嘘つきな同僚です。
 2017.11.22 Wed

「――…え?」

今日の分の作業を終え、何を考える事も無く筆記具を片付け、机上の書簡を揃えて抱え、執務室から最短距離で書庫に行き、部屋の入口から奥へと順序良く棚へ書簡を仕舞っていき、手の中が空になったところで入口に向かって踵を返したその瞬間、後ろから名前を呼ばれた。
首を傾げながら振り返ると、自分と同じ作業をずっとしていた同僚が、腕を組んで立っていた。しかも、青い目を細めて、声も無く笑っていた。

「……何?」

口端を若干引き攣らせる此方に、突然キリッと真顔になった彼は、手袋に包まれた人差し指をぴっと立てた。

「――…わしには、見たくない時に閉じる目と、何も言いたくない時に閉じる口がある」
「……え?」

その堂々と発せられた声に、一文字を零しながら眉根を寄せる。そんな此方を真正面に、彼はそのまま淡々と言葉を続けた。

「ただのう、それらとは正反対に、桃を嗅ぎ取る鼻と――…」

そんな言葉と共に、彼の人差し指が自身の鼻を指し示し、其処からゆっくり横へとズレて、

「誰かの一人言を聞き取る耳は、常に開いておるぞ」

最後には、トントン、と自身の耳を叩いた。その様子に目を見開き、しかしすぐにグッと細める。

「……嘘つき」
「む、このわしが、嘘つきな訳が無かろう」

ムッとすぼんだ彼の口に対して此方のそれは、きゅっと結んで少し経ってから、小さく開いた。

「……見たくない物を見てきて、言いたくない事も言ってきたくせに」

大きな計画を担う道士として。大きな歴史を動かす軍師として。どちらの立場でも、多くの命を背負ってきて。けれど、目も口も閉ざす事無く、身体にも心にも多くの傷を負ってきて。
言いながら俯く此方の顔は、言葉が終わるか否かで生じたくくくっというくぐもった笑い声に上げられた。

「……笑うところ?」
「いやのう、それはかなりの過大評価ではあるが、お陰でおぬしに惚れてもらえたと思うと、あながち悪くもないのう」

そうして、にょほほーと弾む声に、揺れる黒髪。更には頭を左右に振り始めた彼に、口を開けたまま瞬きしてから、深く息を吐いた。

「……何言ってるんだか」

眉を顰めたが、口角が、少しだけ持ち上がった。と、彼がぱたぱた近寄ってきて、隣に来たと思ったら、ぐいっと此方の肩を抱き寄せて。反動で頭が傾き、片方の耳が彼の黒髪に触れた。

「……で、どんな一人言だ?」
「……そんな風に訊かれたら、一人言じゃなくなっちゃうよ」
「細かい事は気にするでない。それに、こうしてくっつけば、一人でいるようなものではないか」
「……強引な考え方だね」
「柔軟な考え方であろう?」

ニッと笑みを浮かべる彼に、ふっと笑みを零す。そのまま彼の肩に頭を載せて、ふーっと、細く長く息を吐き出した。

「……どうして、分かったの?」
「おぬしの心の声が、わしには聴こえるからのう。疲れておるよー、悩んでおるよー、癒してほしいよー、とな」
「……嘘つき」
「だから、わしは嘘つきではないっつーの」

そんな言葉を聞き終えてから、目を閉じ、口を閉じる。そのまま息を吸えば、独特な彼の香りがした。そのまま息を吐けば、このまま寝るでないぞ、という笑い混じりの軽やかな声が、すぐ其処から耳に届いた。

彼に弱音を吐くのは、憚られた。彼は、どんな時でも決して弱音を吐かなかったから。
けれど、私は口を開き、私の思いを言葉にした。確かに私の心は、彼に話したがっていたから。

……ああ、もう『嘘つき』と、彼を咎められなくなってしまった。
それどころか、話の最後で、別に貴方には惚れてないけどね、と付け加えたら、おぬしは嘘つきだのう、と笑いながら返されてしまった。



あとがき。


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