君がため、惜しからざりし命さへ 7


青年は考え込む素振りを見せ、名のつかぬくだらない感情に想いを馳せる。
神とも呼べる異質に、人間が抱く感情を心から理解できるわけがない。
だから、本当に、素振りだけなのだけれど。


「……わからない」


吐かれた言葉は低く、明確な回答すら与えない。
事実を的確に述べる血が見せたそれは、今まで感じたことがない困惑。


「わからない、ですか? 貴方にとって難しいことは聞いていませんよ」

「まあ……そう、なんだけど……」


骸の疑問に、青年は視線を彷徨わせてお茶を濁す。
貴方にとって。
それは即ち、ボンゴレの血にとって。
感情を含む人間には出せない回答の明瞭さを、青年ならば容易く突きつけられる……そう、骸は思ったのだ。
しかし返された言葉は、予想を裏切って人間らしい答えだった。
感情を情報でしか知らない人間が、一体何故……。
骸の中にはある一つの仮説が浮かんだが、それを告げる間もなく青年は続ける。


「俺は、あの人の行為が無駄になることを知ってた。でも、今でもそれが無駄だったかと言われると……難しいしよくわからない」

「……」

「確かに彼等は利己主義同士だった。心の空白を埋め合う、不毛な恋愛感情を抱いて。だけど今思えば、そうだからこそ、彼等はあんなにも愛し合えたんだと思う。よく、わからないけれど……本当に、相手のためなら自分の「その辺りにしておきましょう。二人共揺らいでしまったら、余計な悲劇を重ねてしまう。――崩壊は避けられないのでしょう」


骸は冷やかに話を遮り、断定的な言い方で強引に終わらせた。
骸もまた知っている。
この先どんなに足掻いても、用意された結末からは逃れられないと。
運良く逃げ切れたとしても、あの冷たく恐ろしい牢獄は罪人を捕えるまで追い掛け続ける。
彼等が動かないわけがない、いや、もう――きっと動いている。



(僕さえ完全に脱獄することはできなかった……あの場所で、彼は自由を殺されてしまう)



それだけは避けなければならなかった。
絶対に許してはならないことだった。
骸の魂が、それを本能的に知っていたのか。





――貴方を護るためなら、この命など惜しくはない。


――君を取り戻すためなら、この命など惜しくはない。





誰にも邪魔できないそれは、恋人達の堅い決意の下で築かれた関係。
例え他者から見て極端に歪んでいても、本人達にとっては唯一絶対なのだ。
それを取り上げたら、彼等が生きる理由がない。
互いの存在なくして、生はありえない。



「何故貴方は雲雀君をけしかけたんですか? 彼は太陽を狩ると言っていました。君が何かしら吹き込んだのでしょう?」

「俺が表に出るためだ、と言ったら?」

「それは違いますね。貴方は迷っているように見える。本当は何が正しいのか、貴方にもわからないのでは?」


骸が抱いた素朴な疑問に、青年はやれやれと肩を落とす。


「こいつといい、お前といい、本当に人の話を聞かないな。俺はブラッド「全てが見えたとしても、それが正しいかは別だ。仰る通り、貴方には見えているのでしょう。この先の結末も、選択すべき道も。しかし、それが正しいかどうかは貴方自身もわからない。事実と正義は、いつだって等しくない」



苛立つほど的確に、反論の余地さえ与えない一言は、ひどくひどく利己的に青年は思えた。
己が見ている角度からの光景しか信じない様は、愚かを通り越して諭す価値もないだろう。
だから青年は敢えてそれに触れず、自分の意志を淡々と紡いでいく。



「俺は表に出る気は更々ない」

「――知りすぎるから、ですか?」

「俺が表に出ればボンゴレは必ず繁栄する。その裏では、武力によって反抗勢力が捻じ伏せられる。俺は取るべき道を知っていても、それが正しいかどうかまでわからない」


避けたはずの討論を、青年は自らまた繰り返す。
そう気づいた時には、言葉は音となって骸に届いていた。
骸は些か困った顔をするも、緩やかな微笑みを携えて胸の内を明かす。


「異質である貴方“も”沢田綱吉に感化されたんでしょうね。彼はとても危険な存在だ」

「さあ……。言えることは一つ。俺が出ればボンゴレ自体も崩れる。感情など一切ない、機械仕掛けの組織になる。それを、こいつは望まない」


少年の望み、それを最優先した結果――青年は導き手となって歯車が回るのを見続けた。
それは異質にはありえないことで、青年が何かしら影響を受けていることは明らかだった。
大空を司りながら、本質は向日葵のような明るさと温かさを保つ――少年自身に。
骸が周囲を見渡すと、空間に小さな裂け目が入っているのが見えた。
もうすぐ夢の中から出されてしまう。
けれど、その前に――。



