君がため、惜しからざりし命さへ 8
「沢田綱吉……」
キャバッローネ邸のボスの私室に飾られた写真を見て、雲雀は愛しい人の名を呟いた。
絨毯の上には、ディーノの部下達の大半が倒れている。
気絶させただけで、殺してはいないが。
これは雲雀に残された……僅かな良心から出たものなのかもしれない。
額縁に入って壁に掛けられていた写真には、当代ボンゴレファミリー……即ち、沢田達が映っている。
どうしてもと沢田に頼まれたから、この時だけ群れに仕方なく参加した。
情けないぐらい丸くなったと今でも思う。
中央で微笑んでいるのは、まだボスになったばかりの沢田綱吉。
ボンゴレの紋章が施されたスーツに慣れずそわそわしながら、それでも穏やかに笑っていたっけ……懐かしい記憶に、自然と口元が綻ぶ。
「必ず、君を助けてあげる」
(――もう汚れた感情なのかもしれない、すべて君のためだとしても……それでも、僕は君だけが)
「恭弥ッ!!」
「――ああ、来たの」
大きな音を立てて派手にドアが開け放たれる。
写真から目を離した雲雀は、とても冷たい表情をしていた。
先程までは、見ている側まで温かくなるような柔らかい笑みを向けていたのに。
ディーノは床に倒れ伏した傷だらけの部下へと視線を向け、到着が遅れたことを悔やんだ。
自分がボスになる前、イレゴラーレファミリーとの苦い戦闘が、代償が大きすぎた戦闘の光景が、脳裏に浮かび上がってくる。
(また……かよ、またなのかっ!! 俺が未熟なばっかりに、またファミリーを……)
「おまえ、自分が何やってるのかわかってんのか!?」
「家族は殺してないよ。あなたを呼び寄せるための餌にすぎなかったから」
「らしくねーじゃねぇか恭弥!! おまえ、どうしちまったんだよ!?」
「知ったところで、あなたには何もできないでしょ?」
ディーノに、師に、突きつけられるのは無力感。
背徳の十字架(つみ)を背負う教え子に、一体何があったというのか。
ディーノは未だに甘さを捨て切れず、攻撃に踏み出せない。
雲雀はそれに舌打ちをして、ホント厄介な人だよね、と冷たく見下す。
「話し合いに応じる気がないからこうしたんだよ。あなたが気兼ねなく、全力で戦えるように」
「……恭弥」
「あなたの墓碑名ぐらいは刻んであげる。だから――」
雲雀が纏う空気が、獲物を前にした肉食獣へと変貌する。
ディーノは異変を察して鞭を奮ったが、雲雀は一瞬で背後を取って背中をトンファーで殴打する。
ディーノの身体は衝撃で飛ばされ無機質な壁に直撃した。
「ぐあっ!!」
「――悔いのないように散るんだね、ドン・キャバッローネ」
手向け代わりに零された台詞が、ディーノの耳元を擦る。
けれどすぐに体勢を整えて振り向き、振り翳された一本のトンファーを鞭で絡め取った。
ほぼ同時に、束縛されていない片方のトンファーが顔を目がけて繰り出される。
ディーノは一歩下がった足を軸に体重を支え、歯を食い縛って素手でそれを掴んだ。
鉤爪が表面に出ていたため、指からはポタポタと血が流れ落ちていく。
「へえ、意外にやるじゃないか。ホント手加減してたんだね、昔は」
「はっ、そりゃ中学生相手に本気はだせねぇって」
「ふーん、そういう余裕ぶったところが毎回ムカついたんだけどさっ!」
「ぐっ!!」
雲雀が思い切り力を込めた瞬間、紫の炎がトンファーを包み込む。
宿主の覚悟に応えて産まれてくるリングの炎。
けれども、雲雀はリングをはめていない。
力を引き出して炎を燃え上がらせる媒体を、今は所有していないのだ。
(こいつ、それだけデケェ覚悟ってことか……)
教え子との戦闘は、修業の際に何度も経験した。
手加減したとはいえ、毎回ギリギリのラインで、一瞬でも気を抜けばやられる……そんなスリルと快感があった。
しかし、今回は違う。
互いに譲れないものを背負い、一撃一撃に己の全てを懸ける。
敗北は許されない。
互いにまだ、死ぬわけにはいかないのだ。
雲雀は二本のトンファーから手を放し、絨毯を勢い良く蹴って飛び退く。
距離を置いて懐から拳銃を取り出せば、周りを一切気にせず発砲した。
ディーノはトンファーから鞭を外し、弾を全て弾き落とす。
倒れている部下達に当たらないように気を配る様は、どんなマフィアよりも家族想いと呼べるボスだった。
紫の炎は拳銃へと移り、ディーノに向けて弾を撃ち続ける。
弾切れを知らないのは覚悟の炎が為せる技か。
「おまえっ!!」
「銃は馴れてないんだ。あなたの部下を殺さない保証もできない」
さらりと皆殺し発言を言い渡せば、雲雀は引き金を弾き続ける。
ディーノも負けじと応戦していたが、一発の弾がある方向へと飛ぶのを見た瞬間――我を忘れて前へ飛び出した。
「っぅ……」
銃弾が肩を掠め、ディーノは傷口を手で押さえる。
無謀な行為に雲雀は首を傾げたが、ディーノが守ろうとしたものを見ると合点がいった。
芽生える殺意、沸き上がる復讐心が、雲雀の胸を占めていく。
(どうして、どうして、兄弟子のあなたまでそれを守ろうとする? それさえなければ、それさえなければ、彼は――っ!!)
