名前をあげる(DTO+フロウ)
カンカンと音を鳴らしながら、アパートの階段を上る。
築35年、どこもかしこもガタがきている古アパートの2階の一室が、DTOの住まいだった。学校から近いというだけで選んだアパートだが、狭いながらも、それほど不便さを感じずに生活できている。
「あ」
自室の扉の前に、なにかが落ちているのに気づいて、DTOは目を凝らした。ライトの灯りもなにもなく、少しばかりの月明かりにうっすらと浮かび上がるそれは、見慣れない形をした置物のようみ見える。
「……なんだ、これ」
思わず呟いた。プラスチック台の上に、台形のガラスケースが乗っている、置物のようだ。手に取ってみると、台の部分にいくつかボタンがついている。ガラスの中には水色の薄い液体が入っていて、その中に赤いハートが浮かんでいる。
手の上のそれを訝しげに眺めながら、DTOは首を傾げた。きっと、アパートの隣人が捨てたゴミなのだろうが、これをゴミ捨て場に捨てるわけにもいかず、かといってそのままにしておくのもどうなのか。
考えあぐねるまでもなく、DTOはそれを手に持ったまま、部屋に入った。捨てにいくのが面倒くさかった、ということもあるが、それは目立った汚れもなく、置物としての魅力は充分にあると感じたのだ。
さて、部屋に持ってきたはいいものの、DTOの散らかった部屋には置物を置く場所などない。
「どうすっかなあ……」
とりあえず、と部屋の中央に置かれたこたつの上に置いてみる。邪魔なプリント類をどけてみると、思いの外すっきりしたので、DTOは満足した。
それにしても、まるでゴミだとは思えないくらいに、きちんとしたものだ。もしかすると、誰かの落とし物なのかもしれない。いくら考えたところで、DTOが知ることではないが。
ボタンに指が伸びる。意識してやったことではなく、それはごく自然なことのように思えた。つるつるとしたプラスチックの感触。カチ、と音がして、確かにボタンは押された。
「おわっ」
まるでネオンのように、眩い光だ。色の薄かった液体は、はっきりと蛍光色のようにキラキラと光を含んでいる。これは、ランプだったのか。いや。
光は天井に向かって、広く伸びていた。光の浮かんでいる部分は、景色の色が変わっている。テレビの映像が途切れ途切れになっているような、細かい線も見えた。
これは、映写機だ。
DTOの知る映写機とは、形がだいぶ違っているが、どうにもそうとしか思えない。ただ、スクリーンや他の接続気を繋ぐプラグのようなものは、どこにも見当たらなかった。これは、これだけで映写機としての機能を果たしているようだ。
DTOは、ぼーっと光の浮かぶ場所を眺めた。耳をすませれば、ザッ、ザッ、っとノイズのようなものも聞こえる。
「……ん?」
薄い、影のように、映像が広がっていく。DTOがそれがなにかを認識する前に、映像はどんどんその形を帯びていった。
それは、ひとりの少女の姿だった。短く赤い髪の毛を帽子ですっぽりと隠し、耳にはヘッドフォンのようなものをつけている。服はまるで衣装のようなデザインと色合いで、より幻想的に思わせた。
小さな少女。目を閉じて、眠っているように見える。
「よく出来てんなー……」
リアルな映像に見とれてしまう。宙に浮かんでいて、途切れ途切れではあるものの、まるで実物がそこに存在しているかのようにリアルだ。
少女が、瞑っていた目を、開いた。大きく溢れそうな瞳は、髪の色と同じく赤い。少女は両面を瞬き、やがてDTOの姿を捉えた。
『……アナタハ?』
「はっ!?」
驚きのあまり、すっとんきょうな声をあげてしまう。まさか、映像が喋ったのか?スピーカーもなにも繋げていないのに、こんなにはっきりと聞こえるなんて。
『アナタハ、ダレ?』
少女は間違いなくDTOをその目に映している。記録された映像などではなく、生きている人間のように。
「‥‥‥DTO。それが、おれの名前だ」
『ディー、ティー、オー?』
「ああ。その、お前は?」
『ワタシ、ハ、ワカラナイ。ワタシハ、ダレデスカ?』
「誰って……おれも知らねえよ。玄関の前に落ちてたのを、拾っただけだしな」
『……ワタシハ、ズットコノナカニイル。デラレナイ。ヒトリデ、カナシイ。ダレモワタシニ、キガツカナイノ』
少女の瞳が翳る。確かに生きている少女は、感情、そして記憶もあるようだ。人間と変わらない。だとすると、ガラスに浮かぶハートは、少女の心臓か?まさか。まるでファンタジーの世界だな、とDTOは心の中で鼻を鳴らした。
「ひとつ訊くが、前にお前を持っていた奴はいるのか?」
『ワタシヲミルト、ミンナコワガッテ、ソバニオイテクレナイ。イッショニイテクレナイ』
つまるところ、やはりこれは捨てられていたのか。そうとは口に出せず、DTOは黙って少女を見る。
「あー、なんだ。お前の言っていることは、なんとなくだが分かった。まあ、お前がいいなら、おれがお前と一緒にいてやる」
『……!』
ぱあっと少女の表情が明るくなった。
「ただし、おれは昼間は学校に行っているから、ひとりきりの時間が長くなってしまうかもしれない。それでもいいか?」
『アリガトウ!ディーティーオー!』
「まあ、ちょくちょくミサキの奴が勝手に出入りするだろうし、ハジメとかも押し掛けてくるしな。まあまあ賑やかになると思うぜ」
『ワタシ、ウレシイ……!』
「っと、そうだ。お前、名前はあるのか?」
『ナマエ?ワカラナイ。ワタシノコトヲ、ダレモヨバナイカラ』
「そうか‥‥‥」
少女がしゅんと項垂れる。
「FlowFlow」
『?』
「Flow‥‥‥"流れる"って意味だ。フロウフロウ。どうだ?」
『フロウフロウ‥‥‥』
「嫌か?」
『イヤ、ジャナイ』
嬉しそうに少女、いや、フロウフロウが笑う。限られた範囲でしか存在できないフロウフロウだが、くるりと1回転して、はしゃいでみせる。見た目通り、まだまだ子供だ。
まるで子供を持つ親の心境になっていることに気づき、DTOは呆然とした。なんだかとんでもないことになってしまった、と、いまさらながらにして思う。
「ま、いいか」
目の前ではしゃぐ少女の姿を見ていると、なにはどうあれ、悪い気はしないものだ。
END
2011.4.10
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