「わかりました。質問を変えましょう。貴方は、僕に何を望むんです?」

「……」

「願いがあるから、僕を此処に呼び寄せたんでしょう?」


自信に満ちた声色での問い掛けは、ほぼ確信に近いものだった。
問われた青年もまた、残された時間があまりないことを悟っている。
それでも、自分の何かが本題から目を逸らさせることを望んでいた。


「――俺はお前に憎まれる存在だよ。それでも、お前は聞くの?」

「予想がつきますから。貴方の望みは、この舞台の幕を下ろすことだ。違いますか?」


疑問符を浮かべながらも、蒼緋の瞳には迷いなど一切ない。
青年は、少なからず立場が逆転した気がした。
それでも、本質が、ブラッド・オブ・ボンゴレが、真実の隔離を許さない。


「……簡単に言うじゃないか。そのためには、役者を始末しなければならない。彼の抱く猛毒に魅了されたお前が、故に協力してきたお前が」





――雲雀恭弥を、殺せるの?





口にしたくなかった、聞きたくなかった。
形は違えど、互いに重なった願いの封が解かれ、終幕の鐘を冷たく鳴らす。



「殺せるかどうか、これはまた随分滑稽だ」

「同感だね」

「貴方はこの舞台の幕を誰が下ろすか……知っているはずです。問うだけ時間の無駄でしょう」


そう、全ては手遅れだ。
最大の悲劇が降り注ぐ前に、幕を閉じなければ――何もかもが崩壊の序曲を奏でてしまう。
青年はそれを一番よく知っていたが、言葉をなくしたように立ち尽くしていた。
骸は作り物としか思えない胡散臭い笑みを向け、手を差し出す。


「それとも、傍観者は止めて抗いますか? 貴方が見た光景を、打ち砕き「それこそ酔狂だ。俺は自分自身に逆らうつもりはない」


青年は目の前に出された手を払い退け、純粋な橙色の双眸で蒼緋を見据えた。
ブラッド・オブ・ボンゴレそのものが、それに背き歯車の回転を狂わせる。
即ち、己を裏切るに等しき行為。
馬鹿げた、救いにも充たない、戯れにさえなりはしない。


「臆病、とは違うのでしょう」

「命も運命も等しく平等だ。俺は沢田綱吉の全てを支配する気は毛頭ない。だから、選ばせた。逃げろと忠告するだけに留めた。こいつがあの人を庇うと知っていても。そこから先は、こいつの自由意思。それによる滅びならば、受け入れるのが筋というもの」

「ええ、そうですね。時の流れに於いて、彼等は大きく背いてしまった」


罪の冒涜、救済の手すらもう差し伸べられない。
滅びへと向かう恋人達、歯車は錆びた鈍い音を立てて歪に回る。



「……殺せ」

「雲雀君をですか?」


唐突に下った命令に驚くことなく、骸は静かに確認を投げる。
青年はやはり答えない。
しかし、冷徹な眼差しに宿るのは、迷いを振り切った異質の本当の姿。


「俺が命令しなくても、お前はやるだろうね。太陽はそれができない。いや、お前がそれを許さない」

「おや、どういう意味ですか?」

「お前もまた、呪咀に囚われた者。傍観者でいることはできない。お前に与えられたことは、損な役回りではあるけれど」


今更じゃないですか、と骸は愚痴を零すものの、青年は構うことなく先を続ける。


「エストラーネオ、お前なら幕を下ろせるだろう……恐らく、は」

「恐らく?」


青年から出た自信欠如の言葉に、骸は首を傾げる。
異質には絶対という文字しかない。
そう遠回しに言ったのは青年自身だ。


「……仕方ないだろ。俺の勘も鈍り始めてるから断言はできない」


消極的な返答だった。
骸はさして気にも留めなかったが、ただ一つだけあまりにも低い可能性を思いつき、試しに聞いてみる。



「それは――ということもありえますか?」



「……恐らく、は。運命の女神も、今回は決めかねているみたいだ」


青年が冗談っぽく笑った瞬間、骸の視界が一気に揺らぐ。
現実へと戻る時間だ。
遠ざかっていく意識の中で、鳥籠の中にいる少年がふわりと微笑んだのは……見間違いだろうか。








「……お前は、まだ」


青年が鳥籠をじっと見つめていると、紅く光り始めた一部の柵に気づいた。
呪咀の効力が弱まっているのか、そこだけが本当に緩やかな速度で朽ちていく。
青年は目を凝らして眺めている最中、少年は腐食部分に手を伸ばして幸せそうに笑った。
白い狂気……そう呼ぶに相応しい天使の微笑。



「? ……ああ、それを、お前は選んだのか……」





運命に最期まで抗うというならば、俺はそれを見届けよう。
呪咀を解く鍵はきっと――。

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