ストロベリー


「貴方は幸せですか?」

 人々で賑わう港町を歩いていると、ふいに声をかけられた。見ると、頭からつま先まで真っ黒の装束に身を包んだ、見るからに怪しい男がそこに立っていた。手にはこれまた怪しげな、黄金の牛の像を持っている。

 誰もがこの男の言葉になど耳を貸さずに、なるべく関わりたくないと距離を取っている。面倒事に首を突っ込みたいなどという奇特な人間はそうそういない。

 ただ、声をかけられただけで立ち止まってしまう男がいた。たとえ相手が怪しかろうが、話かけられた内容が宗教かぶれしていようが、そんなものは関係ない。声をかけられたから立ち止まった。それだけなのだ。

 ゾロもその類の人間だった。何を考えて歩いているわけではないので、反射的に立ち止まり、声の主を探す。

「俺に話しかけたのか?」

「ええ、ええ。貴方です。わたくしは……」

「御託はいいから、さっさと用件を話せ」

「はぁ……。あのですね、貴方は今、幸せですか?」

「幸せ? さぁな。そんなこと、改まって考えたこともねェよ」

「いけません! 常日頃から己の生き方、人生の歩み方を問うて生きなければ。貴方は神のご加護を受け、今生きているのです。神に祈りを捧げ、感謝の気持ちを……」

「なんだか分からんが」ゾロがぐっと男に詰め寄った。その迫力に、男が「ひいっ」っと情けない声をあげて後ずさる。

「俺は神には祈らねェ」

 男は、ぽかんと口を開いて、ゾロから目を逸らすことができなかった。



船に戻ると、買い物に行っていたペローナが戻ってきていた。手に下げている買い物カゴはパンパンに膨らんでいる。船の中にはすでにいくつもの食料袋が積み込まれていて、いったいどれだけ買ったのかと訊きたくなるくらいの量だが、これが普段通りの量なのだ。

「戻って来れたか」

 ゾロの姿を見つけるなり、ペローナは満足そうにそう言った。「これで迎えに行く手間が省けた」

 お決まりのやり取りを終えると、二人はさっさと港から船を出した。ペローナはまだしも、ゾロは一応賞金首として指名手配されている身だ。いくら麦わら海賊団がなりを潜めているからといって、世間はまだまだ彼らのことを忘れてはいない。むしろ、戦争でのルフィの一件で、知名度がぐんと上がったと言ってもいい。

 ここは小さな港町だが、それなりに変装をしないとすぐにバレてしまう。なので、ゾロは怪しまれない程度の変装をしている。もちろん、トレードマークの三本の刀も、今は和道一文字しか差していない。

「そういや、近頃妙な宗教団体の連中が、山奥に本拠を構えたらしいな。町中で噂になってたぞ」

 ペローナの言葉を聞いて、ゾロは先ほどの怪しげな男のことを思い出した。

「さっきその宗教ナントカって奴に話しかけられた」

「マジかよ。勧誘されたのか?」

「貴方は幸せですか、だとよ。終いには神に祈れだのなんだのって、わけが分かんねェこと言い出しやがった」

「失敗したな、そいつ」ペローナが、誰にというわけでなく哀れみの表情を浮かべる。「こんな、見るからにバカそうなヤツに声かけちまうなんて」

 余計なお世話だ、とゾロが眉をひそめる。

「んで、なんて答えたんだ?」

「あ? 神には祈らねェって言ったが」

「そっちじゃなくて。幸せかっつー問いにだよ」

「ああ、そっちか。どうだったか……」

 適当に答えたので、ゾロ自身もなんて言ったのかよく覚えていない。「そうだ、考えたことねェって答えたんだ」

 ペローナがはあ、とわざとらしく溜息をつく。

「てめェ、自分が幸せかどうかも分かんねえのか?」

「そう言うお前はどうなんだよ。幸せなのかどうか、考えたことあるのか?」

「そんなもん、いちいち考えなくたって分かるんだよ。普通は」

「そうなのか?」

 真面目に訊き返すゾロに、ペローナがホロホロと笑い声をあげる。

「お前が教えたら、そのときは私も教えてやるよ」



 ゾロは、普段あまり使わない頭をフル回転させて、幸せについて考えていた。

 幸せとはつまり、どういう状態のことを言うのだろうか。その定義がまず分からない。楽しければ幸せなのか。生きているというだけで幸せなのか。幸せの定義など人それぞれではあろうのだろうが、では、自分はどうなのか。

 自分が不幸だと思ったことはない。どんなに過酷な状況下においても、それのすべてを悲観したり、誰かのせいだと恨んだりはしたくなかった。全ては己の責任だと、ゾロはそう考えている。

 では、幸せなのかと訊かれれば、やはり首を捻ってしまう。幸せでもなく、不幸でもなく、その中間はどう表せばいい。

 自主トレーニングを終え、大量の汗を流すために、ゾロは浴室へ向かった。軽く体を流してから湯船につかると、心地良い疲労感が全身をゆっくりと伝う。目を瞑ると、あまりの気持ちよさについついうたた寝でもしてしまいそうだ。

「お」ゾロは目を開いた。もしかして、これが幸せってやつなのだろうか。

 俺は今、幸せなのか。

 自分に問いかければ、なんとなくそうだという気がした。そう考えると、毎日あたり前のように循環してゆく時間の中で、幸せは案外そこらじゅうに存在しているものなのかもしれない。

