涙叫鉄触〜ルイキョウテッショク〜 ひばあら


何がしたいのだろうこの子供は。
最初に抱いた疑問はそれだった。
指輪の思念体に拘束など無意味だ。
己の両手首にはめられた手錠に溜息を吐きながら、伸し圧かっている子供を見上げる。
両手は頭上で固定され、彼の片手は握り締めるように手錠を掴んでいる。
何重にも拘束をしたところで状況は変わらないのに熱心なものだ。
まさかソファーに押し倒されるとは思わなかった。
戦う気はないみたいなのが幸いか。
手を貸せと、言われるままに差し出したのは迂闊だった。
正直、彼が何をしようと別に驚きはしない。
唐突な行動はこの子供の専売特許だ。
雲の守護者を継ぐのだからこれぐらいは然るべきだ。
先を読まれるようでは器が知れる。


「重いんだけど」


「どうせ感じてないでしょ」


心なしか拗ねているようにも思えた。
年相応の子供といえば子供。
戦闘意欲だけは異常、悪い言い方をすればそれ以外に興味を持たない。
昔の自分を少しだけ思い出して、重ねたことに内心辟易する。
恐らく、恐らく、だ。
彼と僕が反対の立場だとしたら、やはり欠片ほどは執着したかもしれない。
根拠はない。
ただの推測。
そんなことをするほど、この子供の存在は無視できないほどになり始めている。
同じ雲というだけで?
顔が、性質が、似ているというだけで?
様々な考えが浮かんでも、変化の決定打は浮かばなかった。


「何考えてるの?」


「別に。君には関係ないよ」


「またそうやって。だからあなたは嫌いだ」


「嫌い? ならこれは嫌がらせかい?」


馬鹿にしたようにふっと笑えば、頬を叩かれる。
手首のしなり方からして、相当の力が入っていたことは伺えた。
利き手ではないだろうに無駄な力だけは馬鹿みたいにある。
生憎この身は生身ではないから、強さを測ることはできなかった。
もしかしたら、痛みを感じるよう感覚を生かすこともできるかもしれない。
けれどそれは滑稽だ。
自分が死人だということを忘れそうになる。
百年前に、己はとっくに生を終えているのだ。
会話を交わせても、生前のように自由に身体は動いても、同じではない。
いつかは消える。
それがいつなのかは僕にも解らない。
あってはならなかったことだけは、確か。


「痛い」


「よく言うよ。何も感じてないくせに」


「そうだね。もう死んでるから」


子供の顔が泣きそうなぐらい歪む。
今の言葉のどこにそんな表情をさせる要素があったろう。
意外に感情表現が豊かだと気づいたのは、いつ頃だったか。
最初は戦闘狂の無口で無愛想な子供と認識していた。
獲物を前にした時だけ、口元を綻ばせて凶器を奮う。
けれどよく観察すると、様々なところに変化が見られるのだ。
中でも、彼の飼っている小鳥の前では幾分表情が穏やかだ。
歳相応に笑えるのかと新たな一面を見た気がする。
思考に耽っていれば、彼の指先が喉元に触れた。
感触はないけれど、冷たいのだろうなと何となく思った。
温かかったら意外だ。
どちらにせよ、感覚を開かなければ確かめようがない。
でも、わざわざそうする価値を見出だせない。
無駄なことはしない主義だ。
死んでまで振り回されているのだから、せめて己の意思ぐらいは通したい。
譲歩という面が見えることに自嘲した。
いつの間にか容する範囲が広がっていたと。
だが興味があるかどうかはまた話が別だ。
指先がゆっくりと拙い動きで首筋をなぞり上げる。
生身なら、少しは震えただろうか。


「さっきから何がしたいの、君」


「……あなた、何にも興味がないなんて、嘘……でしょ」


随分唐突だ。
やはりこの子供の思考回路は理解し難い。
戦闘だけを望んでいるのなら、こんな回りくどいことをする必要などない。
興味を持たれたいのか、つまりは。
興味を持つことが戦闘に繋がるとでも?
単純な自己完結思考回路には恐れ入る。


「あなたは……プリーモって人が好きなんだろ」


「……は?」


予想外の予想外に、自分らしくない腑抜けた声が唇から洩れた。
聴覚の不調か。
幻聴なんて、生前ですら聞こえたことがなかったのに。
けれど、詰め寄ってくる子供の表情は真剣そのもの。


「はぐらかす気? あなたを見ていれば解るよ。プリーモって呼ぶ度に、優しそうな眼差しをしてさ」


「……嗚呼、僕は君のものじゃないけど、君は嫉妬してるのか」


「っ……そういう態度がムカつくって何度も言ってるよね」


睨みつけてくる灰の瞳は鋭さを増していた。
仕方ないじゃないか。
これ以外に何を言えと言うのだ。
寧ろ彼の自業自得だ。
根本からズレてる相手に諭すよりは、肯定して有耶無耶にしてしまった方が早い。
本心も誤解も悟らせない。
ただ受けて、そのまま言葉を吐く。
大切な仕事ならいい加減なことはしないが、この子供相手なら充分譲歩しているはずだ。


「君が苛立ったところで僕には関係ないな」


「だから嫌い」


「そう。僕はどちらでもないよ。最初から“興味はない”からね」


「……っ」


眼中にないことに苛立ったのか、唇を噛み締めて未だに睨みつけている。
彼の指先に、力が加わった気がした。
気道を圧迫され、僅かな苦しさが襲う。
酔狂だ。
実際には解らない、はずなのに。


「……そうだね。あなたは僕なんてどうでもいい」


「何を今更。理解したなら外しなよ。茶番には付き合ってあげただろ」


敢えて上から目線で言ってやっても、彼は無言で伸し圧かったままだ。
本当に子供だと思う。
都合が悪くなれば口を閉ざし、無言を貫く。
意味を成すなら、暴力という手段も厭わなかったろう。
雲の守護者が掲げる孤高には程遠い。


「別に嫉妬なんかしてない。勘違いしないで」


付け足されたような台詞も、空振りの虚勢にしか見えなかった。
否定するのが遅過ぎることに、きっと彼は気づいていない。
ムカつく、も、嫌い、も、的を射たからこそ出る言葉だと。
図星だと認めているのに、本人の顕在意識は認めていない。
厄介だ。
無自覚の愚かさは身を蝕むだけ。
自覚できなければ堕ちるだけだ、無様に。


「まあ、どうでもいいか」


「嘘吐き。あなたは彼が「いつか消えるモノに執着するなんて、僕には解らないしね」



思ったままを突きつけた瞬間、互いに纏わりつく空気が凍る。
ガチャリと外れた手錠が床に落ち、無機質な音を立てる。
灰の瞳から零れた一粒の涙は、僕の瞳に落ちて滲み融けていった。





























【涙叫鉄触〜ルイキョウテッショク〜】
(報われるとか、叶うとか、そんな安っぽい想いじゃなくて。……例え、冷たいだけだとしても)

























fin


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