突き刺さる(ウーノ)
あっ。
気づいたときはもう遅かった。先端をひどく尖らせたそれは、もう僕の眼球に届いてしまいそうなくらいに、迫ってきている。
それに気がついたのは、最近のこと。
その夜、久々に帰った自宅は、最後に見た部屋よりもずいぶんと寂しく見えた。生活するのに必要な最低限の物しか置いていない。アイドルとして人気になってから、この部屋で過ごすことは滅多になくなっていた。
寝心地がいいからと勧められて買ったベッドマットは、柔らかすぎてかえって寝心地が悪く感じた。それでも、いちいち買い換えるのが面倒なので、そのまま使っている。
真っ暗な部屋で、目を閉じた。白かった天井が見えなくなって、境のなくなった暗闇が広がっていく。
神経質の気がある僕は、前から寝つきが悪かった。最近は仕事の疲れもあってわりと早く眠れていたのだが、その前は睡眠剤を処方してもらい、それを服用しないと眠れない日もあったくらいだ。今夜は薬は飲んでいないが、撮影スタッフたちと酒を飲んだ帰りなので、かなり酔っている。仕事の疲れも相成って、きっとすぐに眠れるだろう。
壁時計の針が進む音。窓を叩く夜風。いつもは気になる些細な音も、いまはまったく気にならなかった。
眠った僕は夢を見た。鋭くとがった針のような物が、まっすぐに僕を目指して伸びてくる。逃げなければ。だけど、逃げられない。体が動かないのだ。
逃げられない。
僕は飛び起きた。全身から大量の汗が吹き出して、シーツを濡らしている。
動機がおさまらない。心臓が飛び出してしまいそうだ。
リアルな夢だった。いままで見たことがないくらいに、現実味を帯びていた。
あと、1センチ。それで、僕の瞳を貫いていたに違いない。
嫌な夢というのは忘れないものだ。変に意識してしまうからだろうか。あれから、僕は何度も同じ夢を見た。
夢を見るのは、決まって家のベッドで眠っているときだ。なぜなのかは分からない。
それからは、なるべく家のベッドで眠るのを避けるようになった。
ミラクル☆4の誰かの家に泊まることもあったし、ホテル、あるいは新人アイドルの部屋、なんてこともあった。少なからず。
そうしてあの夢を見ないようにして、毎日を過ごした。何日か見ない日が続けば、だんだんと危機感も薄れてくる。
油断していた。
仕事でのストレスを発散できていなかった僕は、イライラしていた。久しぶりに家に帰り、ワインクーラーからスパークリングワインを取りだし、それで薬を喉に流し込む。早く、眠ってしまいたかった。
私服のまま、ベッドに倒れこむ。眠る、というより、意識がストンと落ちたような気がした。
そうして、僕にまた、尖った先端が近づいてきた。
「なんだか、猿夢みたいですね」
あの夢のことをミラクル4のみんなに相談すると、若がそんなことを言い出した。
「猿夢?」
フォースが頭上にハテナマークを浮かべて訊く。
「猿夢っていうのは、日本の都市伝説です。ジェットコースターに乗っているところから始まり、毎日乗客がひとりずつ死んでゆき、そして自分の番が来たら……」
「き、来たら?」
ごくりと唾を飲む。
「さあ。僕もそこまでは知りません。ま、所詮は都市伝説ですし、あまり深く考えない方がいいと思いますよ」
「なんだよ、脅かすなよなー!」
「フォースさんが勝手にびびってただけじゃないですか」
「なんだとー!」
若とフォースが騒いでいる脇で、僕は考えていた。若の話は、確かに僕の見る夢に似ている。状況こそ違えど、危機的状況に、少しずつ近づいていくという点では同じだ。
あの夢を見たのは、確か3回。最後に見たとき、針はもう1ミリと隙間を開けてはいなかった。
「ウーノ」
「ツースト?」
ソファーに寝転がっていたツーストが、むくりと上半身を起こした。眠っているのだとばかり思っていたが、さっきの会話を聞いていたらしい。
「お前、なにか悩みでもあるんじゃないか?」
「悩み? 悩みか……すぐには、思いつかないな」
「知らない内にたくさん抱え込んでいて、それが悪夢という形で現れている。そうとも考えられますね」
「確かに。ウーノが怒ってるとこって、あんまり見たことないもんな。ストレス溜まってんじゃねーの?」
言い合いを止めた若とフォースも会話に入ってきた。それぞれソファーに座り、小さなアンティーク調のローテーブルを囲んでいる。
