じれったい

高専内の作業室でパソコンに向かい、手を動かす。目の前には機密文書が盛りだくさん、だがちっとも集中できない。

「あぁ!もどかしい!」

デスクを叩いて勢いよく立ち上がる。バンッと鈍い音がして机は軋むし手はヒリヒリするし椅子は倒れるしで少しも良いことはなかったが、音と痛みで多少は冷静になれた。焦っても良いことはない、落ち着け私。深く息を吸い込んで時間をかけて吐き出した。保存をしてパソコンをシャットダウンし、冷めきったコーヒーを口に含む。

今、渋谷は恐怖に包まれている。突然帳が張られ、一般人が閉じ込められているのだ。等級の高い呪霊もちらほら見られるとか。
私は高専内で待機しつつ、そこで負傷者が出た場合治療及び高専までの運搬を担当することになっている。長距離移動のできる式神を持つ私にピッタリの役割といえばそうなのだが、有事が起きているというのに大人しくしていなければならないのはなかなか歯がゆい。今すぐにでもここから飛び出して渋谷へ行きたい衝動を抑えることに必死だ。その証拠に、先程から意味もなく部屋の隅まで歩いては引き返してしまっている。機密文書でも扱えば気が引き締まるかと思ったが、全くだった。私も現場へ急行したい。
溜息を吐き出すと、仕事用のスマホが着信を知らせた。これが鳴るのは定期連絡か負傷者が出たかのどちらかだ。私は急いで応答ボタンを押した。

「もしもし!」
「もしもし、#苗字#さんっスか!?」

相手は補助監督を務める新田ちゃんだった。「そうだ」と返事をすると、彼女は「大変なんスよ!」と慌てた様子でまくし立てる。

「さっき伊地知さんと電話してたんスけど、途中で突然切れて……!鈍い音と人の声がしたんス!そこから一切連絡つかないんスよ!」
「……そうか」

報告を聞いて私の口から漏れたのは地を這うような低音だった。

「伊地知はなんて言ってた?」
「補助監督と窓の一部で連絡網を確立するって……!」
「ならそっちは頼んだ。私は伊地知を探す。もし他に連絡の取れない人間がいたらメールかなんかに送っといて」
「了解っス!」

片手で通話を切りつつ、もう片方の手で校内放送を入れる。

「#苗字#出ます」

同じように高専内で待機している術師から何かしらの応答があるより早く、呼び出した式神に飛び乗って空を駆ける。

「全速力で頼む」

式神の頭を撫でてやりながらお願いすると、式神は一声鳴いてぐんと加速した。その背に必死でしがみつく。目も開けられないほどの爆風に包まれた。冷たい風を切りながら進んでいくと、心と頭からゆっくりと熱が引いていく。熱くなってはダメだ、冷静に、伊地知の微かな呪力を感じろ。
どうか無事でいてくれと願いながら、私は先を急いだ。

伊地知を見つけるのに思ったより時間を食ってしまった。なにしろ渡しておいた護符の気配と伊地知の呪力が合わないのだ。どうやら伊地知は自分の分を誰かにあげてしまったらしい。護符は補助監督全員に配っているが、それでも念を入れてということだろう。アイツらしいことだ。
やっとの思いで探しだすと、歩道橋に血まみれで倒れる伊地知がいた。式神から飛び降りて走り寄って見ると、かなりの量の血が地面を濡らしていた。血が服や手につくのも構わず急いで伊地知を抱き上げて式神に乗る。この状態では先程の最高速の爆風に耐えられるはずもなく、式神を中速くらいで走らせた。

「おい伊地知、しっかりしろ!」

傷口を清潔なタオルで塞ぎ、私の呪力を伊地知の体に流して回復を促す。私の反転術式は彼の体を軽く揺すると、しばらくして伊地知がゆっくりとその目を開いた。

「誰にやられた」
「呪詛師の、二人組に……」
「だろうな、僅かだけど呪力を感じた」
「内一名は、交流会を襲撃してきた人間かと……」
「分かった、連絡入れとく」

スマホを耳に当てて待機中の術師に連絡を取る。学長と家入先輩に繋いでくれるとのことだったのでそちらは任せて通話を切った。

「もう少しで着くからな」

速度を上げれば伊地知の体に負担はかかるが、高専への到着が遅くなってもダメ。最悪が頭をよぎってかぶりを振った。私が弱気になってちゃいけない、彼を救えるか否かは私にかかっているんだから。目を見開くと伊地知の口が何かを訴えるように動いていることに気がついた。慌てて耳を寄せる。

「私の、ことは……放っておいて、ください……」

息も絶え絶えでボロボロなくせに、なんでそんなこと言えるんだろう。私が行かなかったら死んでたくせに、どうして。

「術師の方には、祓うことに集中していただきたいんです。それに必要なことは私たちが行うべきで……」

口を開くのも億劫だろうに、伊地知は迷うことなく言い放った。
最低限の処置さえ終えたら現場に戻ろうとしている彼の意志を感じ、私ははらわたが煮えくりかえりそうだ。血塗れで倒れるアンタを見た時、私がどれだけ動揺したと思っているんだ。

「キヨくん」

二人の時しかしない呼び方をすると、彼の肩がビクッと跳ねた。

「いい加減にして。こんな時くらい自分のことを第一に考えてよ。心臓がいくつあっても足りないわ……!」

片手で目元を覆って深呼吸すると、キヨくんは「すみません」と呟いた。

「ですが、まだ……」
「分かってる。連絡網は新田ちゃんに任せた。呪霊と呪詛師どもの方は私がやる」

未だ見ぬ敵のことを考えていると伊地知が驚いた顔をして「アナタは高専待機でしょう」と漏らした。

「両方やればいいでしょ。それに、そろそろ……」

そこまで言った時、胸ポケットにあるスマホが振動した。手に取って通話を開始する。二、三話して通話を切った。

「現場に行ってこいって、学長の指示が入った」

これで問題ないねと口角を上げると、伊地知が仕方ないですねと溜息をついた。
私は外で走り回っている方が向いているんだから、初めからそっちに回してくれたら良かったのに。相変わらず上層部は頭カチコチだな、一回ぶん殴ってやれば柔らかくなるんじゃないか。常々考えてきたことではあるものの、今日のように私が動きやすい方へ持って行ってくれた学長の顔に泥を塗るようだから実行するには至っていない。

「てか、そんなに元気なら最速で高専に向かってもいいよね?」
「エッ」

私の意思を汲み取って、式神が速度を上げる。風を切り裂く音がする。だが今度はあまり衝撃を感じない。術式で私たちの周りを覆っているから当然のことだった。行きもこうすればよかったのに、その時は思い至らなかったのだ。
あっという間に高専に着いた。校庭側の窓から保健室へ入り、伊地知をベッドに寝かせる。あとは家入先輩に任せてまた窓から出ようと桟に足を掛けると、伊地知に「#苗字#さん」と呼び止められた。

「お気をつけて」
「伊地知こそ、ちゃんと休んでなよ」

親指を立ててニヤリと笑うと、伊地知が苦笑しながら頷いた。それを見届けて、私は窓の側にいた式神に飛び乗る。
とりあえず伊地知をやった奴は八つ裂きにしてやると思いながら、式神に最速でと指示を出した。
- 21 -

[*前へ] [#次へ]

戻る
リゼ