 ありきたりな流行歌の一節にありそうなことを、ゾロは至って真面目に考えていた。もしかしたら自分はすごいことに気づいたのではないか、と、本気でそう考えて、ゾロは満足した。

 風呂からあがったゾロは食堂へ向かった。テーブルの上には、シャーベットグラスにかわいらしく乗った苺が置いてある。食後のデザートだろうか。

「これ、どうしたんだ」

 キッチンにいるペローナに声をかける。

「ああ、それか。昼間、美味そうだから買ったんだが、食後に出すのを忘れててな。あんまり日を置かないで食べた方がいいだろ」

 キッチンから出てきたペローナはトレーを持っていた。トレーの上には、ミルクピッチャーと練乳が入ったビンが乗っている。

「なんだそれ」

「なにって、ミルクと練乳だ。お前、苺をそのまま食ってるのか?」

 怪訝そうにペローナが顔をしかめる。「すっぱいだろ」

「そうか? つーか、そのままでも充分甘いだろう」

「いや、やっぱり苺にはミルクと練乳をかけるのが美味いんだ。騙されたと思ってかけて食ってみろ」

 そう言って、ペローナはまず、自分の苺にたっぷりミルクを注ぎ、その上から練乳をたっぷりかけた。それを見ているだけで、ゾロは胃がムカムカしてくる。いっそのこと、砂糖の塊をかじった方がいいんじゃないかと思った。

 すると、今度はスプーンの底でいちごを潰し始めた。いよいよゾロは我慢できなくなり、つい「何をしてるんだ?」と訊いてしまった。ペローナは苺を潰す手を止めて、クエスチョン・マークを頭の上に浮かべている。

「なにって、見りゃ分かるだろ。苺を潰してんだよ。こうしないと食えないだろうが」

「いや、食えるだろ……」

 むしろ、潰したら食えないだろうとすら思った。事実、ペローナの手元にあるそれを、ゾロは食べたいとは思わなかった。あれはもう苺ではない。別の何かだ。

「でーきた! うん、美味そうだ」

 ゾロは何も言わずに、ただ黙ってペローナの様子を見ていた。すでに苺としての形を失っているそれは、ゾロからしてみれば流動食のようにしか見えないが、どうやらペローナはそうではないらしい。

 食欲はなくなりかけていたが、元の形を保っている苺に手を伸ばし、素手で一つ掴んで、口の中に放り込んだ。甘酸っぱい味が広がる。そのままの方が美味いじゃねェか。


「ん〜。美味い。てめェも一口食べるか?」

「いや……俺はいい」

「まあ、一つだけ練乳つけて食ってみろって。ほら」

 そう言いながら、ペローナはゾロの苺の上に素早く練乳をかけた。そのうちの一つをフォークで刺し、ゾロの口元に持ってゆく。だんだん迫ってくるそれに、ゾロは思わず「うっ」としり込みした。これじゃあまるで、昼間の男みたいじゃないか。

 あの情けない姿を思い出し、ゾロは仕方なく口を大きく開き、差し出されるがままに練乳のかかった苺を食べた。そのまま丸呑みするわけにもいかないので一口噛んでみる。

「……甘ェ」

「だろ? 美味いよな?」

 美味い、のか? ゾロには分からなかった。たしかに不味くはないが、ゾロはそのまま食べた方が美味しいのではないかと思った。

「このペローナ様が食わせてやったんだから、美味いに決まってる」

 そうだ。よく考えてみれば、今のは恋人同士でよくやる「はい、あーん」の動作じゃないか。ペローナはそれに気づいているのかいないのか、分からないが、照れている様子はない。

「おい、もう一つ食わせろ」

「気に入ったのか? それじゃ、練乳たっぷりかけてやるよ」

「いや……今のままで充分だ」

「そうか? ほらよ」

 ペローナが先ほどと同じように、フォークで刺した苺をゾロの口元へ運ぶ。しかし、ゾロは口を開かずにいた。

「おい、お前食う気あんのか? 口開けろ」

「あ、ああ……」

 何を考えているんだ、俺は。まさか「はい、あーん」を待っていたわけではないだろうに。……そうだよな? 心の中で自問自答する。

 再び口の中に放り込まれた苺を咀嚼する。甘い。だが、なぜか先ほどよりも美味しく感じた。

「幸せか」思わず呟く。

「ようやく分かったのか? 幸せかどうか」

「ああ。どうやら俺は、それなりに幸せみてェだ」

「そうか」ペローナが満足気に頷く。「そりゃあ良かったな。辛気臭ェ不幸ヅラを拝まされるより、ずっといい」

「お前はどうなんだ?」

「私は……」

 言いかけて、ペローナはシャーベットグラスの中の苺ミルクを、ぐっと飲みほした。

「まあ、幸せかもな。それなりに」

「なんだよそりゃ」

「テメェだって似たようなもんだろうが」

 お互い顔を見合わせる。ペローナの口元についたミルクが髭のように見えて、ゾロは思わず噴出した。


おまけ

「鷹の目……お前、そんなに砂糖をかけんのか……」

「さすがの私でも、ミルクと練乳と砂糖なんて組み合わせで食ったりしないぞ……?」

「うむ。美味なり。やはり苺はこの食べ方でないとな」

 似合わなすぎる。げんなりしているゾロとペローナをよそに、ミホークはパクパクと甘ったるい苺を平らげていった。



END
2012.7.23
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