ハローグッバイ(ニキサユ)


 夕日が目に染みて、サユリは冷えた手の甲で右目を擦った。そのせいでコンタクトがずれてしまったのか、右目がじんじんと痛んだ。潤んだ瞳から溢れた涙はその痛みまで流してはくれなくて、サユリは足を止めた。

「どうした?」

 サユリの数歩前を歩いていた影が、サユリに気づいて近寄ってくる。

「うん……ちょっと、コンタクトずれちゃって」

 学生鞄から取り出した手鏡を見ながら、サユリはなんとかコンタクトの位置を直す。それでなんとか違和感はなくなったものの、まだわずかに残った痛みからか、充血した瞳は潤んだままだ。

「また擦ったんだろ。真っ赤だぞ、右目」

 ぐい、と上半身を屈めて、ニッキーはサユリの顔を覗きこむ。いつもは黒いサングラスに隠れている両目が急に近づいて、サユリは「わっ」と声をあげ、慌てて顔をそらした。

「サユリ?」

「わあっ、み、見ちゃだめっ!」

(だって、いまの私の顔、絶対真っ赤だもん。こんな顔、仁木くんに見せられないよー)

「面白ぇやつ」

 サユリの気持ちなんか知らずに、ニッキーはケラケラと笑っている。むっとしたサユリが真っ赤な頬を膨らませて睨みつけると、ニッキーは笑いながら「ごめんごめん」と言った。まるで幼い、いたずらっ子のような、きらきらしたこの表情にサユリは弱かった。

「ごめんね。もう大丈夫だから」

「ん」

 2人は、また歩き出した。肩を並べて、ではなく、ニッキーの歩くほんの少し後ろを、サユリが歩いている。早足なニッキーは、どうしたって歩くスペースが速くなってしまうのだ。

 けれど、このほんの少しの距離が、サユリにはなんだか心地よかった。恋人だったら、また違ってくるんだろうけど。いまのところ、ニッキーとは友だちなのだから。これくらいで、ちょうどいい。

「仁木くん。夕日、とっても綺麗だね」

「ん?あぁ。だな」

「時間が経つのって早いね。1日がもう終わっちゃうんだもの」

 いつからか、学校からの帰り道に2人で見るようになった夕日。その橙色は空だけでなく、川も、河川敷も、道も、そしてそこを歩くサユリとニッキーを染めあげている。

「ま、楽しいときはあっという間っていうしな」

「……そう、だね」

 頬が熱を帯びていく。嬉しい、と感じたらそのまま顔に出てしまうサユリの頬は、夕日と相成ってリンゴのように真っ赤になっていた。

 いつもそうだ。ニッキーは、サユリの欲しい言葉をさらっと口にする。不意打ち、だからよけいに期待をしてしまうのだ。もしかして。なんて。

 こうして、また、ニッキーへの想いが募ってゆく。そして、それを追うように、切なさが胸を締め付けるのだ。

「それじゃあ、ここで」

 ニッキーは駅へ、サユリはそのまま住宅街へ。違う街に住んでいるのだから、一緒に帰れる道は限られている。1日の別れ、なんて言ったら大袈裟だろうけれど。

 初めてニッキーと一緒に帰ったとき、サユリは「バイバイ」と言えなかった。お別れの言葉はなんだか寂しすぎて、まるで今日ですべてが終わってしまうような気がした。だから、言えなかった。

「そんじゃ、また明日な」

「うん。バイバイ。仁木くん」

 でも、いまは違う。終わりなんかじゃないって、分かったから。少しだけ寂しいけど、また明日があるって、分かっているから。

 少し歩いて、サユリは振り返る。そこにはもうニッキーの姿はないけれど、以前のように悲しむことはない。明日も、きっと2人でこの道を歩くのだ。

 そして、今日と同じ夕日を見て、綺麗だと2人で笑うのだろう。

 そう思えることが、たまらなく嬉しい。




END
2011.4.2
- 6 -
[*前へ] [#次へ]
戻る
リゼ