湖上の涙
湖上の涙


そうだ。
俺は、きっとわかっていたんだ。
こうするしかもう、国を救う方法はないって。
それでもズルズルと、ここまで戦い続けてしまった。
君と戦うことに、喜びを見いだしてしまったから。
凍えた国では、家族やたくさんの大切な人が待っているというのに…
僕はひどいエゴイストだ。
君はこの手紙を読んでくれるだろうか?もし読んでくれるなら、もし、僕の我儘を聞いてくれるならどうかーーーーー。



昔々その昔。
魔王が統治する国と人々が暮らす国とが争っていました。
人口が増え、魔王の領地に人が踏み入ったからでした。

怒った魔王は魔法をかけ、人の国を氷漬けにしてしまいました。

氷漬けにされた国は作物も育たず、川も湖も凍ってしまいました。

困った王様は、勇者を呼び寄せ、魔王討伐の旅へ行かせました。
勇者は紺碧の瞳に金色の髪をたなびかせた、美しい好青年でした。強靭な肉体と高潔な精神を持っており、剣技は国で1番強く、そしてある特殊な一族の末裔でしたーーーー。


氷の魔王。
その名の通り、彼は全てを凍らせた。暑さに弱い自分が力を充分に発揮できるように。
凍てつくようなアイスブルーの瞳、生気のない白磁の肌。人でないことが一目でわかる長い爪と尖った耳。
だが、それでいて性格は意外に熱い。それがこの1年、戦い続けてきた俺の見立てだった。

そう、もう1年になるのだ。
魔王の本拠地である湖上の城に攻め込んだものの、お互いこう着状態が続いている。

俺は勇者だ。
故郷の為に命を捧げた勇者なのだ。

1年…作物も無く、水も凍った国が滅びるのも時間の問題だ。
だから、もう覚悟を決めなければならない。この魔法石を使う覚悟を…ーーー。


そう。
運命の日も、いつも通り凍った湖の上で2人は戦っていました。
しかし、突然勇者は、剣を投げ捨てたのです。

「どうした、勇者よ。ついに屈する気になったか?」

「…いいや。僕は君を倒す為に戦っているんじゃない。故郷を、国を救う為に戦っているんだ。その事を最近忘れかけていた。自分の我儘の為に…終わらせよう、魔王。この戦いを…」

「…っ!貴様っ!?」

その時です。
勇者の胸元から赤い石が光り輝いたのは。光は勇者の体を包み、静かに湖に沈んでいきます。不思議なことに周りの氷もどんどん溶かし、翳った空さえ晴らしていくのです。
それが、勇者自らを核とした究極魔法であることがわかると、魔王は沈んでいく勇者の胸ぐらを掴んで叫びました。

「卑怯だぞ!まだ我との決着がついていないではないか!」

けれども、勇者は何も物言うこともなく、どんどん湖に沈んでいきます。
最後に魔王の頬を撫でると、勇者の手は動かなくなり、気がつけば、水中に浮かぶ気泡も、魔王の物だけになっておりました。

貴様も我を一人にさせるのか?
魔王は、諦めたように力を抜くと、そっと勇者を抱きしめ、勇者とともに沈んでいきました。

しかし、魔王は湖の畔で目を覚ましました。周りを見渡し、湖がすっかり溶け、青空が見えていることに気づきます。これくらい、魔王が再び魔法をかければ、凍ってしまいます。
勇者が湖の底に沈んだということは、魔王の勝利とも言えるのに、魔王は静かに泣きました。冷血と言われた、氷の魔王の涙は熱く、こぼれ落ちる側から大地の氷が溶け、緑が顔を出しました。魔王は泣いて、泣いて、国中の氷を溶かしましたーーー。


「ふぅん、そしてこの湖が勇者が眠っているとされる湖なの?」

「…そうですよ。だから私はここで、湖の守り番をしているのです」

クリスティーナは、湖の守り番の話を聞いて、ちらりと湖を覗きました。そんな大層な湖には見えません。

「守り番さん、けどそれって何年前の話なの?」

「さぁ…もう、290年ほど前の話だったかな?」

「嫌だわ、守り番さんたら、まるで自分の記憶みたいに言って」

クリスティーナがそう言っても、守り番はニコリともしません。
彼は変わり者なのです。
常に顔色が悪く、大層暑がりの癖に、黒いローブを顔深くまで被っているのですから。

じゃあまたね、守り番さん。
クリスティーナは、そう言うと、町の方へ駆けていきました。薄暗い森の近くなので、あまり長い時間そこにいるのを禁じられているのです。

一人になった守り番は、懐から古い紙を取り出し、そっと優しく撫ぜました。

「…あと、10年か。勇者よ、貴様の我儘に付き合ってやるのだ。報酬はたっぷり頂くぞ」

一人の寂しさは、よく知っている。
だからこそ、長い時を一人で耐えられたのだ。

あと少しで目覚める、君のためにーーー。




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