繋ぐ糸、血濡れた愛に刻重ね 完結


まさか首を絞められるとは思ってもみなかった。
幻覚に桜を用いたのに深い理由はない。
ただ、あの日から精神的外傷(トラウマ)だろう花を使えば、僅かに彼の意識を乱すことができるのでは……と思っただけだ。
彼の様子がいつもと違うことは察していた。
故に効果はあるだろうと踏んだわけだが……それにしたって唐突過ぎる。
クロームを殴ってみたり、僕の首を絞めてみたり、一体彼は何がしたいのだろうとぼんやり考えてしまう。


そうしている間にも、指先が食い込んで気道を塞いでいった。
呼吸が遮られ、多少苦しさを伴う。
これしきの程度、幼少の頃から馴れてはいる、けれど。


「……し、てっ!」


ぽたり、と黒曜石を思わせる瞳から雫が落ちた。
たった、一粒。
その重みが……どれだけのモノか想像できないほど馬鹿じゃない。
国宝より、世界遺産より、希少価値の高いモノだろう。
彼が流す涙は、孤高を謳う獣が零した滴は。


「……っ」


抵抗しないでいれば、スッと手が放された。
解放された気道に入り込んだ酸素に軽く咳き込む。
半端ない力だったから、指の痕ぐらいはくっきり残っているような気がする。
相変わらず、こんな細い身体のどこに力があるのか疑いたいぐらいだ。


「……帰って」


「……ここまでされて素直に聞くとでも?」


「帰っ……っぅっ!」


渾身の力で、彼の頬を引っ叩く。
痺れが走り、軽く手を振った。
素直に聞き入れてやる筋合いはない。
生憎僕はお人好しから縁が遠い人間だ。
それにどうせ一発殴ってこいと命令されているのだ。
今ので果たしたと思えばいい。
彼の頬は真っ赤に腫れ、唇の端は切れて血が滲んでいた。
顔が取り柄のようなものなのに、全く残念だ。


「子供の我儘癇癪も大概にしなさい。言葉にしなければわからないでしょう」


「……」


「今の君、君が最も嫌ってる草食動物以下ですよ。嘆かわしい」


見下せば、彼は一瞬だけギロリと睨んだ。
でも直ぐに黒曜石に憂いを灯し、俯いてしまう。
あらゆる侮蔑を浴びせたところで、この態度は変わらないのだろう。
本当に、今日の彼は彼らしくない。
調子が狂ってしまいそうだ。
いっそ無視して放置すれば楽なのに、何かがそうさせてはくれなかった。


紅い右目に触れ、漢数字が六であることを確かめる。
纏う感覚で何となく判断できるのは便利だ。
今の状態の彼なら、然程苦もなくマインドコントロールにかかってくれるだろう。



――右目から手を離した、その時だった。



「……君さ、前世を信じる?」


「……え」


前触れもなく発された問いに、間抜けな音しか出せなかった。
やはり今日の彼はどこかおかしい。
前世、なんて彼が一番信じない類のモノじゃないか。


「君は、信じているんですか?」


「まあ記憶してるからね。何度廻っても……終わらない」


まるで僕みたいな言い方をする。
からかっているのかと思ったが、彼がそんな性格をしていないことは承知済み。
だから余計に調子が狂うばかりだ。
彼は生を受ける度、何度も繰り返しているのか。
何か、を。





――ズキッ、と頭の奥が痛んだ。





「……彼女と君は常に一緒だったよ。何の因果か、殆どの生で彼女は病弱でね。君は必ず傍にいたかな」


……語られる昔話、彼が言う前世とやらに、不思議と覚えがあった。


「君と彼女はとてもお似合いだった。幸せそうに微笑み合う姿は、恋人同士にしか見えなかったよ」


俯いたまま、決して顔を上げようとしない。
表情は伺えないが、先程より暗く沈んでいるような気がした。


「成程。僕とクロームが……それならば今世の相性の良さも頷けますね」


全面的に肯定する気はない。
それでも、彼女とは何かあるのではと薄々思っていた。
精神が共有できたことも、前世から関係が繋がっているならば納得がいく。
強ち間違いではないのかもしれない、とさえ思った。
しかし、ソレが何を意味すると言うのか。


「それが君に「――欲したんだ、君のこと」



――彼の、雲雀恭弥の台詞に、ガチャリと何かの鍵が開いた音がした。
頭の中が、急激に冷えていく。



「笑えるでしょう? 僕は同性でありながら君を欲して、自分だけのモノにしたくて殺したんだ。“桜の樹の下で”、君は僕に殺されたんだよ」











『――ねえ、どうして君だったんだろうね』











……思い、出した。





満開の桜が、風に揺らされて舞い落ちた日。
僕らしか知らない、壊れた秘め事。
歪んだ笑みに、頬を伝う一筋の涙。
胸を小刀で刺され、これでやっと……と囁いた彼を、その仕草も、痛みも、何もかも……。