「そうかなあ?」
「絶対そうだって! だからさ、今日はなんも考えないで眠れよ。こーんな豪華なホテルに泊まれたんだしさ!」
「明日も朝から撮影だしな。早いとこ寝て、しっかり体を休めとこうぜ」
「そうですね。もう遅いし、寝ましょうか」
それぞれが部屋に戻り、僕はひとりになった。ホテルで一番豪華だというこの部屋は、ひとりで過ごすには広すぎる。
ツインベットに座り、さっきの会話を思い返す。若たちは気にしすぎだと言っていたけれど、果たしてそうなのだろうか。ストレスや悩みの暗示?それもあるのかもしれない。ただ、それを自分でコントロールすることができない限り、あの夢を見続けることになるのだろう。
あるいは。
次が、あの夢の終わりなのかもしれない。針が僕の瞳を貫く、その時が。
そうなったら、僕はどうなってしまうのだろう。
考えれば考えるだけ不安が募る。所詮は夢の話なのに。若の怪談じみた話を、聞いたからだろうか。
眠ろう。とにかくいまは体を休めなければ。
目を瞑る。
……だめだ。眠れない。薬を持ってきてよかった。部屋に備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだし、タブレットと共に胃の中へ流し込む。
これでいい。後は、眠くなるのを待つだけだ。
どれくらい経っただろう。変わらず暗い天井が目に入り、まだ夜中なのだとすぐに分かった。どれくらい眠っていたのだろう。頭がやけにすっきりしている。こんな気分は初めてだ。
眠くはないが、眠らないと体が辛い。寝返りをうって、もう一度目を瞑る。
視覚がない分、他の感覚が鋭くなっているのかもしれない。あるいは、意識がはっきりしすぎているからか。とにかく、普段なら気づかないかもしれない、微かな気配のようなものを感じた。
目を開ける。さっきと見える景色は変わらない。
視線だけを動かすと、真っ暗な中に、なにかがあるのが分かった。声をあげそうになるのをぐっとこらえ、目が暗闇に慣れるのをじっと待つ。
しばらくして、それが立っている人影だと、はっきり理解した。それも、ひとつではない。壁がある背後以外の3方向を、それぞれが囲んでいる。
その中のひとつが、ゆっくりと動いた。
「……ツースト?」
顔のほとんどが布で隠れているが、それはいつもツーストが着ているそれに間違いない。
「若、フォースも……なんなんだ、いったい」
他の影の姿も徐々に見えてくる。それは、ミラクル4のみんなだった。なぜ?僕があんな話をしたから、驚かせにきたのか?それにしては、誰もなにも喋らない。表情のない顔が、じっと僕を見下ろしている。
明らかにおかしい。まるでいつものみんなと違う。別人だ。見かけは、ミラクル4のみんなそのものだが。
両脇の若とフォースが動いた。
「なっ、なにをするんだ!」
僕は大声で叫んだ。若とフォースは、それぞれ僕の体を抑えつける。その手を退けようと力を入れても、びくともしない。嘘みたいに強い力で押さえつけられて、僕の抵抗はまるで無意味だ。
「みんな、なにを……」
呆然と呟く。ぐっと込み上げてくる感情、それは恐怖だ。まるでリアルでない、それでもはっきりと感じる、恐怖。
「……」
ツーストが、ゆっくりと僕に近づいてくる。右手を振り上げて、なにかを持っているようだ。
「!」
針。小さく尖った先端は、まっすぐに僕を目指して、伸びてくる。ゆっくり。そのスピードを変えることなく、コマ送りの映像のように、確実に。
まるで、これは、あの夢と同じじゃないか。
……夢? そうか。ああ、これは、夢なのだ。
やがて、僕の眼球に、先端が届く。その瞬間を、僕はただ待つしかないのだ。
やはり、これはなにかの暗示だったんだろうか。ストレス、不安、悩み。あるいは、それとは別のなにか。とにかく、僕の中に溜まったそれらが、僕の知らない内に大きく膨れ上がっていたのだろう。僕の中に収まりきれないほどに。
はち切れそうな風船。それがいまの僕だ。薄く伸びたゴムの表面は、千切れそうで千切れない。
だから、針なのか。触れれば、たちまち破裂してしまう。いろんなものが飛び出して、そして、そして……?
パン、と遠くで音が聞こえた。ような気がした。
END
2011.4.10
- 24 -
戻る