「――そう、あなたはそれを守るんだね」
「きょ、う……や?」
「それが僕から彼を奪ったのに、ああ本当に忌々しいっ!!」
雲雀は銃を投げ捨て、落ちていたトンファーを拾い上げる。
ギラギラとした獰猛な目つきは、自由を愛する雲雀恭弥のものではなかった。
写真を捨てれば、ディーノは避けることができただろう。
だが、それを躊躇うほど……憎しみに、壮絶な憎しみに、あてられていた。
思わず、握っていた鞭が床に落ちる。
背中越しに感じる加速をつけたトンファーの勢いは、きっと凄まじいだろう。
(ああ、もう駄目だ……)
覚悟を決めたディーノは目を閉じ、最期の衝撃に備える。
頭の中で、死へのカウントダウンが始まった……その時。
パンッ!!
けたたましく鳴り響く、一発の銃声。
放たれた銃弾は雲雀の足に撃ち込まれ、僅かに体勢を崩させた。
その一瞬を狙い、四肢に何発もの銃弾が貫通していく。
「っがあぁ――っっ!」
「ワリィな。ボスを殺させるわけにはいかねぇんだよ」
「ロマーリオ!? それに、おまえたち……」
車内に置いてきたはずのロマーリオと、まだ負傷していない部下達が、開け放たれていた部屋の出口から現われた。
激痛に身動きを封じられながらも起き上がろうとする雲雀に、ロマーリオは近づいて屈むとできるだけ目線を合わせた。
「恭弥、お前がボンゴレを大事なように俺達だってボスが……「ふざけるなっ! 僕が大事なのは沢田綱吉だけだ。あんな化け物の血に乗っ取らせはしない!!」
「乗っ取る?」
絶対に、絶対に、彼は僕が救うんだ――それを感じさせる捨て身の一撃がロマーリオを襲う。
だが、トンファーが届く前に、再度続けて銃弾が撃ち込まれた。
普通の人間ならば出血多量で死んでいる。
譲れない信念だけが、雲雀を突き動かしているのだ。
裏を返せば、それが鎖なのだろう。
致命傷を刻まれた敗北を受けても、それでも雲雀は立ち上がろうとする。
血塗れの身体、想像を絶する痛覚――それらさえ噛み締める決意に、ディーノは覚悟を決めた。
部下達を制し、ボスらしい精悍な顔つきを向ける。
「ボス……」
「おまえたち、俺のために戦ってくれてありがとな。ケリは俺が着ける」
同じく懐から取り出された拳銃。
デイーノもまた滅多に使わないそれは――全てに終わりを告げるエゴイズム。
「……話す気は、ねぇのか?」
「……」
「――ツナは、夢の中にいるのか?」
「っ!?」
どうしてそれを――と今にも口にしそうなほど、雲雀の顔に隠し切れない動揺が走る。
顕著な変化は、ディーノの心に確信を植えつけた。
「ったく、なんで一人で抱え込むんだよ。俺達だって「――できるわけがない。それに、僕がやらなきゃダメなんだ」
(あの呪咀は、沢田綱吉ただ一人を愛し続けると誓った人間にしか、解けないから……)
ディーノには大切なものがありすぎる。
その中でも筆頭に上がる己のファミリー……彼等を捨てて、沢田綱吉を選ぶことなど彼にはできない。
だから、話しても無駄だった。
己の死など、疾うに覚悟しているから目を閉じる。
ただ一つ心残りなのは……
(ごめんね、あと一人で君を救えたのに……)
誰よりも、愛しい人への謝罪。
言葉にならないそれを、ディーノが聞こえているはずもなく。
「恭弥……」
「さっさと殺しなよ。僕はあなたに負けたんだ」
死への本能的な恐怖、命乞い、普通ならば抱くはずの人間の感情が、雲雀からは微塵も伝わってこない。
誰よりも罪を自覚し、背負った重みを知るからこそ、毅然とした態度で死刑台に立つことができるのだ。
ディーノは今までの思い出を再生して、ふわりと微笑む。
それが雲雀が助けたい想い人に憎らしくも似ていたことさえ――許されない大罪への罰か。
「恭弥……俺さ、おまえの家庭教師やったこと、今でも後悔してないぜ」
「……」
「どんなにファミリーを傷つけられても、おまえは俺の生徒だからな」
「……馬鹿でしょ、あなた」
「まあ、手のつけられないじゃじゃ馬で苦労したこともあったけど、それでも、おまえは……」
ぽたっ、と落ちた涙は、決別を暗示して――。
「なんで、泣いてるの?」
「……最期ぐらい、笑って殺してやりたかったんだけどな。ごめんな、恭弥……」
ディーノは涙を流したまま拳銃を構える。
撃つのは眉間に一発だけ、少しの苦しみも与えず即死させる。
これは救済。
生かしておきたくても、助けてやりたくても、雲雀は数多の罪を犯しすぎた。
もう助からない。
――ここで自らの手を汚して殺してやることが、救済なのだ、と。
ディーノは引き金に指を掛け、全身全霊を込めて弾いた。
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