思い出したならば、募るだけで 1


「で、その次に来るのが……」

「あ、そっか! ここでこのアイテムを使えばいいんだ!」



――ボンゴレ本部、ボスの執務室から響き渡るのは、とうに成人を過ぎた青年の声。
恐らく今流行のRPGゲームの攻略法を教えてもらっているのだろう。
数日前に同じことを右腕に聞いていたが、相手がお得意の蘊蓄まで語りだしたため中断せざるをえなかったはずだ。
良い歳した大人、しかもマフィアのドンが何をやっているのだか。
スパルタ家庭教師が見たら、キレて仕事の山を増やしそうなものだ。
隣の部屋で護衛を引き受けていた男は、そんなことを考えながら小さく溜息を吐く。
壁を背にして寄り掛かりながら、洩れてくる会話を耳にして。
護衛と言えば聞こえはいいが、実際は監視役だ。
ドン・ボンゴレに、訪問客が危害を加えた時のための。
現在執務室にいるのはボスと、もう一人……やはりこちらもボスではある。
他ファミリーだが、ボンゴレとは友好的関係にあるため姿をよく見かけた。
ボスが不在で向こうは困らないのかと思ったが、それは杞憂に終わった。
何故なら、向こうの補佐がよくできた人物だからだ。
彼女に於いては、男もまた高評価をしていた。
機会があればまた手合せを願いたい、と思うぐらいに。
昔の戦闘はつまらない情に流されていたせいだろうか。
今度は純粋に力比べをしたいものだと、男はほくそ笑む。
自分が負けるわけがないと、心中で驕り昂ぶりながら。


「それにしても……暇なものだね」


男は壁時計に目を遣り、時間を確認する。
現在時刻は午後三時。
客が来たのが午後一時とすると、もうかれこれ二時間は経過している。
その間、彼等はずっとゲームや日常の話で盛り上がっていた。
ドン・ボンゴレの楽しそうな笑い声が聞こえる度、男の胸はズキズキと痛みを訴える。


「――また、か」


男は疼き始めた胸を抑え、忌々しいと言わんばかりに舌打ちをする。
最近、それともずっと前からだったか。
原因不明とも呼べる胸の痛みが、男を日毎に苛んでいた。
前触れと呼べるものがあるのかすらわからない。
ただ、肉体的な痛みではないことはわかっていた。


「……」


激痛に堪えかねて、男は壁に寄り掛かったまま崩れ落ちた。
痛みが胸から全身へと広がり、呼吸すら儘ならなくなる。
喉も焼けつくように熱く、声を出しても擦れた音しか出ないだろう。
苦痛から俯いていた男だったが、目の前に突然差し出された手に顔を上げた。


「辛いなら引き受けなければ良かったでしょうに」

「……いつの間に入って来たの、君」


僅かに驚きながらも、男は黒真珠の瞳が捉えた異質を睨みつける。
目障りだと、消え失せろと、その眼差しに一切の容赦はない。
双眸に蒼緋を宿した青年は、肩を竦めながら困ったようにぼやいた。


「ひどいですねぇ。助けに来てあげたというのに」

「余計なお世話だ」

「まあまあ、そう言わず。君だって、原因を知りたいでしょう?」


意味深な笑みを浮かべて、青年は魔性の誘いを仕掛ける。
悪辣な、狡猾な――策略家の糸を絡ませて。
そうとも知らずに男は首を傾げ、目的を掴もうと思考をフル回転させた。
――原因、と言ったのかこいつは。
自分自身でもわからないことを、何故他人がそんな容易く……。
そうだ、知り得るわけがない。
この痛みの理由は、永遠に――。
けれど残酷な運命は、真実から目を逸らすことを決して許さない。
訝しむ顔を見せる男を嘲笑うかのように、青年は“自覚”という爆弾を投下した。


「――君は、彼を愛しているんですよ」



――初代雲が、初代大空を愛したようにね。



「!?」


男は驚愕した顔をして、いっそう激しく痛みだす胸を鷲掴みにした。
痛いなんてものじゃない。
並の人間ならば、意識なんてとっくの昔に手放している。
それほど堪えられない尋常でない苦しみを伴って。
青年は差し出していた手を引っ込め、壁に耳を宛てる。
聞こえてきたのは、二人の無邪気な笑い声だ。


「まったくお似合いとでも言うべきでしょうか。古里炎真――シモン・コザァートに良く似ている」

「シモ、ン……コ、ザァート、って……あ、の」


擦れた声で必死に訊ねようとする男に、青年は少しばかり驚いた顔を見せた。
いかにも作り物だと、演技だと、わかるように。


「珍しい。君が他人について覚えているなんて」

「……」


男は黙っていたが、青年は構わず愉快気に続けた。
傷を、古傷を、鋭く抉るように。


「君の記憶通り、初代シモンボスですよ。初代大空――ジョットの恋人でもありましたけど」

「っ!」


予想していたのか。
男はひどく傷ついた、哀しげな顔を一瞬だけ見せた。
無意識だったのかもしれない。
若しくは、男ではない何かが見せた――もの、だったのかもしれない。
胸の痛みには、いつの間にか重苦しさが備わっていた。
ただ痛いだけではなく、色んな感情が混ざり合ったような……。


「初代雲は初代シモンに激しく嫉妬しました。己が理性を狂わせるほどに。そうして――憎しみへと変わった愛は、ジョットを真っ赤に染め上げたんです。今思い出しても、あれほど美しい光景を僕は見たことがありません」










『――ねえ、ジョット。これで僕達の邪魔をする者は誰もいないよ』



――動かない亡骸を抱き締め、唇から伝う血を赤い舌が舐め取り。
――ハラリと舞う金髪が、無残にも紅に沈み輝きを奪って。










「……っ!!」


魂に焼きついている声が映像が、男の鼓膜を瞼を甘く切なく揺さ振った。
知っている、この感覚を。
愛しい者を一つの色で染め上げた、あのいとおしさを。
殺して奪い盗る以外、他に道はなかったのだと。
しかし、男は振り切るように意識を現実に引き戻した。
鋭く射抜く眼差しは、過去への拒絶を表わし。


「……仮に初代雲がそうだったとしても、僕は彼じゃない」

「ほう、全く違うと言い切れますか?」

「当たり前だ。手に入らないから殺す? そんな愚かな真似、この僕がするとでも? 僕はそこまで沢田綱吉に執着してない」



――不愉快だ。



言い切った男は、弱っている己の身体を力づくで立ち上がらせる。
懐に忍ばせている武器へと手を掛けた時、青年はいっそう笑みを深くした。
無駄な足掻きだと、内心で揶揄しながら。


「それはそれは失礼しましたね。初代雲と君は違う……クフフ。言われてみればそうかもしれません」

「さっさと視界から消えろ。目障りだ」

「そうですね。用件も済みましたし、後は――」


男が振り下ろしたトンファーと、青年が姿を消す動作はほぼ同時だった。
標的を失った武器は空振りを起こし、獲物を捕えられなかった不満から鈍く光る。
腸が煮え繰り返るほどの衝動から、男は拳で思い切り壁を殴った。
……今は失せた咎人へ、叫ぶのはそう。
自覚させたことへの、ありったけの憎しみを込めて。



「……思い通りになんて、絶対、絶対――なってやるものか……ッ!!」



独り取り残された男の悲痛な決意だけが、部屋の中で虚しく響く。





――過ちは、常に繰り返されることを望むけれど。

- 38 -
[*前へ] [#次へ]
戻る
リゼ