――どうして、忘れていたのか。



「……雲雀」


「これが始まり。以来繰り返している、呪い。……君を殺すこともあれば、彼女を殺すこともあった。でも彼女を殺せば君は後を追った。絶対に、絶対に、絶対に、手に入らないと知らしめるかのようにっ!!」


決壊した抑制が、感情の儘に叫ばせる。
冷静沈着な仮面は剥がれ、僕の両肩を掴んだ彼は何度も何度も喚き散らした。
憎いと、憎らしいと、許せないと。


「ねえ、わかる? 君の隣にはいつだってあの子がいた! 決して、決して、片時も離れることなくあの子がいたっ! 女というだけで君の傍に……彼女はいられたんだッ!!」


スーツ越しだというのに、肩に食い込んだ爪は鈍い痛みを突き立てた。
皮膚を突き破る、狂気。
まるで猛獣の牙だ。
人間の力じゃない。
殺したい、殺してやりたい。
引き裂いて、原形も留めないほど潰してやりたい。
唇から零れていく醜悪な劣情に、“胸が高鳴った”。
ソレを悟られないために、常と変わらぬ穏やかな態度を取り繕う。


「そうですか……君は僕を愛してるんですね」


「っ!?」


弾かれたように、顔を上げる。
何で……なんて困惑した視線を向けられたが、今更じゃないか。
これはもう告白以外の何物でもないでしょう?
爪を立て続ける彼の手を取り、自分の首へと誘導する。
黒曜石が、微かに揺れた。


「君が、僕を望むのでしたら、こんな命ぐらい差し上げましょう」


「何、言ってるの……」


理解できない、と呟いた彼の手は震えていた。
先程まで絞めていたくせに、いざその機会が許され与えられれば躊躇する。
何とも弱々しい様に、たまらなくいとおしさが込み上げた。
手に入れたいと願ったのは、“君だけではない”のだ。


「そうすれば“君も”永遠に僕のモノになるでしょう?」



より相手の心に強く残り、縛るために。
同性だからこそ容易に交わせぬ想いがあった。
言葉にすること許されぬのなら、何もかもをたった一つの行為に沈めてしまえばいいと。





――惹かれるほど、苦しくなるばかりだとしても。





「さあ、どうぞ。君になら殺されてあげますよ」


「……」


首に触れていた手に、僅かに力がこもる。
切なげに細められた眼差しは、淡く濡れていた。
ゆっくりと、首が絞め上げられていく。
けれど本当に、細やか過ぎるほど、拙過ぎるほど……非力で。





……予想が、ついた。





「……僕は、もう君を喪いたくない」



首から手が放され、代わりに抱き締められる。
傍に居てと悲痛に縋る声を耳にしながら、笑いを堪えるのが大変だった。
嗚呼どうして今の今まで忘れていたのだろうか。
――手に入れたかったのは、僕も同じだったのに。



(やっと、手に入った……)



強く強く抱き締め返し、梳くように髪を撫でた。
忘れていたのが本当に悔やまれる。
“彼”は知っていたのだろうか。
だから、あんなことを言ったのだろうか。
そもそも何がきっかけで抑制が外れたのかは知らないが、結果的に僕としては好都合だ。
忘れていた大切なことを、思い出せたのだから。



焦がれ続けることで、魂は渇望する。
飢えに呑まれ、何度諦めようとしても、魂は対象を追い求め続ける。
ただ一つのために、執着という劣情を産む。
――だから、僕は手に入る存在であってはならなかった。
常に彼以外を見て、傍らに寄り添う少女に愛情を注いだ。
……彼の身を焦がし焼き尽くす炎を、この目で見届けてきた。
幾世も、幾世も。
彼が僕を欲していたことには、知らぬフリを装って。
嗚呼確かに“異常”だ。
“あの男”よりも、ずっと。
……歪みなど、疾うに過ぎ去った。



「む、く「もう君は逃れられませんよ、恭弥」





呼ばれ、彼の身体がビクッと震える。
初めて呼んだ単独の名は、最早手遅れなほど真っ黒な愛に満ちていた。



























【繋ぐ糸、血濡れた愛に刻重ね】
(未来へ続くのは、互いだけ。最期まで愛し合えば、もう何にも許されなくていいでしょう?)























fin


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