀の暴行は更にエスカレートする。


「っ……ぐ、あぁっ!」


生身の身体を何度かトンファーで殴打され、沢田は我慢できずに悲痛な声を洩らした。
何処から取り出したのか、雲雀は小型ナイフも何本か手にしている。
昏く淀んだ眼差しが、恐怖に震え上がる琥珀を見据える。
にたりと嗤った獣は、獲物に伸し圧かると、右肩にナイフの束を思い切り突き刺した。


「っぁあああ――っ!」


押し殺せない激痛は悲鳴へと変わる。
雲雀は刺さったままのナイフを乱暴に動かし、肉を突き刺し抉っていく。
その度に沢田は瞳から生温い水を零し、シーツをぎゅっと掴んだ。


「良い気味だね。死に損ないが」


ようやく言葉を発した雲雀から出たのは、恋人に向けているとは思えない憎悪を孕んでいた。
最後の台詞は、恐らく沢田に向けたわけではないだろう。
凛々しい双眸は焦点が合っておらず、遠くの何かを映しているようだった。
もう手の届かない、決して触れられない、何かを。
けれどそれは愛というより、むしろ破壊衝動に近いのかもしれない。
沢田は激痛を堪えて右腕を延ばすが、雲雀は忌むべきものを見るかのように振り払った。


「ひば「君が悪いんだよ。僕はちゃんと愛してあげたでしょう? 甘く、優しく、真綿で包むように。暴力さえ奮わず、ただ心地好い温もりだけをあげたはずでしょう? それとも、君も“彼女”のように壊されたかったの?」


雲雀は制御し切れない感情任せ、沢田の顎を掴むとクスクスと笑った。
それから、ナイフを一気に引き抜いて投げ捨てる。
意識が飛びそうなほどの痺れと痛みが、沢田の全身を襲った。
――彼女。
それが恋人の心を占める存在なのだと、この時沢田は確信する。
同時に降り掛かるのは、決して自分を見てくれることはないのだという絶望感。
雲雀はきっと気づいていない。
情事の最中に呼ぶ名が、違う人間のものに変わることに。
沢田の名ではなく、喪失の名を呼んでいることに。
絶頂を迎える瞬間、時折獰猛な殺意を醸し出すのも全ては……。


「貴方は、俺を通して……彼女を、見ていたんですね」

「薄々気づいてただろうに、知らないフリをしてまで抱かれたかったの?」


直球過ぎた表現が、沢田の心に残酷に響く。
そうして、嘲りと共にゆっくりと浸透する。
黙り込んでしまった沢田を、雲雀は冷たく見下ろしていた。
目の前の蜂蜜色が、今は亡き彼女に重なって衝動を呼び覚ます。
自らが殺めた、美しすぎた人に。
あの日から、二度と誰も愛さない、手元に置かないと……そう、決めたはずなのに。



(……どう、して……僕はまた……君、を――)



「さっさと消えてよ」

「え「もうわかっただろう! 僕は君を愛さない。愛しているのは、愛していたのは、僕が殺した彼女ただ一人だけだッ!!」

「ッ!?」


予想できていた告白に、それでも沢田は堪え切れず大粒の涙を流す。
今日でもう何度泣いただろう。
身体中の水分がなくなるほど、立て続けに消費したかもしれない。
どんなに泣いても悲しんでも、例え縋ったとしても、雲雀の心は永遠に手に入らないのだと……思い知らされてしまった。



(ああ……気付かない振りしてきたけれど、もうこれ以上は……)



「……偽れ、ない」


ぽつり、と。語尾だけが、心中から唇へと零れ落ちて。
しかし雲雀は何のことか判らず、怪訝そうな視線を向けた。
沢田が起き上がろうとすれば、獣はさっと身体の上から退いた。
何の躊躇いもなく動いた様に、沢田の瞳からはまた涙の粒が落ちる。
偽れない、偽れない。
何度も心の中で、そう繰り返して。


「貴方が俺を愛してくれるなら、痛みも傷もいとおしいと思える。だけどそれが全て代わりなら……虚しい、だけ」

「……」


雲雀は応えない。
それでもいいと沢田は思っているのか、最後に一つだけ、と呟き、くしゃくしゃになった顔で笑った。


「キスしてくれませんか? それでもう終わりにしますから」

「……」


やはり雲雀は何も応えない。
それでも無言で沢田の身体を抱き締め、そっと唇を重ねた。
触れるだけの、されどすぐに離れることはなく。
別れを惜しむかのように見える繊細な仕草に、沢田の頬を一筋の水が伝った。










――翌日、ドン・ボンゴレ沢田綱吉が失踪したという情報が、秘密地下財団を駆け巡った……。

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